天下係長 〜 アラフォーで高所得でもないくせに二十代前半の女の子に好かれてると勘違いしているオッサンの心理について 〜
入社二年目にもなるともう教わる側じゃない。後輩社員も増えて、指導する側としての責任感ももつべきだ──俺にそう諭してくれたのが天下係長だった。
「早見、おまえ、トシいくつよ?」
会社帰りに付き合った居酒屋で、係長にそう聞かれた。
「25ッス。大学一年ダブってるんで」
「カァーッ! 若ぇなぁ!」
天下係長は日本酒を吐く勢いで笑った。
「俺なんかもう42よ。羨ましいぜ、若さがよ」
「いえいえ青二才ッス」
俺はおべんちゃらを言った。
「経験豊富な係長みたいに早くなりたいッスよ」
「そうだろう、そうだろう」
もう酔ってるのか、係長の息が日本酒臭い。
「早く俺みたいになれよ」
「はい!」
三割本心、七割おべんちゃらでハキハキと返事をした。
天下係長はいいひとだ。こうして会社帰りに二人きりで飲むのもそんなには嫌じゃない。仕事もまぁ、できるんだと思う。俺が入社した時はまだ平社員だったのが、あっという間に係長に昇進したぐらいだからな。
とはいえうちの会社は大企業には程遠いから、たぶんだけど高所得ではない。
「早見、おまえ彼女はいるのか?」
そこはかとない加齢臭を漂わせながら係長が聞いてきた。
天下係長は独身だ。
できるだけ下に見られておいたほうが得な気もして、俺は嘘を言った。
「いないッス」
「なんだ、おまえ。結構遊んでそうなイケメンのくせに彼女いないのか」
「いい子いたら紹介してくださいよ」
まさか紹介されるとは思わないのでそう言ったのだが──
「総務課の高橋くんなんかどうだ? あの子、おっπおおきいぞ?」
入社したばかりの女子社員を紹介された。俺は笑って受け流す。
「ハハハ……。うちの女子社員、若くてかわいい子、多いッスよね」
「趣味じゃなかったか? じゃあ営業課の山口くんなんてどうだ? 彼女、名前がかわいいんだぜ? 山口緋鞠ちゃんだ」
「よく知ってますね」
俺は苦笑した。
「おまえ、こんなのエチケットだぞ。女子社員の下の名前ぐらい覚えてやっとけよ」
「じゃ、俺の下の名前知ってますか?」
「知らん。山口くんにも興味ないのか……。じゃあ、榛田くんは? あの子もいいぞ」
俺は笑ってごまかした。
榛田ひかりは俺の彼女だ。付き合ってもうすぐ一年になる。
「あっ? なんか今、笑ってごまかしたな?」
意外に勘のいい係長の言葉にドキッとした。
「惚れてるな? さてはおまえ、榛田に惚れてるな?」
少しホッとした。付き合ってることまでは嗅ぎつけられてはないようだ。
「あー……。でも、ダメだ。惚れても無駄だよ。残念だったな。榛田はな、俺に惚れてるらしいんだ」
係長の言葉に、酒を口に運びかけた俺の手が、ぴたっと止まった。
「なんて?」
ちょっとひきつった笑いになったかもしれない顔を係長に向けて、聞いた。
「あいつ、廊下とかですれ違うたび、俺のことを熱烈に見つめてくるんだよ。あの切れ長の目がな、俺を見るたびにしっとりと細くなって、恋する瞳が潤むんだ。俺の長い人生経験および恋愛経験でわかる。──あれは恋する女の目だ」
なんかヤバいなと直感した。
これはひかりのストーカー予備軍なのかもしれない。
「か、係長はひか……榛田さんのこと、どう思ってらっしゃるんですか?」
必要以上に力を込めて皿から焼き鳥を取りながら、探りを入れた。
「彼女には悪いが、俺はその気持ちに応えるつもりはない」
「ですよね!」
ホッとしたらポロッと焼き鳥を皿に落としてしまった。
「19歳差ですもんね。係長にはもっとオトナの女性のほうが──」
「何を言うか! 俺はまだ若いぞ!」
「す、すみません。そ、そうですよね」
なんか失敗した。話を少しだけずらそうと、焼き鳥を齧りながら俺は聞いた。
「係長は気になる女性とか、いるんですか?」
「好きな女なら、いる」
「おー!」
俺は身を乗り出した。
「誰? 誰ッスか?」
係長は胸を張って、俺の質問に答えた。
「若い女の子みんなだ」
「み、みんな……」
「俺は彼女たちみんなのものなんだ」
俺は黙って聞くしかできなかった。
「なんだろうな。俺ぐらい人生経験を積むと、嫌でも尊敬されるものなのかな。そして尊敬が憧れに、憧れはいつしか恋に変わるものなのだろうか」
天下係長は自分の言葉に陶酔するように語りはじめた。
「若い女子社員たちがどうやらみんな俺に惚れてるらしいんだ。みんな挨拶する時、恥ずかしそうに顔をそむける。俺が愛想のいい笑顔で、フレンドリーに手でピースサインを作って緊張をほぐしてやろうとすると、まるでラブレターを渡したあとの女子高生みたいに背を向けて逃げていく。……罪だよな、俺みたいな男って。しかし俺は誰か一人を選ぶつもりはない。俺は彼女たちみんなのものだ。アイドルって、辛いよな」
最初は冗談かと思って聞いていた。
しかし目がマジだ。普段ならこんな恥ずかしい話はしないひとなんだが、酔っ払って本音がいっぱい出ちゃったらしい。
「係長、背中に人生の重みが出てますもんね」
俺は心にもないことを言った。
「立派な雰囲気が女性をひきつけるのかな」
「そうなんだよ! そうなんだよ、早見くん!」
背中をばしっ! と叩かれた。
「やっぱり君とは馬が合うようだ。俺が部長になったら君の昇進を社長に進言してあげるよ!」
なんかますます気に入られたようだ。学生時代にホストの仕事を経験していてよかった。
ただ、このひとが部長まで上がれるとはちょっと思えなかった。
「なー、ひかり」
ベッドで俺の腕を枕にする彼女に聞いた。
「天下係長が、ひかりが自分に惚れてるらしいって言ってたんだけど──」
「はあ!?」
猫みたいにじゃれついていた彼女がガバッと身を起こした。
「なんだそれ!」
「廊下とかで会うたび、係長のこと熱烈に見つめるんだって、ひかりが。……本当?」
「そんなわけないでしょ!」
怒られた。
「もしかしてあたしが係長に浮気すると思ってるんですか? 一年近くも付き合ってるのに。ひどい……」
怒った顔をコロリと泣き顔に変えた彼女がかわいくて、思わずこめかみにキスをした。
優しい彼女のことが好きだ。たぶん係長の悪口を言いたいだろうに。そんなことは一言も口にせず、ただ俺一筋だという態度を見せてくれる。
まぁ、正直わかってはいた。
アラフォーで高所得でもないくせに二十代前半の女の子に好かれてると勘違いしているオッサンって、妙な自信があるんだよな。
それほど年寄りってわけでもなく、本人もまだ若いつもりで、体力もあって、その上で社会経験に基づく自信がマンマンだから、うぬぼれちゃうんだろうな。
まぁ、みんながみんなそうなのかはわからない。中には本当にモテてるおじさんもいるんだろう。金持ちだったり、高所得じゃなくても人柄で愛されたり。
でも、少なくとも天下係長は違うよなって、わかってた。だって、体臭すげーもんな。
ひかりもきっと、体臭への抗議のまなざしを向けてただけなんだろう。
それを悪口にして俺に言わない彼女を、俺は一生大切にしたいと思った。




