(3/4) 新幹線さくら569号の指定席
坂井玲奈は焦っていた。新幹線の指定席。博多行きのさくら号は席が中央の通路を挟んで2列ずつ。そして玲奈の横に新神戸から乗って来たのは高校の同級生、高橋健太郎ではないか。ただクラスが同じになった事はない。だから健太郎は玲奈のことは知らないだろう。実際、隣に座る時も何も言って来なかった。
しかし玲奈は動悸を抑えるのに苦労していた。というのも、玲奈は高校3年生のときから足かけ2年、高橋健太郎に片想いしていたのだ。
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玲奈は改めて高校3年の事を思い出していた。図書館で自分が好きな作家の本を探していた。見つけることはできたが一番上の段にある。背伸びしても届かない。その時、横から手が出てきて本を取ってくれた。
「はい、これ」
と本を渡してくれたのが高橋健太郎だった。
「この作家、いいよね。これは新しい奴だけど、2作目の"三角形の月"はお勧め」
そう言って高橋健太郎は歩き去った。ただ、それだけだった。しかし、それだけで十分だった。玲奈はその時から高橋健太郎を目で追うようになっていた。
名前やクラスも後から知った。クラブには何も入っていないが放課後、1人でグラウンドを走っていた。高鉄棒でトレーニングしている事もあった。少し変人なようだ。そんな高橋健太郎を放課後、図書館の窓から見ている玲奈も変人なのかもしれない。
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高橋健太郎は新神戸から新幹線に乗ったとき、隣に座っているのが同じ高校の坂井玲奈という事にすぐに気づいた。しかし声をかける事はできなかった。どう声をかけろと言うのだ。ずっと君のことを見ていました。とでも言うのか。それ、ストーカーだろう。
健太郎が坂井玲奈を初めて見たのは校舎の渡り廊下から校庭の隅にある菜園を見下ろした時だ。麦わら帽子と軍手でつちを耕している女子がいるのに気が付いた。鍬を持った女子高生という特殊な状況だが、額に汗して土を耕し、一息つくと満足そうに水筒の水を飲む姿が眩しかった。
どうやら園芸部の坂井玲奈さんというらしいのは後から知った。学内菜園で作業する坂井玲奈をつい見てしまう。校庭に遊びに来る猫とも仲がいいらしい。しかし園芸部には他の部員がいないのか、いつも1人だ。
そんなある日図書館で坂井玲奈を見かけた。一番上の段にある本を取ろうとしているが届いていない。健太郎はつい近付いて本を取ってに手渡した。
何か話したような気もするがテンパっていて全く覚えていない。しかし初めて顔を突き合わせた。健康的な顔だな、と思ったのだけは覚えている。
なぜ、あの時もっと会話しなかったのだろうか。今度菜園に行って話しかけてみようか、などと思っているうちに卒業してしまい、その後坂井玲奈に会うこともなかった。関西の大学に行きそれなりに大学生活に馴染んできたこの時、坂井玲奈に会うとは思いもしなかった。
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坂井玲奈は困っていた。指定席なので逃げる事もできない。閉鎖空間に二人だけいる気分だ。気を落ち着かせるために持参した本を読むことにした。そう言えば今日持ってきているのは"三角形の月"だ。高橋健太郎に勧められてから何度も読んでいる。取り敢えずこの本を読んでいるうちは隣を忘れていられるだろう。
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高橋健太郎は気になっていた。坂井玲奈が何か本を読んでいるようだが何を読んでいるのだろう。それを覗き込む勇気はない。何も気づかないフリをして前を見て座っているが、横を見れないので体を動かせず緊張してきた。さて、どうしたら良いのだろう。困った。
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坂井玲奈は本を手に持っているものの全く文字が見えていなかった。頭の中は隣の高橋健太郎が気になってグルグル回っている。左を向きたいがとてもじゃないけど、できない。体が硬直しそうだ。
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右を向いて何か言うべきだろうか。高橋健太郎は悩んでいた。いや、ここは行くべきだろう。しかし、あなた、誰?と言われたらそれまでだ。彼女はそんな冷たい人じゃないはずだ。優しい人だ。ん、それは自分の勝手な思い込みか?
いやいや、いくら考えこんでも結論は出ない。
よし、話しかけてみよう。
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あれ、自分は何を悩んでいるんだろう。坂井玲奈はふと気づいた。
彼は私の事を知らない。だから今以上に状況が悪くなることは無い。よし、話しかけてみよう。XXXX高校の高橋健太郎さんですよね、と。
当たって砕けろ。玉砕は、若さの特権だ。
ーー
二人がお互いの方向を向いたのは全く同時だった。そのせいで見つめ合ってしまった。どちらも言葉が出ない。
その二人の間にいきなり猫が現れた。
新幹線で猫?と思うより先に手が延びていた。二人同時だった。猫の喉を触ろうと延ばした二人の指先が当たった。
「ごめんなさい。猫がケージから逃げ出しちゃって」と前の席の初老の女性が猫を捕まえに来た。
しかし二人はその声が聞こえていなかった。
猫の喉元でお互いの指先が当たったまま、二人は見つめ合っていた。
猫は気持ちよさそうに目を細め、小さく鳴いた。




