(2/4) 深海探査船ナーチラス号
深海探査船ナーチラス号は順調に潜航を続け探査目標の4000m海底に到達した。乗務員は2名。海洋学者のクリス・タナカと地質学者兼メカニック担当の深沢恵美だ。
「深沢って名前はまさに深海探査学者みたいだね」
「つまらない冗談はやめて、クリス。覚えたての漢字を披露したがる外人みたい」
「それは偏見だよ。すぐ外人外人って言うね日本人は」
「日本人は、なんて言ってる時点で同じでしょ」
と、恵美が切り捨てた所で、クリスが言う。
「そうやって怒っている恵美も素敵だ。今晩、僕とベットで語り合わない」
「くだらない事言ってないで、仕事の準備をして」と恵美が冷たく言い放つ。
「あれ?」とクリスが叫ぶ
「どうしたの」
「通信が切れてる。潜航途中までは大丈夫だったんだが」
「バックアップ機器はどう?」
「3系統とも駄目だ。海上の母船と連絡できない。なんだこりゃ」
深海探査船は宇宙船並みに機器が多重化されていて事故を防止する様になっている。その探査船で通信が機能しないなど、ありえないことだ。
「少し人為的なものを感じるね」とクリスが冷静に言う。
「おかしい。搭乗2時間前の最終チェックでは全てグリーンだったのよ」
「その後の2時間あれば、あれこれできるな」
「じゃあ、うちのセンター員が工作した?」
「それは後からゆっくり調べよう。緊急事態だから浮上しないと」
深沢恵美が黙り込んでいる。額に汗をかいているようにも見える。
「どうした。浮上開始を頼むよ」
「浮上するためのバラスト分離装置が動かない。。。」
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問題発生から30分ほど経過したが状況は全く好転していなかった。クリスと恵美は浮上もしくは海上と連絡する試みを可能な限り行ったがどれも機能しなかった。
「すごいな。バックアップ系含めてここまで止めるなんて犯人はこの探査船のエキスパートだ。これだと候補者はごく少数で直ぐに犯人が分かりそうなだが、何考えているんだろう」とクリスが呟く。
「私達が浮上できなかったら、機器に細工があったとしても証拠がないんじゃない」
「なるほど。音声記録もないから。うん、困った」
「よく笑っていられるわね」
「いや、これでも焦っているんだけど、さて、どうしようか」
「クリス。もう1個すてきなニュースを言ってもいい?酸素があと1時間ほどしか保たないの」
「俺ってそんなに恨みを買っていたかな。あれ、恨みって売るものだっけ」
「私に喧嘩を売ってる?」
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更に30分ほど経過しクリスもやや諦め顔だ。
「もう駄目だな。僕らは海底の藻屑だ。海だけに」
「こんな状況でもくだらない冗談言えるの、ある意味すごいわね」
「日本語覚えたての外人だからね。僕の事好きになった?」
恵美が呆れて肩をすくめる。
「やれやれ、って感じ」
クリスが真面目な顔をして言う。
「でも、最後が恵美と一緒ならそれも悪くはない」
「ありがとう。いちおう、言っとくけど私もクリス、嫌いではないよ」
「じゃぁ、最後にやる?!」
恵美は何も言わずにクリスの股間を蹴り上げた。
声にならない悲鳴をあげ、倒れるクリス。
「ひどいよ。僕のスペルマが駄目になったらどうする?」
「もう使う機会もないでしょう?」
「あ、今の刺激で思い出したけど、この船には深海用の作業服が積んでなかったっけ?」
「試作品だけど。おまけに深海では未テスト」
クリスが恵美の肩を掴んで言う。
「僕がそれを着て、船外に出てバラストを外すよ。それで浮上できる」
「その場合、あのロボットのような深海潜水服を着たクリスはどうなるの?」
「潜水艇のアームを掴んで一緒に浮上するさ」
「無茶よ」
「無茶で紅茶でもやらないと。何もしないのが一番ダメだ。渋沢栄一も言ってたろ」
「言ってないと思うけど」苦笑しながら、ため息をつく恵美。
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クリスが船外に出てバラストを固定しているバーを1個ずつ外している。恵美が潜水服専用の短距離通信で話してくる。
「クリス、作業できてる?」
「あぁ、何とか行けそうだ。あと5分くらいで浮上できると思う」
ただ、クリスは気がついていた。今着ている潜水服では潜水艇のアームを素早く掴むような動きはできない。きっと、浮上を開始したら置いて行かれるだろう。ま、いいか。恵美は助かるだろうから。恵美なら潜水艇に細工をした犯人を見つけてくれるだろう。
それで十分だ。いや、恵美が助かるという事だけで十分だ。
「恵美。次のを外したら浮上開始だ。船体のバランスを失うから何かにつかまって」
「クリスもアームに早めに掴んで」
「無理だ。君だけ浮上してくれ」
「何、馬鹿、言ってるのよ」
クリスはそれに応えず最後のバーを外した。重り用のバラストが一気に外れ潜水艇が浮上を始める。恵美が通信で何か叫んでいるようだが、すぐに聞こえなくなった。もう潜水艇も見えない。
クリスは潜水服のまま海底に立っていた。作業用のランプの明かりが周りを照らしている。これもあと10分くらいかな。その後は本当の闇だ。よく寝れそうだ。
そう考えていたクリスの目の前に大きな物体が現れた。
あぁ、マッコウクジラか。奴らにしては記録的な深度じゃなかたっけ、ここは。明かりに誘われてきたのかな。とクリスはマッコウクジラに手を振ってみた。
ゆっくりと近付いて来たマッコウクジラはクリスの腕を軽く噛み、浮上を開始した。
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海上にあった潜水艇の母船は大混乱していた。通信が取れなくなっていた潜水艇が恵美だけを乗せ戻ってきた。恵美は潜水艇を出るやいなや船長に掴みかかっていた。
しばらく問答した後、恵美は罵声を船長に浴びせ、大ぶりの右オーバーハンドフックを船長に叩き込んだ。その周りで唖然とする乗組員たち。その瞬間、大きなマッコウクジラが海上に飛び出した。口にはクリスの潜水服を咥えている。
母船の甲板で大勢の乗組員が見つめている中、クリスは甲板に落ちてきた。
皆が駆け寄り潜水服を外して、クリスを立たせる。
恵美がクリスに駆け寄る。
「ははは、助かったよ。スペルマホエールのおかげだ。僕のスペルマも無事だ」
恵美は、何も言わずにクリスを殴りつけた。




