8.お姉ちゃん・辰上夜巳
二日後
漆紀と彩那の二人は夜野田の案内で辰上家の洋館へと向かっていた。世理架は真紀の身の安全のため病院へ向かった。真紀の病室には直接行かないものの、その階に行って見張りをするとのこととなった。
なぜ真紀に姿を見せないのかと世理架に問うたが、世理架いわく「私を友人というのは限界がある」とのこと。妙に漆紀と彩那は納得してしまった理由である。
かくして漆紀と彩那は夜野田が運転する黒塗りの高級車に乗ると、埼玉県秩父市にやって来る。山の麓から少し入っていった所にポツンと建っている洋館へと辿り着く。
洋館は塀で囲われており、正面には鉄の門がある。
夜野田曰く昔は屋敷だったらしいが、明治から大正に至る時期に洋館の形式を取り入れて立て直して今に至るそうだ。
「ここか。街からは少し離れてるな……夜野田さん、このまま案内頼むぜ」
「勿論ですよ」
「私は未だに疑ってるんですけどね……敷地を跨いだ途端、魔法でドーン! とかないですよね? 洋館入った瞬間に魔法ドーン! ってないですよね!?」
「そんなことは致しませんよ。ほら、こちらに」
夜野田は洋館の門を開け、両腕を真横に伸ばして危険が無い事を示す。
「さあ、こちらに」
漆紀達は敷地に踏み入った。しかし魔法による襲撃や罠は一切なかった。敷地内を見渡しても、怪しい人影は一切ない。辰上家の使用人達が堂々と庭の手入れや外の掃除を行っている様子が見れた。
「ふ、普通だ。お金持ちのお屋敷って感じだ、怪しいところはない……」
漆紀はそう感想を漏らし、彩那は使用人達の様子を見ても警戒を怠らない。使用人達が彩那に挨拶しても、彩那は警戒してるゆえか片言気味に固そうに「コンニチハ」と返すばかりだ。
「ではこれから洋館内をご案内致します。まずはお嬢様のいらっしゃる客間にご案内しますので付いて来て下さい」
正面の大きい扉を開けて洋館に入ると、そこは大広間だった。左右には細い廊下が広がり、正面にはT字に分かれた階段があった。
ただ、特徴的なのは屋敷の窓という窓は雨戸が閉め切られていて日光が差さないようにしてあるのだ。屋内はどこもシャンデリアや四角いランプ型の照明の明かりで照らされている。
「客間はこちらです」
そう言って夜野田は階段左側の脇にある扉の前に行くと、三回ノックする。
「お嬢様、ただいま到着致しました。例の方とそのお付きの方を連れてきました。入ってもよろしいですか」
『ええ、入って来なさい』
とても落ち着いた声色の、いかにもお嬢様といった感じのしっとりした声が扉の向こうから聞こえてくる。
「では失礼します」
夜野田は扉を開けると、ドアノブを持ったまま漆紀と彩那に「どうぞ」と入室を促す。
漆紀と彩那が部屋に入ると、余裕そうな表情と様子でソファーに座って足を組んでいる淑女がいた。彼女の外見年齢は一見すると二十代かその手前くらいに見えた。その瞳や物腰、頭頂部からつま先に至るまで佇まいが美しかった。
特徴的なのは薄っすら赤い瞳と、赤みがかった滑らかな黒髪。そしてヨーロッパ系の人種とのハーフであろう西洋的な顔つきをしていた。
「ようこそ、辰上邸へ。まずはそちらのソファーに座って?」
漆紀はいつになく無条件に尊重してしまいそうな年上女性の雰囲気に緊張し、彩那は相変わらず警戒故の緊張で固くなっていた。二人は表情が硬いまま、淑女の向かい側にあるソファーに座り込む。
「さて、まずは自己紹介から……私はここの現当主である辰上夜巳よ」
「夜巳さん、夜巳さん、夜巳さん……」
漆紀と二人は初対面ながらも名前を覚えるのに必死そうな様子であった。
「そう固くならなくていいわ。まずはそちらも自己紹介からお願いね?」
「じゃあ俺から。俺は辰上漆紀、夜巳さんからすると……従弟に当たるのか?」
「私は竜王様に付いている巫女で友達……よりは深い関係の竜蛇彩那と言います」
「自己紹介は済んだわね……ああ、会いたかったわ漆紀」
そう言うと夜巳は身を乗り出して漆紀を抱きしめた。
「へぁ!?」
年上女性、それも今まで見た事のないくらいの淑女的空気感を持つ者から唐突にも「漆紀」と名前呼びされた上に、身を乗り出されて抱きしめられた。漆紀は思わず高い声色の声で返事してしまう。それを見て彩那も「な、なにしてるんですか!」と驚嘆の声を上げる。
「あぁ、とても会いたかったわ漆紀。とてもとても……とても、ね」
一通り思いの丈を伝えると夜巳は漆紀から身を離してソファーに座り直した。
「まあ、とはいってもまだ二人とも私の事を信じられないはずよね……そこで、私の方からも色々話そうと思うわ。私が漆紀を恨んでなどいないという事をね。あ、そうだわ。六香、紅茶を持ってきてちょうだい。二人の分もね」
「かしこまりました」
夜巳の指示で動いたのは夜野田改め、六香だった。どうやら彼女は苗字を夜野田、名前は六香というらしい。六香は部屋を出ると、紅茶を用意しに向かった。
「さてと。はっきり言って、私は父が死んだこと自体は有難く思っているわ」
夜巳はそう発言し、この内容に漆紀と彩那は口を開けたまま静止してしまう。恨んでいると思っていた相手が、むしろ有難く思っているとは意外であった。
「まずね、私の父……辰上言夜は毒親と呼ぶに相応しかったわ。まだ三歳の私に対して酷く厳しく、母に対しても酷い扱いをしたわ。およそ妻とは思わぬ振る舞いの数々……子供を産み育てるためだけって感じだったわ」
「毒親……ですか」
自身の親を毒親と断じた夜巳に彩那は思わず反芻してしまう。
夜巳は暗い表情を浮かべて、過去の事を思い返す。漆紀には推し測れぬ苦労が夜巳にはあったのだろう。
「あまり語りたくないことよ。母が病んで死んだのも、原因は父のせいよ」
「んー……まあ、やばい親父が居たってのはわかったよ。それで、俺に会いたがった理由ってなんなんだ? 目的が見えてこないんだけど……」
漆紀は現状の話では夜巳の意図が見えて来ず、首を傾げてそう問いかける。
「あら? 家族に会いたいというのに理由が必要なのかしら」
夜巳が至極当たり前と言わんばかりん態度でそう言うと、漆紀は虚を突かれたように固まり、彩那は何か油断できないものを感じて夜巳に警戒の視線を向ける。
「本当にそれだけが理由か? 会いたいならもっと早い段階でも出来たんじゃないのか? なんでこのタイミングで俺をここに招いたんだ?」
「ふふふ、やっぱり何か察しているわね? 一番の目的はあなたに会う事よ。これは嘘偽りなどないし本心。でも、このタイミング漆紀を呼んだのにはもう一つ理由があるわ」
夜巳は一呼吸置いてから漆紀に弱弱しくもう一つの理由を吐露した。
「妹が引き籠ってるの。私じゃ力不足だからあなたに妹を部屋から救い出して欲しいの」
「妹? 待ってくれ夜巳さん。辰上家の子供はあんただけじゃ……」
予想だにしない情報に漆紀は困惑を示す。辰上家の子供は目の前の夜巳だけでなかったというのだ。
「あなたの父が、この辰上邸へ襲撃した際は、確かに子供は私だけだった……でもその時、母は妹を身籠っていたのよ。襲撃のあと、母は妹を生んだわ……まあ、それを機にいよいよ一層病んでいったのだけれどね」
「妹がいたとは……で、その妹が引き籠ってるって事だけど」
「そう、そこなのよ。あの子は今年で15歳、中学三年生よ。もう高校受験をする年を迎えたのにずっと引き籠っているのよ。塾にも行かないし、このままではまずいと思うの。私も色々やってみたけど、私ではダメなのだわ。情けない話だけど……あなたには、理想のお兄ちゃんとして妹に接してあげて上手く引き籠りをやめさせて欲しいの」
夜巳は姉として情けなさそうな様子で漆紀に小さく頭を下げて、そう頼み込む。それは辰上家当主としての様々なものを抑えて、恥や情けなさを飲み込んだ行動だった。
「わかった。いいよ、何から始めりゃいい」
「えっ、いいの?」
「竜王様、そんな即答しないで下さいよ!」
「姉の立場で色々やってみてダメだったら、今度は兄の立場で色々やってみようって事だろ? ならやるだけやってみよう」
妙に協力的な漆紀の態度に彩那は首を傾げるが、その理由を心中で色々考えてみるも最終的には「親族だから」という理由にしか辿り着かなかった。
「ありがとう漆紀。私の事はお姉ちゃんと呼んでくれても良いわよ漆紀!!」
夜巳は漆紀との間にあるテーブルに身を乗り出してそう提案するが、彩那が割って入って夜巳の接近を止める。
「ちょっとちょっと! さっきからなんで初対面なのにいきなりそんな親しい距離感なんですかあなたは! 竜王様もなんで即答しちゃうんですか!」
漆紀は彩那の耳元まで顔を近付けると、小声で耳打ちをする。
「いいか彩那、この件で恩を売れば関係は良好になるんだぞ。やるべきだ」
「そ、それはそうですが……ん~っ」
漆紀は気を取り直して夜巳と向き合い、話の続きをする。
「夜巳さんの妹、名前はなんて言うんだ」
「辰上天音よ。あと、私の事はお姉ちゃんと呼びなさい」
「えーっと、辰上天音、天音、天音……わかった。どんな妹なんだ?」
漆紀は従妹・辰上天音の引き籠りを更生させる上で、まずどんな人物なのか知るべく夜巳から特徴を聞き出そうと質問する。
「そうね。一見気弱で儚い感じだけど、小声や独り言でぶつくさと何か粋がるような事や調子に乗った事を言ったりするわ。変な挙動をすることもあるし……私があの年あいの時にはあんなことなかったのに」
「それだけ聞くと不審者みたいなんだが……性格とか趣味とかわかんないのか? とっかかりが欲しいぞ夜巳さん」
「そうね……天音は内向的な趣味よ。オタク……ってほどではないけど、一人でこっそり何か思う事を書き連ねたりしてるみたいよ。性格は……気弱ながら、チャンスと見たら変な行動を思い切って取るわね。昔はチャンスと見て私の紅茶に緑茶を混ぜるとかいう暴挙をやったことあるくらいよ。あれは許すまじだわ。あと、私のことはお姉ちゃんと呼びなさい漆紀」
「夜巳さん、執拗に竜王様にお姉ちゃん呼びを強要するのやめてください。あなたお姉ちゃんじゃなくて従姉ですよね?」
彩那が牽制すると夜巳は涼しい顔で動じることなく平然と返す。
「あら、従姉妹でも年上ならお姉ちゃん呼びくらいどこのご家庭も普通だと思うけど。というか、あなたは漆紀とどういう関係なのかしら?」
「巫女です。佐渡流竜理教って知ってますか」
「あーあーあー、宗教勧誘ならお断りだわ。でもまあ、あなたが佐渡流竜理教の信者だというのは今のでわかったわ。さて、本題に戻るけど……漆紀。妹はチャンスと見たら大胆な事をするわ。そんな感じよ。まあ、あとは会ってみればわかること」
「だな。実際に関わって話してみるのが一番だな。早速会いたいが、どこに居るんだ?」
「まあ待って。そろそろ」
夜巳が言い切る前に、六香が扉を開けてティーカップ三つとティーポットを乗せたトレーを持ってきてテーブルにそっと置く。
「紅茶お持ちしました。砂糖とミルクはご自由にどうぞ」
六香はそう言って静かに部屋から出ていく。夜巳が漆紀と彩那の分の紅茶を注いで、ティーカップを二人のもとに置く。
「紅茶を一杯飲んでからにしましょう。私は漆紀の事を知りたいわ。悔しいけれど、そこのご友人と比べてまだまだ壁があるのは事実……そうね、支障のない程度に私に話せることだけ話してくれればいいわ」
夜巳の妹・天音と会う前に、まずは眼前の夜巳と親交を深めるために話し込む必要があるとは漆紀も考えている。
どこまで話すかは漆紀の裁量次第だが、ここで漆紀は佐渡島での出来事を簡潔に話す事にした。
全て話し終える頃には、紅茶を飲み干していた。
「佐渡のあの大水害は貴方達が関わってたのね」
「おいその言い方だと俺達が首謀者みてーじゃないか! 関わってたっていうか巻き込まれてんだよ! それに、俺は佐渡の時の事に頭を悩ましてるんだ」
「そうね。もっと早く私と会ってれば、私が加勢できたのに……そうすれば漆紀のお父さんも、お嬢さんのお母さんも死ななかったかもしれないわ」
「え? ちょっと待って。その口ぶりだと夜巳さんが滅茶苦茶強いみたいな言い方だけど」
「え? 私は強いわよ、だって魔法使えるのよ? ちゃんと辰上家の固有魔法である理論武装は受け継いでるわ。三歳の時点で理論武装を一つつけれるぐらいだし」
理論武装。
それは宗一の日記に書かれていた、辰上家の血筋の者に使える固有魔法。日記に書かれていたことを思い出し、漆紀は「あ~」と納得の声をだす。
「夜巳さんもちゃんと魔法使えるのか」
「ちゃんとってなによ。ただ家督だけ継いでるお嬢様と思ってたの? 一応天音も魔法使えるわ。といっても、使ってるところは全然見てないけどね。あとそろそろお姉ちゃんって呼んで」
「なるほど。とりあえず色々話せたと思う。俺も夜巳さんの事は色々知りたいけど、そろそろ天音と会ってみないとな」
「そうね。なら私が案内するわ。というかそろそろお姉ちゃんと呼んで」
「しつけーよ! 俺もう17歳だぞ! お姉ちゃん呼びが許されるのは小六ぐらいまでだろ! 俺みたいなある程度成長した野郎がお姉ちゃんとか呼んでたらキモイだろうが! 妥協しても姉ちゃんだ!」
「む~っ……わかったわよ。じゃあ付いて来なさい。紅茶は後で片付けるから」
そう言って夜巳は立ち上がり、部屋を出る。漆紀と彩那もそれに付いて行き、部屋を出る。大広間中央にあるT字の階段の裏に回る、と地下へと続く大きい階段があった。
15段ほどの階段を降りると廊下が左右に伸びていた。
「ここよ」
廊下の奥へ行くことなく、夜巳は正面の扉を指してそう言った。