7.食卓への訪問者・夜野田
漆紀はその後、彩那と共に真紀の入院する病院へとやって来た。驚いた事に、真紀の部屋の前には世理架だけでなく警察官が居た。事情を聴くと、神代葉月の手配で真紀の身の安全の為に警察が配置されたのだという。これで真紀が竜理教に攫われる危険性は低くなった。
神代葉月と言えば、漆紀に学徒会行きを提案した警察官であり、漆紀の事情を知る警察官でもある。
そして入院中の真紀の表情はどこか憂いのあるものの、深刻な雰囲気はなかった。
真紀の様子を見て彼女の身の安全を確認した漆紀は、彩那と共に病院を出た。
病院を出た二人が向かったのはスーパーだった。スーパーで食材を買うなり、二人は漆紀の自宅へ向かった。
「たまには家に戻らねえとな。家ん中が埃まみれになっちまう」
「そうですね。食材もわざわざ買いましたし、夕食作りましょっか!」
漆紀と彩那は自宅に入るなり、夕食の準備をする。
炊飯器の中身は当然空なので、主食はパンである。そしてパンに合うメニューを彩那は考えていた。
「ビーフシチューを作ります!」
「まあ、そのための材料だしな。じゃあ、サクッと調理するぞ」
漆紀と彩那はそれぞれ分担してテキパキとシチューの具材を切ったりして準備を進める。
そうして調理をすることおよそ四十分、ビーフシチューが出来上がる。
「案外サクッと出来ましたね。もう時間も夕方ですし、食べましょう、竜王様!」
「そうだな。んじゃ皿頼む、俺飲み物入れるから」
言葉通り漆紀はコップを取り出すと、お茶を漆紀と彩那の二人分用意する。
彩那は皿にビーフシチューを盛り付けると、テーブルに置く。また、買って来たロールパンを袋から取り出すと、皿に盛りつけてテーブルの真ん中に置く。
「じゃあ、食べましょうか。いただきます」
「いただきます」
そう言うと、二人はロールパンを一口齧ってからスプーンでビーフシチューを一口口内に放り込む。
「うん、野菜良い感じに煮えてるな。固くなくていいじゃん」
「竜王様こそ、バラ肉を良い感じに切ってくれてるじゃないですか。食べやすいですよ」
二人が黙々と食事をとっていると、不意に玄関のインターホンが鳴る。漆紀は立ち上がって玄関の方へ行く。
「なんだろ、宗教勧誘とか保険屋ならお断りだぜ」
玄関のドアののぞき穴からドアの前にいる人物を覗き見る。そこには黒いレディーススーツを着た二十代前半ほどの女性が立っていた。女性は端麗な空気感を漂わせていて、どことなく仕事が出来る女といった風格を感じさせる様子だった。
「夕食の頃合いに失礼します。私めは夜野田と申します。タツガミさんのお宅ですよね?」
「夜野田って……竜王様のお父さんに協力的だった辰上家の人ですよね?」
いつの間にか漆紀の後ろに来ていた彩那が夜野田という名前を聞いて宗一の日記にあった人物だと呟く。しかしドアの前に居る女性の外見年齢を考えると、恐らく当時宗一が洋館に行った際に居た「夜野田」とは別人でなくてはおかしい。
「とりあえず開けてみるか」
漆紀は意を決して扉を開け、夜野田と名乗った女性と相対する。
「夕食の頃に申し訳ありません」
まず女性はそう言って、漆紀の方へと深く頭を下げた。
「私め、あなたに折り入ったお話があって参りました。上がってもよろしいですか?」
「待て待て待ってくれ! 夜野田さんだっけ? あんた……辰上家の夜野田さんで間違いないんだな?」
「はい。先代に代わって、今は私めが細事に大事まで励んでおります。そのご様子からして、私めが何者か……そしてあなたのお父上が我が主とどういう関係にあるかご存じのようですね」
「だから警戒してんだ。あんた、俺の首を掻きに来たんじゃないだろうな?」
「違います。初対面から不仕付けでございますね。とにかく、一旦上がらせて頂けますか? 立ち話はあまりよろしくありませんので」
「それ俺が言う方だから! わかった、上がってくれ。食事中だったんだよ!」
「竜王様に変なことしないでくださいよ」
そう言って漆紀と彩那は夜野田と名乗る女性を家へと招き入れた。
漆紀は夜野田の分のシチューとパンを用意してテーブルに置いた。
「どうせだから夜野田さんも食べていってくれ。話は食卓でだ、これを食べてくれたらある程度は俺も彩那も信頼出来る。初対面の相手が出した食べ物を、信用して食べるわけだからな」
「……わかりました。私めに敵意が無いと信じて頂けるのなら」
そう言って夜野田は漆紀と彩那の向かいの席に座って両手を合わせる。
「いただきます」
そう言ってシチューを一口、躊躇わずに口に運んだ。
「よし。夜野田さん、俺は俺ん家とそっちの辰上家がかつて戦った事は知ってる。それで、このタイミングになってなんで俺ん家に来た。てか、どうやって俺ん家を知ったんだ?」
「簡単です。便利屋タツガミに行き、込木さんから聞きました。先代……父の事を話したら信用して頂けました。そしてここに至ります。そしてあなたの父・辰上宗一はなぜいないのですか?」
「父さんなら死んだ。あまりベラベラと他人に話す事じゃないし、これについては話したくない」
俺が少し視線を落としてそう言うと、夜野田は少し身を引いて話を続ける。
「失礼しました。それならば親の反対という大きな障害はないようですね……」
「さっき込木さんから聞いたって言ってたな。で、一体何の用事でここに来たんだよ。今の辰上家は、俺ん家に敵意があるのかないのか教えて欲しいもんだ」
漆紀が率直に知りたいことを質問すると、夜野田は首を真横に振って敵意の旨を否定してみせた。
「敵意はありません。むしろお嬢様は、あなた方に会ってみたいとおっしゃるのです。それゆえ私めが急ぎ足で参りました。どうか、お嬢様に会って頂けないでしょうか?」
会いたがっている。
そう言われて漆紀は困惑してしまう。敵意が無いという点については少し肩の力が抜けたが、これが嘘という可能性もある。加えてお嬢様、おそらくは辰上家の子供が漆紀に会いたがっているという事に不安を抱いた。
会いたい、と言っているがその目的が定かではない。仲良くなりたいのか、それとも実は殺したいのか。
「会いたがっている、だけじゃわからないぜ夜野田さん。目的はなんなんだよ」
「会うのが目的ですよ。とにかく会ってみたいと」
「そりゃ、俺も会ってみたいと気がかりではあるけど……」
「待ってくださいよ竜王様。怪しさ満点じゃないですか。目的を一切言ってないんですよ? こんなの罠じゃないですか!」
「私め、お嬢様に敵意があったのならば込木さんに会った時点で、彼の首を掻き切っておりますよ。しかし、そうはしておりません。礼節に則り、こうしてお話に来た次第です」
夜野田の言葉は尤もだ。敵意があり、報復行動に出るというのならば便利屋タツガミに来た時点で漆紀にとっては大事な人間に当たる従業員達を殺している事だろう。
「まあ、理屈は通ってる。彩那。俺は会いに行こうと思うぞ」
「え!? ちょっと竜王様、それは」
「俺もそりゃ疑いが全くゼロじゃないけど、でも過去の事はどうであれ、家系図的には辰上家のお嬢様って、俺の従姉だぞ。血の繋がりはゼロだけど親族なら会ってみたい。どんなヤツなのかってな」
「なるほど……わかりました。ならもちろん私も同行しますよ竜王様」
「ああ、わかってる。でも念のため、世理架さんにも来て貰えないか聞いてみるか」
漆紀の言葉に夜野田は少し微笑んで、主の考えを聞き入れてくれた漆紀に礼の言葉を述べる。
「ありがとうございます。日取りはいつでもよろしいですよ。お嬢様は暇人ですので……私めが洋館まで案内致しますから」
「わかった。それなら夜野田さん、連絡先を交換しよう」
そうして連絡先を交換すると、三人は食事を続けた。
やがてシチューとパンを食べ終えると、夜野田は謝礼とばかりに封筒をテーブルに置いて玄関の方へと向かった。
「それでは私めはそろそろ御暇させていただきます。本日は失礼しました」
そう言って漆紀と彩那に頭を下げると、夜野田は玄関を出て暗い夜道を歩いて去って行った。
「辰上家、楽しみだな」
「私は罠じゃないかと未だに気が気でないですよ竜王様」