30. 世理架と醍醐の雑談
世理架は大寺院の食堂に居た。
竜理教の信者達が楽しそうに談笑を交えつつ竜理教の教えに則った食事を摂っている。
その食堂の端、一番隅のテーブルで世理架は醍醐と対面していた。
「食事ですよ」
醍醐は竜王様とは呼ばなかった。他の信者は世理架の顔を知らないし、醍醐が竜王様と口にしてしまえば信者たちは世理架をその場で祭り上げ崇め狂喜乱舞するからだ。
世理架という一柱の竜王がこの大寺院に居ること自体は信者達も知っているが、世理架が竜王だとは醍醐は伝えていない。
「……」
世理架は無言で箸を摂り、トレイに乗った食事を見る。白米、鱒の塩焼き、漬物、根菜のサラダ、みそ汁、それらは質素ながら栄養バランスが考えられた献立だった。
それを見た世理架はため息と吐いてから醍醐の方を見て言う。
「こんな健康的な食事は久しぶりだ。専らゼリー飲料と野菜やヨーグルトばかり食べているからな……いただきます」
世理架は鱒の塩焼きに箸をつけ、鱒の身を解していくが。
「肉を禁ずる竜理教にとって魚は大事な動物性タンパク質……なのですが、魚の身を解すのは相変わらず下手なのですね。昔のままだ」
「うるさいぞ。肉はないのか肉は」
「わかっているでしょうに、肉などありません。あなたは随分と、変わられたのですね」
世理架も醍醐もお互いに歳を取り、かつての自分とは大きく変わった。
「……関東大震災の後、わたしが非難を受けている間……本当はお前に居て欲しかった。ずっとお前に居て欲しかった。だが、お前は去った……」
「申し訳ありません」
「関東大震災だけが地獄だと思っているのか?」
「いえ……想像はつきます」
世理架が見た関東大震災とは別の地獄とは、第二次世界大戦の事である。
東京大空襲。街が焼き尽くされ、辺りは地獄の火炎で包まれ、人々は黒々と焼かれながらも助けを求める。そんな地獄を見た世理架は、人を救済することを諦めやめた。
その苦悩や心を蝕むトラウマは今でも世理架の中を救う事なく巣食っている。
「第二次世界大戦……東京大空襲、これだけ言えばもうわかるな?」
「ええ。地獄であったと思います」
「アレを見たわたしは、もう人々を救済などまっぴらごめんだと考えた。どれだけ救っても、わたしの手の平には限りがある。個人の力には限度がある。救えなかった人々が、今でもわたしの耳元で囁くんだ、お前の所為だって……」
「それは……いえ、その話題はやめましょう。食事が不味くなります」
醍醐がニカっと笑みを浮かべると、世理架は固い表情を緩ませて物憂げながらも僅かに口角を上げる。
「鱒はお好きですか?」
「鮭とは違う手ごろな大きさで食べれるから好みだ。一番好きな魚は鰤だな。煮ても焼いても刺身でも旨い」
「存じております、好物はお変わりないようで。鰤をすぐに手配させましょう。夜には食べれますよ」
「あまり信者をこき使うな、司教になって随分と振る舞いが大きくなったものだ」
醍醐は両手と両肩を上げて困った様子を見せる。
「私はあなたの為に司教になったのです。あなたの良き生活の為なら多少急な指示でも飛ばしますよ」
「……彼らが竜国の民というわけか」
食堂に居る竜理教の信者達を指して世理架は醍醐の語る竜国の民の実態を問う。
「そうです。福井県民の半数以上が竜理教の信者です。この国はもはや竜理教の国と言っても過言ではないのですよ」
「んー……」
世理架は指差す手を止め、食事を摂る手を進める。
「私はブラッド・E・ブラッツの召喚物となって以来、歳を取ることなく生きながらえた……そして彼の者は、私を召喚物にして以来姿を見せていない。そもそもなぜ、向こうから姿を現したのか……全くわからない」
ブラッド・E・ブラッツ。魔法使い達が住まう異界において禁忌とされる存在であり、異界の魔法使いが憎んでいる存在。竜理教からすれば知ったことではないし無関係な存在なので、ブラッド・E・ブラッツへの竜理教の感情は平坦なものだ。
「そんなものと、契約をしたというのか」
「可能性に賭けたと、言って頂きたいですね」
魔法使いから忌み嫌われるブラッド・E・ブラッツとの契約。それは危険極まりないものであり、正しく賭けに等しいものであった。
「醍醐、ブラッド・E・ブラッツが何者なのかちゃんとわかっているのか?」
「人の身でありながら、神になった男。死後、キリスト同様に復活したことにより神格を得て神になってしまった……今もこの世界のどこかに潜み隠れ、気まぐれに動いていると聞いております」
ブラッド・E・ブラッツは醍醐の説明通り、人の身で神になった男である。それは禁忌であり、魔法使いから忌み嫌われ憎まれる理由でもあった。
「そうだ。そうとわかっていて、お前はヤツと契約して召喚物になったというのか」
「はい。賭けではありましたが、あなたの為の国を作るには、人の一生では足りなかった」
「そうだな。関東大震災から今日に至るまで、約百年だ」
「こうして、あなたと食卓を囲うのも約百年ぶりです……こうしていると、昔と変わらない気がします」
「だが、お前は大きく変わったな醍醐」
世理架からすれば自身の元から離れていった醍醐は大きく変わってしまったように見えた。
「お答えは、出せませんか」
「出せるわけがない。これまでのわたしの年月はそう軽くない」
これまで約百年に渡り世理架の抱えて来た苦悩やトラウマは決して軽いものではない。
たった一日で簡単にひっくり返るような軽薄で薄っぺらいものではなかった。
「難儀な方だ……そして業の深い方だ。食事が終わったら、部屋でご自由にお寛ぎください」
「……食事のとき、お前はよくわたしに妙な雑学を教えてくれたな。今日も何か、教えてくれないか?」
世理架は昔の事を思い出し、食事の頃を習慣を思い出して醍醐に返答を求める。
「では、地球上の水の話をしましょう。地球上では海が占める割合が約七割であるのは御存じですね?」
「ああ、常識だ」
「それでは地球上の湖は地球の何パーセントを占めるか知っていますか?」
「湖だと?」
「ええ。地球上の全ての湖合計してです。有名なアメリカの五大湖は勿論、日本国内の小さい湖まで全て含めてです」
地球上で海が占める割合は有名かつ常識だが、湖が地球上の何パーセントを占めるかは知らない人間が多い。そもそも湖が地球上の何パーセントを占めるかなど気にすることなどまずないだろう。
「海の割合が多いんだ。推測だが、巨大な湖から小さい物も含めて七パーセントぐらいか?」
「いえ、もっと少ないです。答えは約三パーセントです」
「三パーセントか……海に比べれば、やはり湖とは小さくどこか儚いものだな」
「ええ。五大湖やバイカル湖といった巨大湖から小さい湖まで合計して三パーセント……地球上では淡水がいかに少ないかがわかりますね」
淡水は人類にとって必要不可欠な水である。今回は湖に限った話だが、淡水の水源は湖だけでなく湧き水や地下水なども含まれる。そうした淡水が今日に至るまで人類を支えている事実を世理架は今回の話題で再確認する。
「そう考えると数少ない淡水で今の人類が成り立っているのは不思議なものだな」
「どうです、妙な雑学。久しぶりでしたが」
「ああ、面白い話であった」
面白い、と世理架が口にすると醍醐はにこやかに笑みを浮かべトレイに乗った鱒の塩焼きを解して一口含む。
世理架は醍醐のこれまでの発言で、彼が今まで何をしてきたのか、今何を為そうとしているのかは理解出来た。その上で世理架は今後醍醐が何をしたいのかが気になった。
「醍醐……お前はここまで準備して竜国を立ち上げて、そしてどうしたいんだ」
「簡単な事です竜王様。一度言ったではありませんか。また暮らしましょう、かつてのように」
「醍醐……お前の言葉は、その……嬉しいが、わたしはそんな簡単に答えられない」
「ええ。だからゆっくりしてください、この国で。よくお考え下さい。私は待っていますよ」
醍醐は決して世理架に結論を急く事は無かった。
世理架も結論を急く気はなかった。簡単に出せる答えではなかった。




