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20.竜王の涙~Dragon's Tear~

午後十時、漆紀は天音の急襲を警戒して迂闊に眠りにつけなかった。

ベッドで横たわるものの、今夜部屋に話をしに来ると言った夜巳が来るまで安心できなかった。安心できない心持ちのまま待っていると、部屋のドアがノックされる。

「夜巳さんか?」

「ええ。予定通り来たわ。色々踏み込んだ話をするには、これくらいの時間がいいわ」

夜巳がドアを開けて入ってくると、部屋の鍵を閉める。恐らくは天音の侵入を防ぐための施錠であろう。ベッドに腰掛けて漆紀の隣に並び、落ち着いた様子で話を始めた。

「さてと、深い話をしましょうか。そうね、あなたの苦労話とか、悩んでいる事を話して欲しいわ。お姉ちゃん……厳密には従姉だけど、実の姉と思って話してくれていいわ」

実の姉、と言われても漆紀は姉などいないので実の姉と言われても距離感が全くわからず実感が湧かない。

「そう言われても、どこまで話していい距離感なのか」

「どこまでだって話していいわ。だって今夜はあなたのお姉ちゃんだから」

澄んだ笑顔で漆紀を見据えながら夜巳は柔らかく語り掛けた。

「……」

漆紀は暗く視線を落とす。思えば春休みから今に至るまで漆紀は非日常の連続であった。

ムラサメとの契約、夜露死苦隊、萩原組、魔法、竜王、佐渡の戦い、父の死、先日の武蔵多摩高校の大爆破。

それらの出来事全て漆紀には辛く後悔を伴う出来事であった。特に、烏丸蒼白による高校の大爆破はあまりに理不尽な悲劇であった。

それを防げる立場にあった漆紀に降りかかる後悔は計り知れない。

春休みも含めて、己の後悔や抱えた事を、会って初日で話していいのだろうか。深く、深く悩んで言葉を出せないまま漆紀は止まってしまう。

「漆紀、大丈夫よ。どれだけ言いにくい事や、会って初日で言うのは憚られるだなんて気にしているなら大丈夫よ。さっき言ったでしょう? 今日はお姉ちゃんよ。これから信頼を築く上でも大切なことよ。だから、なんでもちゃんと受け止めるわ」

「ぐ……本当になんでも?」

「ええ。まあ、夜にいつも悶々としてるだの、あのお嬢さんをどうこうしたいとかそういう話ならダメよ」

「んな話しねーよ! そんな関係じゃねえから!!」

「言っておくけど、私から見るにあのお嬢さんは本気であなたの事が好きだと思うわよ。もちろん恋愛や情愛という意味の好きよ。たとえ儀式の効果だろうと、彼女が抱いてる気持ちは本物よ。彼女にはよくしてあげた方がいいわよ漆紀」

「わかったよ。でも、俺だって色々考えてんだ。アイツが生理の時だって面倒見た仲だし。そんなすぐ付き合おうぜだの将来的に結婚しようぜだの言い出せるもんじゃねえよ」

話の流れを乱され、漆紀は先程までの緊張が解けた。息を整え、深く一息吐いてから夜巳の方を見て声を漏らした。今なら話せる気がしている、夜巳に、家族にならば話せる。

夜巳は従姉であり、真紀や祖父母を除けば数少ない家族の一人に当たる。そして漆紀は祖父母に関しては別々に暮らしているしあまり親しみが無い。

会ったばかりだが、祖父母よりも夜巳の方がどこか頼れるし安心感があった。それは夜巳が漆紀より年上だからというのもあるだろう。

「大丈夫よ。今から話す事、誰にも話さないわ。私が全て受け止めるから……お姉ちゃんに話してみて、ね?」

「なんで夜巳さんは、そんなに俺に優しいんだよ。おかしいぐらいだ。俺達会ってまだ間もないのに、どうしてなんだよ」

漆紀の疑問は至極真っ当であった。漆紀と夜巳は家系図的には家族に当たるが、夜巳からすれば漆紀は従弟であるためどこか他人のはずだ。

にも拘わらずこれほど漆紀に寄り添う姿を見せる夜巳に何か裏があるのではないかとすら勘ぐってしまうほどであった。

疑いを持つ漆紀のそれを解くように、夜巳は漆紀を抱き締めると彼の額に唇を落とした。

「夜巳さん?」

「死んだ母が言ってたことよ。あなたは姉として生まれたのだがら、生涯姉として振る舞い続けなければならないと」

「それは……呪いじゃないのか?」

「そうかもしれないわね。でも、私が年上であるのは事実よ。私には、お姉ちゃんとしてしてあげられることはあなたの味わった苦難や苦痛、それを受け止め軽くしてあげることよ」

唇を離すと、夜巳は吸血鬼というよりは女神のような微笑みを漆紀に向ける。彼女の言葉と表情に、漆紀の固まった頭と体は解けた。

「なあ夜巳さん、俺な……」

そこから漆紀は、昼間の際は夜巳に話さなかった春休みの事も語った。夜露死苦隊に因縁を付けられ、最終的に萩原組へ襲撃を仕掛けたこと。

自身の性分で戦い続けた事で、妹・真紀を巻き込み彼女の声を奪ってしまったこと。

春休みから今に至る後悔や苦悩を語った。武蔵多摩高校の大爆発の真実も。

この時、不思議と漆紀は夜巳に対して家族特有の安心感を抱いた。血の繋がりはないのに、真紀と同等かそれ以上に落ち着きを持って話せた。

「つれえよ。そりゃ普段メシ食ってる時や風呂入ってる時や外に出かける時にまでつらい事を考えるワケじゃないけど……でも、ちょっと落ち着いた時なんかに後悔が襲ってくるんだよ。妹の件は、この前病院に行って許してくれて……少し軽くなった。でも、父さんが殺られたことや、学校の大勢が爆死したことはつれえよ……俺が助けられたはずなんだ。手が届いたはずなんだよ、クソっ……」

夜巳は漆紀を何か評することはせず、静かに慈しむ目をして話を聴き続ける。

「俺は正義の味方なんかじゃない。だけど、アイツを止めれる立場にいたことは事実なんだ。それが出来る立場なのに、阻止できなかった!」

これまで漆紀が思い悩むことは、決して軽い事ではない。肉親のこと、友達のこと、爆死した同級生達、決して軽いはずがない。

「この前の武蔵多摩高校の大爆破……犯人の烏丸は、クソ野郎だった」

「どんな酷い人だった?」

「魔法を使って爆破依頼を受けてて大金稼いで、その爆破で誰が死のうがどうでも良いって言っててよ。そんで大金任せにやりたい放題、殺しまくりに女食い放題って……相手が妊娠したり面倒臭くなったら、相手と親ごと爆殺してるとか……本当にクソ野郎だった。しかもアイツは、魔法だから捕まらないとか、魔法使いだから許されるんだよとか、言ってやがった」

 今思い出しても漆紀は蒼白のことを許せないと身震いする。漆紀の話した内容に夜巳もどこか憤りを覚えてたのか曇った表情を浮かべる。

「それは、酷く倫理に欠けた鬼畜だと思うわ。品性の欠片もないわ」

「でも、そいつがそんなカミングアウトをしてくるまで、普通に友達だったんだ。でも、クソ野郎だと分かったし、すげえ怒りで一杯になって……俺は烏丸を殺した」

「そうだったのね……」

「あんなクソ野郎だったってのに……未だに友達なんかじゃないって割り切れねえんだ。クソ野郎なのに、頭の中から……烏丸とくだらねえ話をした事とか、遊びに行った事とかが消えねえんだよ……あんなクソ野郎が、バカ野郎が……っ!」

蒼白の鬼畜を目にしても、頭には蒼白との思い出は残っている。それがより一層漆紀を苦しめるばかりだった。

「そうね。あなたは敵を殺したというより、友達を殺したのかもしれない。でも、あなたは更に起こるだろう爆殺を止めた。その事実にも目を向けるべきだと思うわ」

「わかってる……それはわかってるんだ。今までだってな……俺、覚悟決めてやってきたんだよ。でも……悪い…………やっぱ、つれぇよ」

漆紀は拳を握って、強く歯軋りをする。蒼白を殺した事が自分にとって正しいことだったのか漆紀にもわからなかった。

「漆紀、私の目を見なさい」

夜巳が漆紀の両頬を触れ、漆紀と視線を合わせる。

「あなたは頑張ったわ。これまで、色々な後悔と苦悩があったことだわ」

「あぁ」

「でも今、あなたを責めている人は誰もいないでしょう? それが答えよ」

夜巳は漆紀の頭を両腕で包むと、そのまま自身の胸元まで寄せて抱き留めた。

まるで子供を諭す母親の様に夜巳は慈愛と親愛を込めて漆紀に言葉を贈った。

「ずっと悩んでたわよね。大丈夫、これからはお姉ちゃんがいるわ。信じていいわよ……私を頼って頂戴。お姉ちゃんは、いつでもあなたの味方よ」

つい先日会ったばかりだ。それなのに、漆紀はこれまでないほど夜巳に対して心地良さと親しさを感じていた。夜巳の抱擁と母性が、漆紀を包む。

「頑張ったわね、漆紀。お姉ちゃんは嬉しいわよ。あなたに会えて」

夜巳は吸血鬼だ。人間とのハーフだが吸血鬼。どちらかと言えば悪者に分類されるはずの種族の夜巳は正反対の女神にでも見えるかのような安らかで慈愛に富んだ笑みで漆紀にそう囁いた。

「ぐっ……、すまねぇ……」

漆紀は今まで、誰にも聞かせた事などない震え声を漏らす。否、震え声などではない、それは子供でも漏らすであろうありふれた泣き声。

「うっ、ぐぐっ……ありがとう…………姉ちゃん」

漆紀は顔を大きく歪ませて涙を零した。決して夜巳に顔を見られないようやや下方向に夜巳の胸元に顔を埋めて、夜巳を力強く抱きしめて泣いた。

「ああああぁぁぁぁ!! ううぅっ、ぐうっ、ぐぐ……」

(あなたはとても人間的よ。心のない竜王なんかじゃない。これからは私が付いているわ)

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