19.彩那と夜巳、乙女の会
その後、漆紀と彩那は何事もなく屋敷内で快適に過ごせていた。あまり寝すぎず、暇な時間はインターネットサーフィンに興じるばかりであったが、快適であったことは確かだ。
昼食を食べ終えてからも、漆紀は部屋でくつろぎ備え付けの本棚にある本に興味を示し読んでみたりと暇つぶしには事欠かなかった。
そうして夕方を迎え、夕食も食べ終えた。夕食は昼食とは打って変わって少々豪華なものが出た。それらはどれもレストランで食べるような味わいであり、漆紀と彩那は心底「屋敷ってすごい」とばかり思った。
食事の時は彩那と天音が常に睨み合い言い合い、それをやれやれと呆れた様子で漆紀と夜巳が仲裁に入るばかりだった。
夕食を終えた漆紀や彩那がやるべきことは、入浴くらいであった。
彩那は貰った着替えとタオルを持って、浴場へ向かう。この洋館は今日の漆紀と彩那のような客人を迎える事も出来るように大きめの浴場が男女共に用意されている。
彩那は更衣室で服を脱ぎ、タオルを片手に浴場へと入ると。
「待ってたわ、お嬢さん」
浴場には大浴槽に浸かりながらスポーツドリンクを手に持つ夜巳が居た。彩那より身長が高く、大浴槽から出している首筋や肩に胸、そして足からは人間離れした肌艶が見てとれた。
「え、わざわざ私が入ってくるまで夕食からずっとお風呂に入ってたんですか?」
「そうよ。あなたには色々聞きたい事があるからよ。初対面だけど、そう固くならないで話してくれると嬉しいわ」
「直接入浴を誘いに来ないとか案外人見知りなんですね。何を話せば……いや、十中八九竜王様のことですよね。でもまだ私としては誘拐された身だし信用しきれないんですけど」
「十中五が漆紀の話よ。もう半分はあなたの話かな。誘拐の件は妹を助けるためだったのよ。許して」
「わかりましたよ……それで、話はどちらから?」
「あなたの事から聞きましょうか。ここで漆紀の話をすぐ聞くのは、はしたないわ」
まずはその場にいる彩那の事から知るのが礼節に則ると考えて夜巳はそう問う。
「せっかくだから、私が背中を流してあげるわ。色々話しましょう?」
夜巳は大浴槽から立ち上がって、その全身を彩那に見せる。同性とはいえ初対面から大して時間が経っていないのも相まってか、彩那は夜巳の姿を見て硬直してしまう。
先程から覗かせていた夜巳の肌艶が全身に渡って見え、首筋からつま先に至るまでの輪郭の曲線やスタイルが美術品の様な綺麗さで、彩那はその場に居るのが恥ずかしくなった。
「ほら、座ってちょうだい。年上だから緊張しているの?」
夜巳がシャワーの前にあるバスチェアを立てて彩那を座らせる。夜巳はシャワーから温水を出し、持っていたスポンジに温水をかけてから備え付けのボディーソープをスポンジに吸わせて泡立てる。
「もしかすると私を見て見惚れた? でも私からするとあなたの姿も可愛らしくて羨ましいわよ。だから肩の力を抜いて、ゆっくり話しましょう?」
夜巳は彩那の両肩に触れると優しくゆっくりと宥めるようにさする。
「私は……佐渡流竜理教の司教家長女です。で、竜脈の巫女で竜王様とは流血の儀という儀式をしました」
「それ、最初に客間で話した時も言っていたわね。流血の儀ってどんな儀式?」
彩那は真後ろの夜巳の方に振り返ると、顔を近付ける。
「大竜脈の下に来て……このくらいの距離感で一振りの刀でお互いの首筋を切って血の交換をするんです」
「血の交換……随分深い仲ね傷つける儀式なのはいただけないけれどね」
「でもこの儀式をすると恩恵があります。私は竜王様の力の一部を、竜王様は私の使う力の一部が使えます。まあ、竜王様が私と同じ魔法を使ってくれるところ一度も見てないですけど……」
彩那が落ち込んで下を見ると、夜巳は彩那の背中をスポンジで洗っていく。
「なるほどね。結構細かい所で漆紀からの好意を測ってるのね」
「ダメですか? たいていの女性はそういうところ気にするものだと思いますが」
「それで一喜一憂するのも馬鹿馬鹿しいと思うわ。まあ、どうやるのはあなたの勝手だけどね。よし、背中は洗ったわ。あとは自分でね」
夜巳は彩那にスポンジを渡すと、シャワーで手を洗ってから大浴槽へと戻っていく。
彩那はスポンジで体を洗いながら話を続ける。
「今の私が心配なのは、天音ちゃん……なんなんですかあれは。あなたのは姉としての親しみを出すために竜王様にお姉ちゃん呼びを要求したりするのはわかります。でも、天音ちゃんのは従妹とか妹としての距離感じゃない、アレはだいぶおかしいのでは?」
天音の話を上げると、夜巳は右手を額に当てて大層悩ましそうに答える。
「あの子はね、ロマンチストなのよ。そのロマンっていうのも乙女な意味のロマンっていうより、なんだろう……そうね、遊び人的なロマンね」
「遊び人?」
「ボードゲームで奇想天外な勝ち方をするとか、おかしな展開が好きな子よ」
「おかしな……それでなんで竜王様の事をあんなに距離感がおかしくなるくらいいきなり好きになるんですか?」
彩那にはまだ天音の行動の理由までは読めず首を傾げる。
「よく考えてみなさい。漆紀は天音から見れば従兄で、しかも従兄なのに血繫がっていない……自分の父を殺したという叔父の息子……多分、天音からしたら〝燃える〟んでしょうね」
シャワーで泡を洗い流しながら、彩那は夜巳が整理した情報を噛み砕くと危機感を覚える。
「というか、竜王様は天音ちゃんに実子じゃないとか話したんでしょうか」
「何かの話の流れで話したんじゃないかしら? ま、明日には帰るのだし天音も落ち着くでしょう。あの子は私が必ず抑えておくわ」
「それもそうですね。じゃあ、お邪魔しまーす」
体を洗い終え、彩那は夜巳と対面する形で大浴槽に浸かる。
「あなたは髪の毛を後に洗うタイプなのね」
「どうせお風呂入れば汗かきますからね」
「さてと、あなたの魔法を教えてくれる? どんな事ができるの?」
「竜脈の力と、水の操作……地下の水脈とか水道管、温泉とか、操って噴出させれます。こんな感じで」
彩那は大浴槽の温水を大きく噴き出させ、天井に打ち付けさせた。
「なるほどね……じゃあ、漆紀の魔法を教えて?」
「竜王様は妖刀・村雨と契約しています。大量の水を出したり、蓄えた血で傷を癒したりですか……これがシンプルに強いです」
「確かに強いわね、それなら……大抵の魔法使いは傷を癒す魔法なんか持っていない。漆紀が自分の傷を癒せるというなら、大抵の魔法使いはジリ貧で押し負ける……傷が治るというのはそれだけの強みがある。反則よそんなの」
漆紀の魔法の内容を聞くと、その反則じみた性能に夜巳は面白そうに笑う。
「なによりも、あなたと相性が良いわね。お互いに水の扱う魔法……さて、前座はこのくらいでいいかしら」
一息吐いて落ち着くと、夜巳は彩那に優し気に笑む。
「漆紀の事を聞こうかしら。あなたの事はわかってきたわ。まあ、出会い方や最初の出来事は最悪だったみたいだけど」
漆紀を佐渡に拉致した際の事を言われると、申し開きの余地などなく彩那は項垂れてしまう。夜巳は「責めてないのよ」と念を置いて続ける。
「率直に聞くけど、お嬢さんは漆紀の事は好き?」
「えっ!?」
直球かつあまりに甘ったるい内容の質問に彩那は露骨に赤面して、恥ずかしがって夜巳から目を逸らす。
「好き、ではありますけど……ただ、疑問なんです。竜王様も言ってましたが、この気持ちは流血の儀のよるものなんじゃないかって。あれは竜王様と巫女の力を結びつける効果がありますが、あの儀式は、そういう効果もあったんじゃないかって」
「別に儀式が原因でもいいんじゃないかしら? 今思ってる気持ちがソレって事には変わりないのだし。ただ弊害があるとすれば、むしろ漆紀の方ね」
夜巳の言葉の真意が見えず彩那は眉を潜めて意図を考え込む。
「簡単な話よ。漆紀は竜王だから、人間特有の誰か個人を好きになるみたいな感情が湧きにくいし厳しいのよ。家族とかにはちゃんと親しみはあるし、友情もちゃんと湧く。ただ、誰かを異性として愛する恋愛とか情愛とかそういうのが湧かないのよね。私も吸血鬼だからそういうのが湧かないのよ、全然」
「でもフラルちゃんは随分と竜王様に好意を示してるじゃないですか」
「あの子は変なのよ。普通の吸血鬼はああならないわ。あの子はまあ、人間側の色が出たと言えばいいかしら」
「人と吸血鬼のハーフなんでしたっけ。母が吸血鬼で父が人間と……でもあなたもハーフなのでは?」
「そうよ。確かに漆紀には親しみや好きな気持ちはあるけど、親愛というべきよ。家族に向けるものだわ、あなたが心配するような気持ちじゃないわ」
「ふーん……」
彩那は怪しむような流し目で夜巳を見るが、夜巳は悪戯っ気のある笑みを浮かべる。
「あら? 信じられないのかしら。私が漆紀に会いたかった理由自体を考えてみて? 私は単に従弟と会いたいだけよ。やましい気持ちはないわ。だからお姉ちゃん呼びだって求めてるわけよ。これが恋愛の感情だったら名前呼びを求めるものでしょう?」
「それはそうですね……じゃあ安心かあ」
「私にもう少し漆紀のことを教えてくれる? 私よりは色々知ってるでしょう?」
「あの、今さっき恋愛の感情じゃないって言ってたじゃないですか」
「家族としてよ。色々漆紀の悩みを聞いてあげたいからね。漆紀の癖とか、これまでの動向とか色々わかるでしょう? だめかしら」
夜巳は彩那に近付いて情報を求める。
「……いいでしょう。ただし条件付きで。竜王様と二人で話す気と思われますが、私の事を良く言ってください。良いですね?」
「ええ。それで構わないわ。お姉さんに任せなさい!」




