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第9話 帰郷

 夕焼け色の空の下、どこかでカラスが鳴いている。

 沈みゆく陽に陰る黒い山々に囲まれた深い草叢(くさむら)の中で、私は地べたにへたり込んでいた。


 目の前には、小学校に入学してから高校を卒業するまで、登下校時には必ず小声で挨拶の言葉を掛けていた、お地蔵様の苔むした姿。

 纏っていたはずのおべべは無くなっているが、最後に会ったときよりも優しい顔に見えるのは、永い風雪のせいで彫りが甘くなっているからだろうか。


 これがあると言うことは、ここはあの四つ辻だ。ならば、交わる道のすぐ先に、大きな屋敷があったはず。

 早い時刻に陽が落ちる、昔ながらの田舎の旧家といったその屋敷には、いくつかの決まり事があった。


 日の入りから日の出までの間は絶対に入ってはいけない土蔵。

 決して襖を閉め切ってはならない奥の客間。

 灯りを絶やしてはいけない北の納戸。

 そして、いずれの禁忌も、破れば蛇神様に祟られる――


 そんな言い伝えに怯えながら大学に進むまで暮らした、静かな山間(やまあい)の薄暗い屋敷。

 煌めく夏の陽光や、しんしんと降る雪に映える古い屋敷の風景は、今でも忘れることはない。


 しかし、今ここに見えるのは、繁る木々と深い草叢だけで、屋敷はおろか私道の舗装路面さえ存在しない。

 懐かしの実家を求めて草を掻き分けるなか、隠れた地蔵に躓いて転倒しなければ、ここが探していた場所であることに気付かぬままだったことだろう。


「そうか。ここが君の故郷なのか」

「ええ、そうよ。でも、みんな時の彼方に消えてしまった……。覚悟はしてたけど、実際に目の当たりにすると辛いものがあるわ……」

「――――」

「もしかしたら、ゾンビになった後で意識を取り戻した家族が家を建て直して暮らしているんじゃないかと期待していたの。そして、あなたに紹介できるかもって――」


 突如、涙が溢れてきた。思わず目を瞑ると、瞼の裏に懐かしい顔が浮かんでくる。

 だが、大切な家族は消えた。両親も、姉も義兄も弟も。

 そして、集落そのものも姿を消した。私の胸の内以外に、もうそれは、この世のどこにも存在しない。

 その時、ヘンリーの手が肩に優しく触れた。彼の手は冷たい死人のものなのに、何だかとても温かい。

 目を開くと、フェイスシールドの向こうで、涙に滲んだお地蔵様が優しく微笑んでいた。




 私が地球に戻ってきてから、既に半年以上が経っていた。

 新人類の社会に受け入れられた私は、バンホーンの市当局や市民から大切に扱われていた。

 だがそれは、地球に降りてきた仲間が見つかっていない現在において、私が世界でただ一人の旧人類だからだ。絶滅危惧種の最後の一匹に過ぎない私には、それ以上の価値はない。

 私はそれが嫌だった。そして、過去からの“訪問客”として衣食住を保証されるだけの生活が、もっと嫌だった。


 だから私は、カサンドラを通して富樫に頼み込んだ。

 新たな文明に生きる者の一人として、社会に貢献したいと。自分を客人扱いせず、一人の市民として扱って欲しいと。

 その後、寝泊まりしている生化学研究所での客員研究員としての身分を手に入れた私は、未だに全てが解明されていない転化災害の原因の究明に携わることとなったのだ。


 そして今般、日本の復興都市の一つで開催される転化災害シンポジウムに出席することとなった私は、数百年ぶりに祖国の地を踏むことになった。

 極超音速輸(HST)送機から見えた日本列島は、全てが深い森に覆われていた。東京・名古屋・大阪といった湾岸都市は水没し、多くの人工島も姿を消している。

 富士山も、その形を大きく変えており、大規模な噴火があったことを示唆していた。


 所々に小規模な集落が散らばるものの、バンホーンほどの大都会は存在せず、ゾンビ禍以降の日本列島が厳しい自然災害と共にあったことが窺えた。


 着陸態勢に入り低速飛行する輸送機から見た讃岐の地にも樹海は広がり、のどかな田園風景は名残ひとつ無かった。当然ながら、何度か訪れたことのあるお気に入りのうどん屋も、とうの昔に消えてしまったことだろう。


 そんな秘境の中に突如見えてきた市街地。それこそが、四国に建設された日本有数の復興都市である善通寺市だ。

 バンホーンほど大きくはないものの、自然と調和した文化的都市という印象を抱くのは、私が日本人だからだろうか。


 そこでも私は大いに歓迎され、いくつかのメディアの取材を受けた。その取材の場で故郷の岡山について逆に尋ねてみたが、兵庫以西の本州は魔境のようなものだとの答えが返ってきた。

 その情報に悶々としながらも、旧人類としての演説を行うとともに興味深い研究発表を聴講するというシンポジウム参加の目的を果たした私は、旅程の最後で故郷を訪問したいと同行する警護担当者であるヘンリーに懇願し、私は今ここにいた。


「サナエ。家族を失った気持ちは良く分かる。俺にも経験があるからな。だから、余計なことは言わない。俺が何を言おうと、それは既に君自身が自問自答しているはずだしな。ただ、ひとつだけ言っておく。俺には、いつでも話を聞く用意がある。何でもいい。話したくなったら、俺に話せ。俺が言いたいのは、それだけだ」

「――――」


 ヘンリーの声が身に沁みた。そして、彼の気持ちが温かかった。

 もしも、この場にいるのが私一人だったならば、きっと心は四散していただろう。

 だが、側にいる黒ずくめの友人が、私の心を現世に留めてくれた。

 私の我が儘を聞いて故郷探索の手伝いをしてくれた彼に、これ以上心配を掛けるわけにはいかない。


 私はその場で立ち上がると、極力明るい表情を浮かべてヘンリーの顔を見た。


「ありがとう、ヘンリー。気を遣ってくれて。私なら大丈夫。家族はみんな、きっとどこかで新人類として暮らしているはずよ。その可能性があるだけでも救われるわ。たとえ、再会が叶わないとしてもね」

「ああ」

「今日は本当にありがとう。ここまで連れてきてくれて。辛いことには間違いないけど、なんだか、スッキリしたわ。じゃあ、帰りましょ? 私達のバンホーンに」

「そうしよう。野外活動用とはいえ、防護服を破かないよう気をつけろよ」

「うん」


 私達を乗せてきてくれた善通寺市の航空機が待っている場所まで森の中を少し歩くことになるが、ヘンリーがいれば安心だ。たとえ熊が出たとしても、彼が銃で追い払ってくれるだろう。

 お地蔵様に別れを告げ、足を踏み出そうとしたその時、それが聞こえた。


 あたりの空気を震わせる、懐かしくも荘厳な響き。

 それは、お寺の鐘の音だった。


「ねえ、ヘンリー。もしかして、今6時?」

「ああ、そうだ。今の音は、時報か何かか?」


 そして再び、山のお寺の鐘が鳴る。間違いない。誰かが暮れ六つの鐘を()いている。

 つまり、その寺は健在で、鐘を撞く何者かがいるはずだ。


 確か、この近くには「祥蓮寺(しょうれんじ)」というお寺さんがあった。実家の菩提寺でもあるその寺の境内で、近所の悪ガキ連中とよく遊んだものだ。

 長い石段を上った先に広がる寺の姿が脳裏に浮かぶと同時に、また鐘が鳴る。


 一体誰が。もしや、住職だろうか。ならば、檀家である実家のことを知っているはずだ。そして、私の家族の運命も。


「ごめん、ヘンリー。もう少しだけ、我が儘を聞いて欲しいの」


 そう言った私に、黒ずくめの男は頷いてくれる。

 夕暮れの暗い山間に、心に染み入る鐘の音が、幾度も響き渡っていた。

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