第8話 英雄
――今日もカルバーソン郡は晴れ。最高気温は華氏59度、最低気温は34度となる見込みです。北西の風が時折強く吹くため、軽い砂嵐となる地域もありそうなので、ご注意を。
次に交通情報です。現在、州間高速道路10号線では通常の交通量となっています。ただし、バンホーン西側の出口付近で、昨夜の砂嵐の影響による清掃作業が行われています。一部の車線が規制されていますので、若干の渋滞があるでしょう。
さて、特集でもお伝えしましたが、キシモト氏はこのあと、市内の各所を見学の予定です。混乱防止のため、訪問先は事前公表されていませんが、詳しくは今夜のニュースでお伝えします。
それでは、今日も素敵な一日を!
よう、あんたの相棒、ジャック・アンダーソンだ。今日も楽しい話題と明るい音楽をお届けするぜ!
それにしても、あのパレード以来、街ん中が浮き足立ってるよな。どいつもこいつも、宇宙から来た女の話ばかりしやがって。まあ、俺の番組もそうなんだから、人のことは言えねえか。というわけで、今日もサニーの話題でてんこ盛りだから悪しからず。
だがその前に、テキサス魂をくすぐる一曲を聞いてくれ。曲は――
「さてジェシー、次は500ドルの問題です。キシモト氏の国籍は――」
「ジャパン!」
「――ですが、出身はどこのプリフェクチャーでしょうか?」
「……トキオ?」
「残念! オカヤマでした。解答権はスーザンに移ります。今日、彼女が食べた――」
「キシモトさんの食事を担当されているパウエル料理長にお話を伺います。料理長、責任重大ですね」
「ええ、緊張のしっぱなしですよ。料理なんて、本当に久しぶりなので」
「元三ツ星シェフのあなたが緊張ですか?」
「それは、大昔の話ですよ。今はもう誰も、食事なんてしませんから」
「そう言えば私も、映画や過去の映像以外で食事のシーンを見たのは久しぶりです」
「それと、もっと大変なのは、調理中に味見ができないことです」
「味見? 確かに、今の私達には味覚がありませんから――」
「味覚がなくとも、味見という行為だけでも旨い料理はイメージできるものです。しかし、防護服に包まれて食材に直接触れることができない状態では、なかなか難しい話です」
「なるほど。キシモトさんを転化させないように、細心の注意を払って調理をするわけですか。ホモ・サピエンスが絶滅するか否かは、料理長の腕に掛かっているというわけですね」
「あまり私を脅かさないで下さい――」
「スタジオには、旧人類とのファーストコンタクトという栄誉を授かったキャサリン・ロックウッドさんにお越しいただきました。キャシーと呼んでも?」
「ええ、もちろん」
「ではキャシー、サニーと出会った時のことを聞かせてくれませんか」
「あの時私は、森林公園の泉に一人で遊びに行ってたんです。そこで泳いで、岸に戻ったら、野生の猿に服をビリビリに破かれていたんです」
「猿に! 他には何かされたんですか?」
「アシストユニットを泉に放り込まれていました。私は助けを呼ぼうと森を出て、通りがかった人に声を掛けたんですが、水が入ってしまったのか声帯がうまく働かなくて――」
「その相手が、サニーだったんですね」
「ええ。最初は、旧人類のバイオスーツを着た変わった人だなあ、と思っていたんですが、私を振り返ったときの怯える様子に違和感があって。それで、もしかしたら、この人の方が私よりも困っているのかも知れないと思ったんです。だから、そのまま彼女を追いかけたんですが、お巡りさんが止めてくれたんです。でもその時は、お巡りさんのことを不審者だと思って、思いっきり噛み付いちゃいました。ほんと、はしたないですよね」
「そんなことありませんよ。それにしても、よかった! その警察官はお手柄ですね。もしもそのまま、あなたがサニーに触れていたら……」
「そう考えると怖いです。お巡りさんには、感謝しかありません。それと、サニーに言いたいです。あの時、怖がらせちゃってごめんなさいって」
「キシモト氏は今日、補助装具の開発工場を見学し、人工声帯や視覚補助装置、四肢アシストユニットなどの説明を専門家から受けました。氏は『呼吸もせず、声帯も機能しない新人類がどの様に言葉を発しているのかが理解できた。また、身体的欠損を補う装置を身につけた方々をパレードの際に見かけ、非常に興味があったので満足している』と言っていました」
「その後彼女は、転化災害歴史記念館を訪れ、館長の説明を受けました。続けて、国際通信局にて他の復興都市の代表者と意見交換を行いました」
「今日の予定を全て終えたキシモト氏は、今後も精力的に知識を吸収したいと言って防護服の奥に笑顔を浮かべ、宿舎である生化学研究所に入っていきました」
「あまり無理をせずに、今の時代を理解して欲しいですね。続いてスポーツです――」
「あうぅ、しんど……。もう無理……」
私はベッドに倒れ込むと、枕に顔を押しつけた。
疲れ切って帰ってきたら、除染作業と称するシャワーとブラシの攻撃で、さらに生命力を奪われ、今ここにある私の肉体は、魂の抜け殻に成り果てていた。
「無理ってサナエ、たいして歩いてないでしょう? 移動だって車なんだし」
「あのねえ、あんなゴツい防護服着ていろんな所を歩かされんのよ? 普段使わない筋肉使ってんだから、しんどいに決まってるじゃない」
「だから、明日は何も予定を入れてないでしょ?」
「当然よ。今日で七日間ぶっ通しなんだもん。いい加減休ませてもらわないと死んじゃうわ」
「大丈夫。死んだら転化して、三百年後に復活するから」
カサンドラの冗談になっていない軽口が、疲れ切った耳を通り過ぎてゆく。
「でも、興味深いところばかりだったはずよ。楽しめたんじゃないの?」
「そりゃあそうだけどさ、行く先々で手を振って握手して微笑んで――。おかげで、顔面筋肉痛になっちゃったじゃないの。それに何? サニーって誰よ。あたしゃ、アクションスターかっつーの!」
「サナエって名前は、人によっては発音しにくいからな。まあ、許してやるんだな、サニー」
「ふん! ちょっと自分が英雄扱いされたからって、偉そうに」
「英雄? それは俺じゃなくて君だろう?」
「なんかあなた、ワイドショーで担がれてたそうじゃない。地上に降りてきた旧人類を転化感染から守ったヒーローだって」
「あ、それ僕も見たよ。キャシーって女の人が、サナエに声を掛けようとした話だったよね」
「あの番組、あんたの勤務時間中の放送でしょ? 何でロイが知ってんのよ」
「え、あの、センパイ。それは、サナエに関する情報収集の一環として――」
「言い訳すなっ!」
カサンドラはロイの頭にクリップボードを叩きつけるが、縦にしていないところを見ると、本気で怒ってはいないようだ。
その横には、また始まったと言わんばかりに呆れ顔を浮かべる、黒ずくめの男が立っている。
バンホーン市警察の巡査部長、ヘンリー・リチャードソン。
彼こそが、地上に降りてきたあの日、迫り来るゾンビから私を守ってくれた黒い騎士だ。
当初私は、自分をゾンビから逃がすために自己犠牲を払った警官に罪悪感を抱いており、その胸の内をカサンドラ達に吐露していた。
そして、この街の真実を知った日のパレード直前に、富樫副市長の車椅子を押していた男が彼であり、今後私と行動を共にする警備担当者だとカサンドラに紹介されたのだ。
その際、ヘンリーは開口一番、私に謝罪の言葉を掛けてきた。いらぬ心配をかけてしまい申し訳ないと。
そして、今後は警備担当者として、私の身を護ると約束してくれた。
その後、数々の行事において彼と一緒にいるうち、少しばかりぶっきらぼうだが真面目なヘンリーに、私はいつの間にか気を許していた。
地上に降りてきたはずの私の仲間は皆、未だに行方不明だ。
本来であれば孤独なはずの私には今、カサンドラやロイ、そしてヘンリーという新たな友人がいる。
それは、とても幸せなことなのだろう。
彼らの姿を透明な壁越しに見ながらそう考えているうち、いつの間にか私は、眠りの淵を降りていた。