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第5話 真実

「どうしたんだよ、サナエ。急に大声を出して」

「そこにゾンビがっ! いいから、はやく逃げて!!」


 怪物を指差す私が発したゾンビという単語に、白衣の二人は車椅子の方向へ視線を向けた。

 ところがロイは、今そこにある危機に反応しない。おそらく彼にとって、自分の職場にゾンビが現れるという状況は想像の範疇を超えており、正常性バイアスの罠から抜け出せないのだろう。


 しかし、ゾンビを視認したカサンドラは、一瞬()をおいてから、驚愕の表情を浮かべた。

 そして、直ちに空中へ手を伸ばした彼女は、そこにあるらしきコンソールを操る仕草を見せると、さらに大きく目を見開く。

 まさか、彼女達のいる部屋の外も危険だとでもいうのだろうか。


 カサンドラは、「何てことなのっ!」と大きく叫ぶと、そばにいるロイの脳天目がけて、縦にしたクリップボードを力一杯振り下ろした。

 そして、痛みに悶えるロイの襟首を掴んで引き寄せると、彼を怒鳴りつける。


「ちょっと、ロイッ! パターンがβじゃないじゃないっ! いつ変えたのよっ!!」

「何言ってんですか! サナエが来た日から一度も、設定は変えてません!!」

「じゃあ、どうしてαになってんのよ!」

「知りませんよ! なんでセンパイは、いつも僕のせいに――」


 ロイはそこで語尾を飲むと、不都合な真実に思い至ったかのように、顔を青くした。

   

「センパイ……。もしかしたら僕、やっちゃったかも……。この前、王様になったあとで……」

「やっぱりオマエかっ!!」

「ぎゃっ!!」


 ロイに再びクリップボードを叩き込んだカサンドラは、もう一度空中のコンソールに手を伸ばすと、華麗な指さばきを見せる。


 すると、瞬時にゾンビは姿を消し、替わって白髪の老紳士が車椅子上に現れた。

 その、柔和な表情を浮かべる上品そうな老人は、少しばかり戸惑う様子を見せながら、カサンドラに向かって話しかけた。


「フロスト君、何か問題でも起きたのかね」

「いえ、あの、その――」

「パターンαと聞こえたが、確かあれは――」

「え――ええ、そうです。ですが、たった一瞬のことでしたので、おそらく問題ないかと――」

「君の一瞬は、随分と長い時間のようだね。それに君は問題ないと言うが、彼女は叫んでいたのではないのかな。私のことを、ゾンビだと」

「――――申し訳ございません。すべて、私の責任です」

「まあいい。とにかく話を進めようじゃないか。君の描いていたシナリオどおりとはいかないようだがね」


 車椅子の老人はカサンドラにそう言うと、私の方を向いて、白い髭を上品に蓄えた口を開いた。


「はじめまして、岸本早苗さん。私は富樫(とがし)信忠(のぶただ)という者だ。当市の副市長を任されている」


 いきなりの母国語に、私は面食らった。日本語なんて、宇宙に上がる数か月前から、聞きも話しもしていない。ゾンビが老人姿に変化(へんげ)したことの情報処理さえ完了していない私の脳はさらに混乱し、返す言葉が出てこなかった。


「岸本さん。先ほど君は、私のことをゾンビと呼んだが、それは正しい。君が見ているこの私は、画像処理を施した偽りの姿なのだよ」


 富樫と名乗った老人は、そこでカサンドラに目配せをした。

 カサンドラは一瞬躊躇したようだったが、意を決したように、右の差し手を前へと突き出す。

 すると再び、老紳士は異形の姿に変貌した。


「これが、私の真の姿だ。フロスト君は、少しでも君に与えるショックを和らげようと、人間姿の私が事情を説明したあとで、この事実を君に明かすという次第を組んでくれていたのだが、そうはいかなくなったようだ」

「――――」

「戸惑う気持ちは、よくわかる。どうかね。やはり、人間の姿のままがよかったかな?」

「――いえ……。大丈夫……だと思います、多分……。かなり努力は必要でしょうけど――」

「では、努力してくれたまえ。真実を知りたいのならね」


 富樫は、干からびて変色した手を膝の上で組むと、所々に象牙色の骨が剥き出す下顎を動かして語り出した。それは、カサンドラが話してくれたものと重複してはいるものの、私を驚愕させるには十分すぎる内容だった。


 彼は言った。人類は既に滅んだと。


 運命のあの日、突如として多くの人々が、職場や家庭、公共の場でゾンビへと姿を変え、周りの人間を襲い始めた。ペットや野良犬などには目もくれず、彼らはただひたすらにヒトを襲う。

 哀れにも噛み付かれた者は、寸刻を待たずして人間の尊厳を全て捨て去り、他者に噛み付いてゆく。

 ゾンビから逃れようと無茶な行動をとって命を失う者も多かったが、彼らは噛まれていないにもかかわらずゾンビに転化すると、ヒトを求めて立ち上がった。


 世界が地獄と化してから一時間も経たないうちに、人類はその人口の半数近くを失ったとも言われているそうだ。


 だが、すぐに反攻は始まった。

 多くの兵士が転化するなか、各国軍は非常招集をかけ、直ちに軍事行動に出る。

 市民、あるいは権力者。護る対象は違えども、軍隊はそれぞれの地で、共通の敵に立ち向かった。


 また、多くのエンターテイメント作品が啓蒙していたこともあってのことか、市民レベルでも、ゾンビに対して迅速かつ効果的に対処していた。

 つまり、それらの預言書に記されていたとおり、頭、正確には脳幹を破壊すれば、ゾンビの動きを止めることができたのだ。


 当然ながら、変貌した家族や知人を処断できなかった者も数多くいたが、彼らはすぐに転化して、ヒトの裁きを受けることとなった。


 翌日になると、多くのインフラが機能を失った世界各地で、略奪や暴力行為が多発した。暴動の発生も数え切れなかったが、多くの国では治安部隊をそちらに割くことができず、さらに多くの死者が発生し、ゾンビに転化することとなった。


 また、未来に絶望し、自ら命を絶った者も多くいたが、遺体は遺志に反して蘇り、他者の未来を奪っていった。


 だが、人類はその一日で、数多くのゾンビを斃した。場当たり的な戦闘から核兵器の投入まで、ありとあらゆる手段で攻勢を掛ける人類は、確かに優位に立っていた。

 戦果として無数に転がるゾンビの遺骸は、感染防止のために速やかに焼却され、召されゆく煙で空が霞んで見えたそうだ。


 そして、三日目。これまで健康だった人々が、世界各地で突如ゾンビに転化した。むしろ、転化しない人間の方が少ないほどだった。

 どうやら、ゾンビを燃やした際の煙に含まれていた微粒子が、大規模な転化の原因になったらしい。

 当然のことながら、軍事作戦など遂行できる状況には既になく、人間として取り残された者達は、ゾンビしかいない世界の片隅で、息を潜めることしかできなかった。


 その後、人々はゾンビの目を盗んで小さなコミュニティを作り、食べて、寝て、奪って、犯して、殺して、そして育んだ。


 それから、百年を待つことなく、人類は地上から消えた。私が降り立ったあの日まで。



 富樫はそこで言葉を切ると、「休憩するかね?」と聞いてきた。どうやら、私の顔色は相当悪くなっているらしい。

 不気味極まりない姿から聞こえる(いたわ)りのこもった言葉に、私は小さく首を振る。


「大丈夫です。大筋は、カサンドラさんから聞いていましたので。でも――」

「でも?」

「人類が滅んでいたなんて、思ってもいませんでした。やっぱり、あの街は―――」


 その先は、言葉にならなかった。溢れ出す涙を堪えきれなかったから。


 地球に帰還したあの日、正直私は人類の滅亡を想像していた。

 誰にも出会うことのない、孤独で短い人生を覚悟していた。

 救助隊に助け出されたときも、僅かに生き残った人々の組織が駆けつけてくれたものだと思っていた。


 だがあの晩、未来都市を目にした私は歓喜した。蘇った文明に。

 その後も、都市の姿を目にする度に、街への憧れを募らせた。

 なのに、人類は滅びたという。

 ならば何故、あんな作り物の夜景を私に見せたのか。そんなに、私の心を弄びたいのか。


 いつも親しげな様子で語りかけてくる、カサンドラとロイの裏の顔。

 それを知ってしまった私は、涙目を彼女たちに向けて睨みつけた。


「どうやら、誤解を招いてしまったようだね。先ほど私は、人類が滅んだと言ったが、正確には間違いだ。滅んだのは、ホモ・サピエンスであって、人類ではない」

「?」


 その妙な言葉に、私は視線を富樫に戻す。

 濁った片目で私を見つめながら、老人の屍は言葉を続けた。


「現に今、人類はこの地球上に存在しているのだよ。ホモ・サピエンスの知恵と文化と歴史を引き継いだ、正統な後継人類である我々、ホモ・モーティスとしてね」

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