第3話 玉座の間
目前に広がる未来都市は、狂おしいほどに私の心を揺さぶった。
私達宇宙ステーションクルーが氷漬けになっている間、前代未聞の苦難の時代を乗り越えて、再び文明を蘇らせた地上の人々。
この素晴らしい夜景を手に入れるために彼らが流した血と汗と魂に想いを馳せると、胸が締め付けられる。
それには、一体どれだけの時間が掛かったのだろうか。
これほどの大都市だ。建設するには相当の年数が掛かったことだろう。
第二次世界大戦で壊滅した日本の大都市は、二十年に満たない比較的短い期間で復興したという。だがそれは、より良い明日を目指して努力を惜しまない国民の存在に加え、占領国であるアメリカの思惑や朝鮮特需といった外的要因があってのことだ。
ゾンビ禍によって文明が惑星規模で崩壊し、人口が激減したであろう人類にとって、復興は相当に困難な事業であったに違いない。
誰の支援も受けられないなか、人類はただひたすらに前に進み続けたのだろう。
数十年。いや、数百年かも知れない復興までの長い道のり。
涙に滲む都市の姿に、私は思わず右手を差し伸べた。
すると、消えた壁があったと思われる空中で何かに指が触れ、それ以上先には進まない。
どうやら壁は消えたのではなく、無色透明になっていたようだ。
一瞬、大都市の光景は映像なのではないかと思いはしたが、こちらが見る位置を変えようとも不自然に思えない見え方からして、おそらくは実際の光景なのだろう。
しかし何故、私に都市の夜景を見せる必要があるのだろうか。
そして、この部屋に私を監禁する理由は何なのだろうか。
再び疑念を抱いたその時、先ほどと同様の電子音が背後に響く。
振り向くと、案の定、反対側の壁も消えていた。
そしてそこには、この部屋とも大都会とも異なる別の景色があった。
それはまるで、玉座の間だった。
そこここに金細工が散りばめられた、絢爛豪華な部屋。
それほど広くない、臙脂色が基本色のその部屋の中央に少しばかり高い台座があり、そこには重厚で威厳を感じる大きな椅子が載っている。
そして、その玉座には、一人の男の姿があった。
豪華な椅子にふんぞり返って、こちらを見下ろすブロンドの長髪男。その頭上に戴く王冠がやけに大きい。
まるで中世から転がり込んできたような、いかにも“王様”のような服装を纏うその男はニヤリと嫌な笑いを浮かべると、口を開いた。
「そこな女。緊張せずとも良い。余と少し話をせんか」
「あ、あの……。あなたは、この世界の王様ですか――」
「ハハハ。だから、そう緊張するなと言っておるのだ。余は、其方に少し聞きたいことがある。其方も、いろいろ知りたいことがあろう。お互い気楽に話せば、Win-Winではないか」
「わかりました。それでは王様、教えていただけますか。あの街は――」
私が疑問を口にすると、王様は右の掌を前に出して制止してきた。
「待て待て。せっかちな女であるな。まずは余の質問からにきまっておろうが。まさか、異論があると言うわけではあるまいな?」
「いえ! 異論なんてありません!」
「判れば良いのだ、判れば。さて、余は其方に数え切れないほどの問いがあるが、まずはこれからだ。其方、どこから来た?」
「どこからって、そう! 宇宙からです!」
「なるほど、宇宙人というわけか。つまり、我が地球への侵略を企てる悪い奴だというわけだ」
「ちっ、違いますっ!! 宇宙人なんかじゃありません! 歴とした地球人ですっ!!」
私の言葉に王様は、「ほぅ」と意外そうな表情を浮かべる。そして、口元を歪めて意地悪そうな笑みを浮かべた。
「地球人と言うからには、名前があるはずだ。それを申してみよ」
「サナエです! サナエ・キシモト! 日本人です! 決して、宇宙人じゃありません!!」
「ジャパニーズ? 何だ、それは。やはり其方、悪い宇宙人であるな! 出合え! 出合えい!! くせ者であるぞ!!」
王様がそう叫ぶと同時に、玉座の背後に見える豪華で大きな扉が開く。
だが、玉座の間になだれ込んでくる兵の姿は見えず、替わりに一人の女が入って来た。
その、シックな女中服を纏う妙齢の女性はツカツカと王様の背後に歩み寄ると、手に持つクリップボードを振り上げて、その角を王の後頭部に叩きつけた。
「この弩阿呆! なんかこそこそやってると思ったら、こんなしょうもないことしてたのね!」
「な! 何でここでセンパイが!? これじゃあ、近衛兵が駆けつけてくるシーンが台無しじゃないですか!!」
「怪しいと思って少し早めに来てみれば、アンタ、なに遊んでるのよ!」
「遊んでなんかいないですよ! これから事情聴取をしようと――」
「この人の事情聴取は、私の仕事! アンタはあくまでも、私の補佐に過ぎないでしょうが! それを何? この悪趣味な部屋は! それにアンタのその格好、どこの遊園地のピエロなの?」
「これのどこがピエロです! 王様ですよ、王様!」
「アンタが王様なら、この私は何者かしら」
「―――」
「聞こえない!」
「女王様! 女王様です!!」
「判ってんなら、早く戻しなさいなっ! パターンβよ、間違えないでっ!!」
「はひっ!」
女中に叱責され、再び頭を強く叩かれた王様は怯えた表情で目前に手を伸ばすと、まるでキーボードを打つように宙で手を操る。
その途端、玉座の間は、先程までのこの部屋と同様の白い光沢の壁をした小さな部屋に様相を変えた。その部屋の中央には、こちらに向かって横並ぶ二つの事務机があり、その上には書類束が幾つも積まれている。
その部屋にいる二名の人物は王様と女中では無く、亜麻色のショートボブが似合う長身の女性と短髪のブロンド男性で、そのいずれもが白衣を纏っている。
そして長身の女性は、手にしたクリップボードの書類を一瞥すると、私に顔を向けて笑みを浮かべた。
「申し訳ありません、つまらない寸劇をお見せしまして。部下の勝手な振る舞いとは言え、上司の私の責任です。謹んでお詫びいたします」
「あ、あの?」
「私は、あなたの事情聴取と世話係を命じられました、カサンドラ・フロストと申します。こちらにおわす裸の王様は、ロイ・マーカス。御用がありましたら、この王様に何でもお申し付け下さい」
どうやら玉座の間と王様姿は、ロイという名の世話係が仕込んだ悪ふざけだったようだ。
彼らがいる隣室と、この部屋を隔てる透明な壁に拡張現実の画像処理を施し、部屋と自分の姿を偽っていたらしい。
女上司に叱責されたロイは消沈している様子を見せていたが、私と目が合うと悪びれもせずウィンクしてくる。どうやらあの男は、本気で反省してはいないようだ。
「さて、ミッションスペシャリストのキシモトさん。事情聴取と言いましたが、実際には、あなたに現状を理解していただくための場だとお考えください」
「なぜ、私が宇宙飛行士だと?」
「あなたの乗っていた脱出カプセルのログを読ませてもらいました。あまりにも古い規格なので、担当エンジニアはかなり苦労したようですけどね。あなたの基本的な個人データは、そこから入手しました。と言っても、お名前と国籍に血液型、そして担当任務しか記録されていませんでしたけど。しかし、まさか宇宙から大昔の人間が降りてくるとは思いませんでした」
カサンドラはそう言うと、両手を胸に当てて目を閉じる。いかにも感動している素振りだが、少々大仰な気がしないでもない。
だが、そんな本音をこぼすわけにもいかず、私は頭を下げて礼を言うことにした。
「助けていただいて、ありがとうございます。でもなんで、あんなにすぐに来てもらえたのですか? 長期のサバイバル生活を覚悟していたのですが」
「あれだけ派手に救難信号を発しながら、大気圏に突入してきたんです。気付かないわけが無い。あなた方を乗せた五つのカプセルの行方は完全に掴んでいます。あなたのカプセルは偶然にも近郊に降りてきたため、すぐに回収部隊を向かわせることができましたが、残りの四つはしばらく掛かることでしょう。それまで、無事でいてくれればいいのですが」
「五つのカプセル? 私達クルーは、四人で全員ですが」
「宇宙ステーションで何が起こったのかは判りませんが、おそらく同時に全てのカプセルを射出する設定になっていたのでしょうね。と言うことは、一つは空か……」
せっかく回収部隊が出動してくれているというのに「ハズレ」を用意してしまったようで、何だか申し訳ない気持ちになった。冷凍睡眠に入る前に装置の設定をもう少し詰めておけば、避けられたかも知れないのに。
「さぞ、ご心配のことでしょう。でも大丈夫。我々には、無限の労働力と時間があります。必ずや、あなたのお仲間を見つけて見せましょう」
私の暗い面持ちを見たカサンドラは、見当違いの励ましを寄越してきたが、私は無言で頭を下げるのみだった。
「さて、あなたは疑問に思っていることでしょう。あなた方が宇宙にいる間、地上で何が起こっていたのかを。それを語る時が来たようです」
いよいよ、真実が明かされる。あの日、人類を襲った悲劇の真実と復興の歴史が。
私は待った。ゴクリと唾を飲み込みながら、カサンドラの次の言葉を。