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第13話 奇病

 モルデグラ(Morde-grad)症候群。

 思考の散漫、注意力の低下、記憶障害といったブレインフォグ(よう)の症状を発症したのちに人格が崩壊し、人間的意識を喪失した状態を示す疾患の総称である。

 現在、ホモ・モーティスが罹患する唯一の病として知られているこの疾患が初めて確認されたのは、今から二十年ほど昔のことだ。


 オスロの復興都市で初めて確認されたこの症例は極めて稀なもので、現在までに確認されている発症者は、全世界で百名にも満たない。


 もちろん、復興都市以外の集落や未開の地での罹患状況は定かではないが、この奇病の発症に至る病因は未だ特定できないうえ、治療方法も確立されていない。

 そして現在も、この不治の病は世界の主要研究機関で研究が進められており、先日私が出席したシンポジウムでも、極めて重要なテーマの一つに挙げられていた。


 今、私の手許には、祥蓮寺の住職が収容された善通寺病理学研究所からの報告書があった。

 そしてそこには、幼い私がぬらりひょんと呼んでいたあの住職がモルデグラ症候群発症者であると記されていたのだ。


 五百年後の我が家を訪ねたあの日、住職は私に襲いかかってきた。

 同じ室内にいたヘンリーや佳佑には目もくれず、ホモ・サピエンスだけをターゲットにするその様子は、紛う事なきゾンビの姿そのものだった。


 ヘンリーに制圧された後も、彼は私に向かって手を伸ばし、そして唸り続けた。

 その後、ヘンリーが呼んだ善通寺市の航空機に住職は収容され、関係者である佳佑とともに、病理学研究所へ移送されたのだ。


「やはり、テンプルマスターはモルデグラだったか」

「どうやら、そうみたいね……。あのまま佳佑さんも、和尚さんの病因究明のために強制入院させられているそうよ」

「そいつは気の毒だな」

「ええ、ほんとに。でも、和尚さんと一番接触していたのはあの人だもの。発症の不安を取り除くためにも、しっかり検査を受ける方がいいと思うわ」


 私は小さく溜息をつきながら、私の隣でベッドに腰掛けるヘンリーに、特に気にしていないフリをしてそう言った。

 だが、ヘンリーは眉を寄せて、より一層心配そうな表情を浮かべる。


「なあ、サナエ。君は大丈夫なのか?」

「私? もちろん大丈夫よ。食欲はあるし、熱も無いし、至って健康。転化の兆候は見られないって、カサンドラも言ってたじゃない」

「そうじゃなくて――。親しかった人が、あんなことになってしまって――」

「たしかにショックだし心配だけど、これぐらいでやられるほど弱いメンタルしてないわよ。宇宙飛行士を舐めないで欲しいわ」

「だったらいいんだが――」

「でも、ありがと。ヘンリーって、時々優しいよね」

「時々ってどういう意味だ。俺はいつも――」

「はーい、お二人さん。乳繰り合ってるところ、邪魔するわよ」

「邪魔するんだったら帰って。これから二人でイイコトするんだから」


 軽口を言いながら私の部屋に入ってきたカサンドラの立体映像に関西的定型文で軽く返しながらヘンリーを見ると、彼は何故か俯いていた。

 そして、ぶっきらぼうに「俺は詰所に戻る」と言い放つと、彼の立体映像がフッと消える。

 なによ、アイツ。中学生かよ。


「あらら、本当に邪魔しちゃったみたいね」

「それで、なに?」

「悪いけど、一緒に来て欲しいのよ、サナエ」

「今から?」

「今から」

「どこへ?」

「来れば分かるわ」


 そして十分後、私は同じ敷地の隔離区画にいた。モルデグラ患者の収容施設だ。

 ここには、南北アメリカ大陸から集められた総勢三十八名のモルデグラ患者が収容されている。

 監視員に聞くと、バスケットボールのコート一面分程度の広さがある大部屋に収容されている彼らは、部屋の隅に用意された寝台に横になることもなく、小さく唸りながら日がな一日、ただひたすら立ち尽くしているそうだ。


 事実、今私の目の前にある管理センターの監視モニターにも、収容者達がゆらゆらと小さく体を揺すりながら立っている姿が映っていた。

 両腕を前に伸ばして虚ろな視線をさまよわせるその姿は、まるで人間が現れるのを待っているゾンビを思わせる。

 だが、背番号を振られたオレンジ色のジャンプスーツを纏っている姿は、刑務所の囚人にも見えなくはない。


 オレンジ色の囚人達を画面越しに眺めていると、ふと、祥蓮寺の住職のことが頭に浮かぶ。

 和尚さんも今頃、善通寺の収容施設で同じように扱われているのだろうか。

 自由も尊厳も無く、ただの研究材料として日々を過ごしているんだろうか。

 そして、私の唯一の家族となった佳佑も、研究対象として単調な生活を送っているのではないだろうか……


「どうしたの、サナエ? 心ここにあらず、って感じだけど」


 隔離区画に先回りしていたカサンドラが白衣姿でどこからともなく現れ、そう声を掛けてきた。

 私は「何でもない」と言って、彼女の次の声を待った。


「これから、ある実験を行うわ。それにはサナエ、あなたの協力が必要なの」

「協力? もしかして、私が進言してたあれ?」

「そうよ。やっと許可が下りたの。私はあなたの提案に興味津々だったんだけど、あなたをこの施設に立ち入らせて、ゾンビどころかモルデグラにでもなられたら困るって、反対意見が多かったのよ」

「防護服を着るんだから、大丈夫に決まってるでしょ?」

「でも上は、モルデグラの病因が不明なことを過剰に心配してるの。ホモ・サピエンスを失いたくない一心でね」

「そんなに大したことをするわけじゃないんだけどなぁ……」

「まあ、いいじゃない。許可が下りたんだから。さあ、始めましょ? サナエ考案の実験を」


 バンホーンに帰還してから、私は上層部に訴えていた。

 住職が私に襲いかかってきたあの日、当初彼は誰にも敵意を示してはいなかった。

 しかし、私が住職に声掛けをした瞬間から、彼の様子は激変したのだ。まるで映画のゾンビのような形相で何かを探す住職は、それでも目前の佳佑や室内にいるヘンリーには興味を示さなかった。

 だが、私が退散しようと焦って転び、防護服に穴が空いた途端、彼は私に襲いかかってきた。それはつまり、穿孔部から漏出する何かに反応したことの証だ。


「サナエの仮説は、ホモ・サピエンスの声がモルデグラの興奮状態を招き、その匂いが攻撃性を惹起する、というものだったわね」

「ええ、そうよ。実体験に基づく仮説。でも、実際に私が試してみないと何とも言えないわ」


 カサンドラにそう言うと、私はコンソールに準備されたマイクのスイッチを入れて声を注いだ。


「あー、テス、テス。本日は晴天なり。天気晴朗なれど波高し」


 私の声が大きく施設中に鳴り響く。当然、患者達の耳にもこの美声が届いているはずなのだが、モニターのゾンビに動きはなかった。

 もしかしたら、住職は元々日本人だから、私の日本語に反応したのかも知れない。

 ならばと思い、次は英語で話してみるが、結果は同じだった。


「ダメかー。いけると思ったんだけどなー」

「モルデグラは人格が崩壊するだけで、攻撃性は見られないものよ。あなたの知り合いが、たまたま攻撃的だっただけなのかも知れないわ」

「でも、あれはゾンビそのものだったわよ。私は本物のゾンビに襲われたことはないけど、絶対あれはゾンビだったわ」

「ヘンリーからも、そう聞いているわ。だから、自分の声や匂いがトリガーじゃないかっていうあなたの仮説に、私も興味があった。それで、録音したあなたの声で試したけど駄目だったから、今日あなたに来てもらったのよ」

「え? もう、実験済みだったの? なによそれ! 発案者の私に内緒で? 信じられない!」

「だって、あなたに言ったら『立ち会わせろ』ってうるさいでしょ? さっき言ったように、上はあなたの施設への立ち入りを認めたがらなかったんだから」


 カサンドラは申し訳なさそうに言うが、絶対に悪いと思ってない。短い付き合いだけど、私には分かる。この女は、そういう奴だ。でも私は、彼女のそんな性格が結構好きだった。

 とはいえ、自分が発案した実験から外されていた事実に憤慨しない理由にはならない。


「じゃあなんで、私をここに呼んだのよ。実験は、もう失敗に終わってるわけなんでしょ」

「たしかに、録音の声では駄目だった。でも、直接あなたが語りかける生の声なら、あるいは――と思ったんだけど、どうやら見当違いだったようね」

「なんか気に入らない! でも、録音でもダメ、話しかけてもダメだとは思わなかったな……。じゃあ、次は匂いの実験ね。私の匂いがトリガーになる可能性も――」


 そこまで言った時、私はモニターのなかにあるものを見つけた。オレンジ色のジャンプスーツが蠢く大部屋の床に落ちている白い布切れ。

 そしてモニターに顔を近づけ睨め付ける。そして、理解した。あれって、私の下着じゃないの!


「ちょっと、カサンドラッ! あれって――」

「そうよ、あなたのショーツ。経血がついてたから、都合がいいと思って借りたのよ」

「なっ――」

「でも、見てご覧なさい。あなたの汗や老廃物、そして排泄物や分泌液に血液の匂い。それらを放ち続けるショーツが落ちているのに、誰も振り向こうとしない。おかげで、あなたの仮説の誤りが確認できたわ。それだけでも有益だった。仮説が一つ消える度に、真実に一歩近付くはずだもの」


 私は怒りを通り越して呆れ果てた。コイツはとんでもない研究バカだ。人の羞恥心を何だと思ってるのだろうか。もしや、ホモ・モーティスは羞恥心まで捨て去ったのだろうか。


「……有益なわけないでしょ! せめて事前に言いなさいよ、この変態研究者!」


 私はモニターから目を逸らし、真っ赤になった顔を隠すように両手で覆った。

 経血。そういえば数日前、冷凍睡眠の影響か不規則にやってきた月の障りに、ショーツがぐっしょり赤く染まった。それをよりによって、オレンジ色の亡霊たちがうろつく部屋に放り込むなんて。


「怒らないで、サナエ。これは科学的な最適解だったの。結果は伴わなかったけど」

「結果? 変態のくせに、なに言ってんのよ。まだ終わってないわ」

「私は変態でも何でもないわ。単に病因究明の観点から――」


 抗弁するカサンドラの言葉を遮って、管理センターの職員に収容室へ向かう通路を尋ねると、私はそこへと足を進めた。

 モニター越しなんかでは、モルデグラのことなんて分かるはずがない。

 私は、ふと思い付いたことを試そうと、モルデグラの収容室に向かうことにしたのだ。


「サナエ! 収容室に行くには、許可が必要よ!」

「許可ならさっき下りたって言ったじゃない。防護服なら着てるわ」


 私は止めるカサンドラを振り切り、隔離区画を繋ぐ通路を突き進んだ。

 鼓動が耳の奥でうるさく響く。やがて、冷たい冷気に満ちた大部屋の鉄格子の前へと辿り着いた。


 鉄格子の向こう十数メートル先。収容室の無機質なコンクリートの上に、私のショーツが白く惨めに落ちている。

 室内でバラバラに佇む三十八体の囚人たちは、立ちながら眠っているかのように動かない。鉄格子を掴む私の手には、防護服越しに冷たい感触が伝わってくる。


 私は、覚悟を決めた。そして、大きく息を吸うと、静寂を破り裂くように叫んだ。


「――おーい! 誰か、私に気づいてよ!」


 防護服越しの私の声が、広大な部屋に反響した。


 刹那――ゆらゆらと揺れていた三十八人の肩が、一斉に跳ね上がった。

 彼らの首が、ギチギチと音を立てるように不自然に動く。

 焦点の合わない、しかし飢餓感に満ちた瞳が、一斉に鉄格子のこちら側に向けられる。


「……っ!」


 胸底から湧き上がる恐怖に思わず後ずさりした私の視界で、オレンジ色の海が爆発した。彼らは野獣のような咆哮を上げ、一斉に床を蹴った。

 だが、彼らが殺到したのは、格子の先の私ではなかった。

 私の肉声によって覚醒した彼らの本能は、その直後に、部屋の中央で放たれている「人間の匂い」を完全に捕捉したのだ。


 彼らの咆哮は、凄惨な争奪戦の音へと変わった。

 オレンジ色をした囚人達が、たった一枚の赤く染みた白い布を目がけて、雪崩のように重なり合っていく。 互いを踏みつけ、獣じみた唸り声を上げながら、彼らは私のショーツに顔を埋め、それを奪い合い、引き裂いていく。


 繊細な布が裂ける音が、私の耳に届く。

 それは、私の羞恥心が引き裂かれる音であると同時に、彼らの中にかつての人間性が欠片も残っていないことを告げる断罪の音だった。


 鉄格子を掴む私の指から力が抜けていく。私の仮説は証明された。

 ホモ・サピエンスの「声」が彼らを獣に変え、ホモ・サピエンスの「匂い」が彼らを狂わせたのだ。

 今、目の前にあるのは、私の存在そのものを「餌」としてしか認識しない、オレンジ色の地獄だった。


 あの晩、菩提寺で起こった辛い出来事が、今まさに、私の目の前で再現されている。

 格子越しに広がるオレンジ色の山を呆然と見つめ続ける私を、誰かが後ろからそっと抱きしめてきた。


「サナエ、大丈夫よ。あなたの仮説は正しかった。これで、少しは方向性が定まるはず。この病を克服できるか否かは、私たちに懸かっているわ。だから、一緒に治療法を見つけましょう。そして、あなたの知り合いやご家族を取り戻すの。そのためなら、私は何でも協力するから――」

「――――」


 カサンドラの言葉に、私の視界は滲みぼやける。

 胸にまわされた彼女の腕に、私はそっと手を添えた。

 その時、背後の通路にドタドタと誰かが慌てて走ってくる気配がした。


「センパイ、ここにいたんだ! あ、サナエも! 大変だよ! 見つかったんだ! サナエの仲間が! はやく、こっちへ来て、二人ともっ!!」

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