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第12話 住職

 磨き込まれた板張りの長い廊下を、佳佑は燭台を手にして静かに進みゆく。そして私とヘンリーも、少しばかり遅れて彼に続いた。

 線香の僅かな残り香が漂う廊下には幾つもの襖が並び、廊下を挟んで同じく並ぶ障子越しに、月明かりが柔らかい。

 歩くたびに僅かに軋む板の()と、竹林を揺らす風の低い響き。時折聞こえる山鳥の声。

 普段ならば気にならない陽圧式防護服の吸気ファンが生み出す僅かなノイズが、妙に耳に触って仕方が無い。

 そんな充ち満ちる静けさのなか、ヘンリーがヒソヒソと囁いた。


「おい、サナエ。テンプルマスターが病気だと、彼は言ったんだよな?」

「私の日本語講座も、そこそこ役に立っているようで嬉しいわ。あなたの言うとおり、住職(チーフ・プリースト)は体調不良で寝込んでいるそうよ。でも、おかしいわよね。妖怪なのに」

「ヨウカイ?」

「死なないし、病気にもならないんだから、オバケや妖怪みたいなもんでしょ、新人類って」

「ヨウカイのことはよく分からんが、やはり君もそう思うか」

「ええ。もしかしたら――」


 私とヘンリーが小声で話していると、先を歩く佳佑が廊下の突き当たりで歩を止め、こちらを振り向いて、この奥で住職が寝ていると言った。

 彼が手で示す一際(ひときわ)古びた襖の向こうが、住職の居室らしい。

 佳佑は、その襖の前で正座する。そして、両手をついて頭を垂れると、部屋の中に向かって小さく声を掛けた。


「失礼いたします、先生。お加減は如何でしょうか」


 部屋から返ってくる沈黙を受けた佳佑は襖に手を掛け、音を立てぬようにゆっくりと開く。

 仄かに香が漂うなか、足もとをこちらに向けて布団に横たわる人物の姿が、壁際に置かれた経机の上に灯る蝋燭の優しい光に照らされていた。

 佳佑は、その場で座したまま再び一礼すると、静かに膝を進めて室内に入っていく。

 そして、背を低く保ち、畳を傷めぬよう気遣いながら、彼は床に伏す人物の枕元へと進むと、手をついて頭を下げる。


「先生、とても懐かしい方がおいでになりましたよ」


 佳佑はそう言うと、部屋の外に立つ私に向かって、入れと手で示した。

 本来ならば、私も膝をついて佳佑に続くべきだ。

 だが、どうにも胸が騒いで仕方が無い私は無礼を承知で立ったまま、そのまま静かに足を踏み入れた。視界の片隅で、ヘンリーが腰に手をやりながら私に続く。


 そこは、およそ十畳ばかりの和室だった。シューズカバーを被せた靴越しに感じる畳の感触が、どうにも落ち着かない。おそらく、屋内で靴を脱ぐ習慣の無いヘンリーも、靴下越しの感覚に違和感を抱いていることだろう。

 立ち姿の私達に、佳佑は少しばかり眉をひそめるが、特に苦言を呈しはしなかった。


 そのまま枕元近くに寄ると、床に伏せる人物の容貌がはっきりと目に入る。

 その、仰向けになって目を瞑る人物は、紛れもなく住職だった。

 掛け布団から覗くその顔は、新人類特有のどす黒い色をしている以外、数百年前とあまり変わらないように見える。

 少しばかり頬がこけてはいるが、旧人類であった頃から剃髪していたため、髪のない新人類の姿でも、それほど違和感を覚えない。


 側に近寄ったにもかかわらず、何の反応も見せずに眠り続ける住職に、佳佑は再び声を掛けた。


「私の義妹が、宇宙から戻って参りました。先生も心を砕いてくださっていた早苗が、やっと帰ってきたのです」


 しかし住職は目を開くこともなく、穏やかに眠り続ける。

 新人類の寝顔。それは、私がこの新たなる世界に落ちてきてから、初めて見るものだった。

 これまで出会ったホモ・モーティスは、誰もが皆、二十四時間活動していた。

 そして、体調不良どころか病気ひとつせず、転化災害に伴う身体的欠損を抱えながらも、日々健康に生活している。

 なのに何故、新人類であるはずの住職が体調不良で床に伏しているというのだろうか。

 やはり、これは――。

 私は意を決して、住職に声を掛けることにした。


「和尚さん、ご無沙汰しております。覚えておられますか? 和尚さんのことをぬらりひょんと呼んでよく怒られた、岸本の早苗です」


 その瞬間、住職はカッと目を見開いて跳ね起きた。

 そして獣のような唸り声を漏らしながら、すぐ側に座る佳佑の顔を中腰の姿勢で覗き込む。

 まるで、目の前にいる者の正体を吟味するかのように()め回す師の姿に戸惑いながら、「どうなされたのですか」と佳佑が問いかけるものの返答はなく、住職はまるで本物(・・)のゾンビのような形相を浮かべて佳佑を威嚇する。


 その時、ヘンリーが腰の銃を抜いて銃口を住職に向けると、私に怒鳴った。


「サナエ! すぐに部屋から出ろ! ヤバい状況になりそうだ!!」


 ヘンリーの言葉に、私はすぐさま廊下に向かう。

 だが、思わず焦ってしまったのか、シューズカバーで覆われた足が畳の上で滑ってしまい、脛をぶつけて経机をひっくり返してしまった。


 突如、『穿孔による内圧低下を感知しました。速やかに穴を塞いで下さい』という電子音声が響く。


「サナエ! 蝋燭の炎で足に穴が空いてるぞ! 直ちにリペアテープを貼るんだっ!」


 ヘンリーの大声に、補修キットを取り出そうと腰のポーチに手を伸ばしたとき、誰かが勢いよくぶつかってきた。

 その何者かは、畳の上に倒れた私にのし掛かってくると、フェイスシールドの向こうから睨みつけてくる。


 それは、住職の恐ろしい顔だった。彼は焦点の合わない濁った目で私を睨みながら、大きく口を開いて牙を剥き出す。

 そして、私の首筋に噛み付こうとしたとき、数発の銃声とともに住職は吹き飛んだ。


「我が師になんてことをするんですか、ミスター・リチャードソン!」

「そんなことより、ケイスケッ! 早く防護服の穴を塞げっ!」

「――?」

「早くしろっ! サナエが死んでもいいのかっ!!」


 海外のゾンビ映画を字幕無しの英語版で見るのが好きだった佳佑は、何とかヘンリーの言葉を理解したようで、私に駆け寄ってくると半開きのポーチからリペアテープを取り出して、どうにか探し出した穴に貼り付けてくれた。


 その間もヘンリーは、なおも私に襲いかかろうとする住職に鉛弾を幾つも撃ち込んでいた。

 そして、四肢を完全に破壊された住職は畳の上に転がり、ただ頭だけが動いている。


「先生、なんでこんな事を……。先生が早苗を襲うなんて……」


 佳佑が恩師の禍々しい姿に寄り添うが、住職は彼に構うことなく、ただ私だけに興味があるようだった。そして、その恐ろしい顔をこちらに向けて、不気味な呻き声を上げている。


 私はヘンリーに支えられながら何とか立ち上がろうとするものの、どうやら足を挫いてしまったようで、その場へすぐにへたり込んだ。


「大丈夫か、サナエ。転化の兆候はないか?」

「ええ、右足首が痛いこと以外は、なんとか大丈夫みたい。そんなことより、和尚さんはやっぱり――」

「ああ。彼はモルデグラだ。間違いない」

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