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第11話 家族

 岡山県の山中にあるその集落は、その日もいつもと変わらないまま、平穏に日が暮れた。

 郵便や宅配便は配達されず、来るはずだった生協の配送車も結局やってこなかったが、一昨日の晩からテレビで報道されているような奇天烈な災害とは、全く以て無縁だった。

 そして、村人同士で交わす話題もゾンビ禍という非現実的なものではなく、いつもの他愛ない話ばかりだった。


 しかし、テレビやネットに溢れかえる転化災害の情報に、佳佑は杞憂を抱いていた。

 既に多くの大都市圏が死者の街と化したものの、転化を免れた者達で急ぎ再編された自衛隊や在日米軍によって、国内のゾンビは確実に駆除されつつあるらしい。

 事実、職場のある倉敷市内も同様で、展開した陸上自衛隊の部隊が着実にゾンビを駆逐し、学校のグラウンドや河川敷などでその遺骸を焼いていると、職場近くに住む同僚からのメールにあった。

 それは海外においても同様で、人類の勝利は間近だそうだ。


 生者が優勢であることは、非常に喜ばしいことだ。

 だが、世界の各地で勝利に沸く兵士達の背後に山積みされた転化者の亡骸と、そこに火が放たれる映像を見る度に、ゾンビ映画好きの佳佑は、ある映画を思い浮かべるのだ。


 無遠慮で恥知らずな中年女性の代名詞ともなった、バブル経済期の流行語。その語源となったタイトル名をもつゾンビ映画には、焼却されたゾンビから発生した煙によってゾンビ化現象が拡散するという描写がある。


 もし、今世界中で起こっている非現実的な現実が、あの映画と同じ結末に向かっているとしたら……。そう考えると、恐ろしくて仕方がない。


 しかし、愛する妻にそれを話しても、一笑に付されるだけだった。

 そして、彼女や義理の家族にとっては、彼の杞憂よりもずっと切実な問題――この世情において、家族の早苗が無事に宇宙ステーションから戻ってこられるのか、という点の方が重要だった。


 もちろん佳佑も、義妹の事が心配で仕方が無かった。妻は幼馴染みであり、その妹である早苗とも幼い頃からよく遊んだものだ。

 その親しい義妹が、今この瞬間も、遙か天空の彼方に取り残されている。

 この転化災害から最も離れた宇宙から、きっと彼女は家族のことを心配しているはずだ。

 しかし、実家の息災を伝えるべく、義妹の所属する宇宙センターの家族専用アドレスに何度もメールを送るものの、一向に返信は無いままだった。


 その夜、丑三つ時を過ぎた頃、それは起こった。

 突然の半鐘の音に飛び起きた佳佑は、同じく身を起こして不安そうにしている腹の大きな妻に一声掛けると窓の外を見る。そして、少しばかり離れた一軒の家から炎があがっていることに気付くと、彼はすぐに家から飛び出した。


 村の消防団員でもある佳佑は分団の器具庫に向かおうとしたが、母屋の玄関が開いていることに気が付いた。深夜にもかかわらず開け放たれた玄関扉の様子に胸騒ぎを覚えた佳佑は、そのまま母屋に入り、そこで見たのだ。

 暗い茶の間に、義弟を喰う義父と義母の後ろ姿があった。すぐに事情を察した佳佑は、忍び足で台所に向かうと出刃包丁を手にして茶の間に戻り、義母の延髄に斬りつける。

 そしてすぐに包丁を引き抜くと、自分に振り向こうとする義父に再び刃を突き立てた。


 そして、倒れ込む二人を押し退けるようにして起き上がる義弟の手を取ろうとするが、既に義弟は転化しており、佳佑の腕に噛み付こうとしてくる。

 卓袱台を盾にして義弟の攻撃を躱しつづけ、ようやく背後を取った佳佑は、詫びの言葉と共に包丁を急所に突き入れた。


 義理の家族を手に掛けたという事実に呆けていると、閉じた襖を突き破って何者かが飛び掛かってくる。それは、近所に住む老婆の成れの果てだった。

 辛うじて躱した佳佑の胸に、親族をゾンビ化させた犯人への怒りが湧き上がったが、それ以上に妻の身が心配になった。


 彼は外へ逃げ出すと、火災現場に向かうことなく、すぐさま離れの自宅に戻り、身重の妻を伴って土蔵に隠れることにした。

 血塗れの佳佑が手にする包丁と、夜中に土蔵へ立ち入る禁忌破りに妻は怯えていたが、ゾンビ災害がこの村にも及んできた事実と家族の悲劇を聞かされ、悲しみに暮れながらも彼女は佳佑とともに土蔵に立て籠もる。


 その土蔵の扉を、誰かが勢いよく叩き始めた。母屋から追ってきた老婆のものだと思われたその音は、次第に複数の打撃音となっていく。おそらくは、騒がしい老婆の様子に村中の転化者が集まってきたのだろう。


 避けられない最期を察した妻は、ゾンビになるくらいなら、今のうちに自分を殺してくれと夫に訴えた。

 当然、佳佑はそれを拒んだ。大切な妻の命を奪うことなどできはしない。それに、彼女の胎内には新しい命が宿っているのだから尚更だ。

 佳佑の思いを理解した妻は、あらためて彼に願った。それならば、もしも自分がゾンビ化したら、必ず殺して欲しいと。

 その言葉に佳佑は頷き、暗い土蔵の中で愛しい妻と寄り添い合った。


 いつしか眠りに落ちていた佳佑は、首筋に走る鋭い痛みに目を覚ます。

 土蔵の通気口から日が射しているところを見ると、既に夜が明けているらしい。

 外は静かだった。どうやらゾンビどもは、開かない扉に諦めたようだ。


 自分の首に顔を埋めて眠る妻の様子に笑みを浮かべ、彼女の頭を撫でる佳佑を再び激しい痛みが襲う。

 嫌な予感に妻から身を離すと、血塗れの口で何かを咀嚼する妻の凄まじい形相がそこにあった。

 彼女は再び佳佑の首に食らい付き、肉を大きく噛み千切る。


 痛みと失血によって朦朧とする佳佑は、床に置いていた包丁を手に取ると、自分を貪る妻を抱き寄せる。そして包丁を、その首の後ろにそっと刺し入れた。

 妻の願いを叶えた佳佑は、そのまま意識を失った。


 再び佳佑が意識を取り戻したとき、辺り一面に太陽光が溢れていた。

 見上げると、土蔵の屋根が抜け落ちて、青空がそこにあった。

 壁は一部が崩れているものの、四方をしっかり護っている。

 扉も朽ちているようだが、ゾンビの侵入を防ぐために積み上げた貯蔵品が瓦礫となっており、出入りするのは難しそうだった。


 あれから、どれほどの時が経ったのだろう。

 そして何故、自分はこうしているのだろう。


 ふと、土床に目をやると、白い欠片が散らばっていた。

 手に取ると、それは人の骨だった。

 嫌な予感に駆られた佳佑は、強い日差しの中で欠片を掻き集め、悲しい事実に直面した。

 成人のものと思われる人骨と共に見つけたそれを手にして、流れぬ涙を流しながら、彼は慟哭する。

 手の平にのるほどの小さな頭骨が、彼の泣き顔を静かに見つめていた。





「そうか……。みんな、死んじゃったんだ……」


 懐中電灯が放つ明かりの中で、私は手を合わせながら呟いた。

 家族の墓がこの寺にあると僧侶姿の義兄から聞いた私は、日没後の墓参りという非常識な願いを彼にぶつけたが、佳佑は快く応じてくれたのだ。


 目の前には黒御影石の墓石が並び、墓誌には家族の名前と戒名が記されていた。

 その中に、水子の文字を見つけたとき、突然涙が溢れてきた。

 姉の早弥香から送られてきた妊娠の喜びを綴るメールが、記憶の引き出しからこぼれ落ちる。


「そうだ。皆、僕が殺した。そして、僕も死んだはずだった。なのに、僕だけが蘇った。蘇ってしまったんだよ、家族を殺した僕だけが」

「……」

「早苗くん、済まない。僕が婿入りさえしなければ、君の家族は今も――」

「佳佑さん、それは言わないで。姉さん、あなたと一緒になれて、本当に幸せそうだった。そして、私もそう。あなたと家族になれて、すごく嬉しかったんだから。それにその時、私が姉さんの立場だったら、同じことをあなたに望んだはずよ。自分を殺せって」

「……」

「だって、そうじゃない。まさか、ゾンビになった自分が数百年後に意識を取り戻すなんて、誰にも予想できやしないでしょ? 佳佑さんがしたことは、決して間違ったことじゃない! 誰にも責めることなんてできないわ!」

「だが、結果的に間違っていた。それは事実だ」


 屍であるにもかかわらず、佳佑は生者とあまり変わらない。当然肌の色はくすんでいるが、首筋に深い噛み傷が見えるものの、大きな身体的欠損は見られなかった。

 しかし、その表情はあまりにも辛そうで、見ているこちらまで辛くなる。


「こんなことなら、ゾンビ映画なんか好きになるんじゃなかった。もしそうだったら、ゾンビの倒し方も分からないまま転化して、今も家族水入らずで暮らせたはずなのに。そう考えながら、僕はいつも死を求めていた。でも、死ねなかった。死なない体だからじゃない。ただ、死ぬ勇気が無かっただけなんだ」

「佳佑さん……」

「僕は長い間ウジウジと、家族を失った場所を徘徊していた。そんな僕を見かねて、和尚様が声を掛けてくれたんだ。寺の再建を手伝えって」

「和尚さん、無事だったの?」

「ああ。閉鎖した本堂で経を読んでいて、知らぬ間に転化したそうだ。そして、意識が戻ってからも、ずっと読経を続けていたらしい」

「和尚さんらしいね」

「僕は、あの方に救われた。和尚様の手伝いをしていて、自分が蘇った意味が分かった気がしたんだ。そして、奪った家族の命を永遠に供養し続けることが僕の運命(さだめ)だと理解できた。だから、今もこうして御仏に仕えているんだよ」


 そう言う彼の表情は穏やかだったが、その奥に隠れる悲しみや苦しみが私には見える気がした。

 どれほどの永い時を経ても、そして仏様の力を以てしても、彼の心の空洞を埋めきることはできないのかも知れない。

 それほどまでに、彼は姉を愛してくれていたのだろう。


「でも、よかった。佳佑さんに会えて。家族のみんなを知っている人が、私以外にもいるってだけで、何だか救われるわ」

「それにしても、君が地球に戻ってきてるなんて知らなかったよ。テレビは殆ど見ないから」

「私、結構スゴいのよ! 唯一の旧人類ということで、超有名人なんだから!」

「君は昔から有名じゃないか。宇宙飛行士なんだから。幼馴染みとして、いや家族として、僕は鼻が高かったよ」

「ありがと! でも、佳佑さんもすごいわ。和尚さんとたった二人でお寺をここまで建て直すなんてさ。だから和尚さんも頼りにして、あなたを住職にしたのね」

「ん? 何言ってるんだよ、君は。僕が住職なわけないじゃないか。住職は、今も和尚様だよ」

「え、そうなの? 私、早とちりしちゃったわ。てっきり、和尚さんは引退したのかなって。じゃあ、久しぶりに会わせてよ」

「いいよ。和尚様も喜ぶだろう。昨日から体調を崩していて寝込んでいるんだけど、君の顔を見れば、きっと元気になるはずさ」


 佳佑の言葉が、何だか胸に引っかかる。

 そして、ヘンリーの表情も少しばかり曇っていた。

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