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第8話

「あったま痛い……」

 女神の勝利を祝う宴から翌日、セラは集合場所の食堂で頭を抱えていた。原因は自分でも理解している。

「飲み過ぎだ。阿呆め」

「そんなの分かってるよ……あいたたた……」

 モングレイの評価通り、それはそれは美味いワインだった。もはやテムロスとの口喧嘩に付き合っている余裕もない。

「セラさん、お水もらってきたよ」

 目の前に木製のコップが置かれた。容器で揺れるよく冷えた井戸水を煽れば、胸やけが僅かに軽くなる。

「ありがと、あーっと……女神サマ?」

「スノアでいいよ。女神って呼ばれるの、慣れてないんだ」

「昨日も村娘だって名乗ってたね。パルネ村なんて聞いたこともないけど」

 机の上で眠そうに丸まっていたマルタが不思議そうに呟いた。

「私も驚いたよ。地図を見せてもらったら大陸が3つもあるんだもん。私がユピテスを離れる前、ディナスはたったひとつだったのに!」

「随分と古い言い方をするなぁ。ディナスもマフォットも、今は大地と空としか呼ばないよ」

「サグウェルとルアンサも?」

「太陽と月だね。詩人の唄くらいでしか聞かないんじゃないかな」

 セラも初耳だった。恋唄でよく聞く何かの名前、程度にしか思っていなかったが、まさか雲の向こうに浮かんでいるものの名前だったとは。マルタとテムロスに呆れられるのが目に見えているので、セラは黙っておくことにした。

「ところで、呼んでもいない若造がこの場に居るようだが」

 長机のセラ達が座る席から一番遠い窓際の席。テムロスが視線をやった先にはルクセオが突っ伏していた。足元ではルーフェンがぐったりしている。

「ツェダリア随一の騎士があの体たらくとは如何なものか。屍と変わらぬではないか」

「うるさいジジイだな……手本になる状態じゃないことくらい、おれ達だって分かってるさ」

 ルーフェンがのそのそと立ち上がり、ルクセオの腰を鼻先でつついた。銀鎧の騎士は小さく呻くと、居心地悪そうな顔をして背筋を伸ばした。様子を眺めていたセラは机に頬をつけたまま、騎士の内情を予想する。

「女神サマに負けたのが相当ショックだったとか?」

「ボクは悔しくて特訓したらヘロヘロになったに一票」

「マルタの方が惜しいな」

 観念したようにルーフェンが口を開いた。自重を支えきれず結局また突っ伏したルクセオが仔細を告げる。

「日の出頃に女神様に偶然出会いましてね。弟子入りしたんです」

「女神様って弟子とか取るんだ……じゃなくて、その話関係あるの?」

「大いにありますよ、マルタ先輩。案内も兼ねて散歩に同行したのですが、これがなかなか恐ろしい運動量でして」

「強さの秘訣を探ろうと思ってたんだが、まさか1鐘もしない間にネリエンスの端から端まで回るとはな……」

 ネリエンスは王都ほど整備されてはいないものの、多くの交易路の中継地点に当たる大きな街だ。旅人向けの店を軽く見て回るだけでも半日かかり、日々入れ替わる旅商人の露店通りは常に隙間が無いほどだ。

「さすがに大袈裟じゃない? ウソとまでは言わないけどさ。走って回ってたら落ち着いて見ていられないだろうし、歩いてたって1区画見るのがせいぜいじゃない?」

「例えだよ例え。実際にネリエンスを全部回ったわけじゃないしな。ただ、その……そっちの方がマシってくらい動きまくってたのは本当だ」

「露店の準備を見て回ったかと思えば、住民の方に暮らしについて尋ねたり、教会の語りに耳を傾けたり……盗人の捕縛や2日前に起きた強風の後片付けなんかも手伝っていましたね。街の外に出た魔物の討伐は流石に止めましたが」

「……念のため確認するけど、最初の鐘から2番目の鐘までの話だよね?」

「だからそう言ってるだろ。追いかけてるだけでクタクタなんだ……ルクセオなんてツェダリアのことだとか大陸のことだとか、今のユピテスについて解説もしてたしな」

「興味を持っていただけるのはありがたいのですが、御山での行軍訓練を超えるキツさでした……」

「士官学校の行事だな。いやはや懐かしい」

 アルダードが一人で学生時代の思い出に浸っていると、振り回した女神ことスノアが水の張った平皿とコップを運んでくる。コップをルクセオの前に、床に転がるルーフェンの側に平皿を置き、ルーフェンの白い毛並みをひと撫でする。水に口をつけようとしたルーフェンは、一度だけ顔を背けて嫌がるそぶりを見せた後、観念したように女神の右手を受け入れていた。

 しばらく撫でられていたルーフェンだったが、周りの視線に気が付いたかと思うと首を振って女神の手を払いのけた。

「も、もういいだろっ、いつまで俺ばっかに構ってるんだ!」

「白くてふわふわの毛並みだったからつい…嫌だった?」

「いや、ルクセオの次に気持ちよかっ……じゃなくて! テムロスに頼みたいことがあったんだろ。さっさと切り出せよ」

 ルーフェンはそれだけ言うとルクセオの影に隠れてしまった。尻尾は明らかに上機嫌だったが、言うだけ野暮というものだろう。

「そうだった! テムロスさん、北ウェラリオ大陸の案内をお願いしてもいいかな?」

「ローディオ大陸にも降り立ったばかりだろう。ユピテスで最も広大な大陸だぞ。見て回らんで良いのか?」

 スノアが両手を合わせて頼み込むと、テムロスは不審そうに眉根を寄せ、質問で返した。やりとりを見ていたマルタが「その方いいかも」と後に続く。

「ローディオ大陸は確かに広いんだけど、今は安全に旅ができる場所が少ないんだよね。南のテズールは最近、行方不明者が相次いでて旅人ギルドが立ち入り禁止にしてるし。北のミノスヘリヤは女神教会の過激派がまた襲ってきてるみたいなんだよね」

「東端のアトロの森方面も、両国のどちらかを通る必要があると考えると難しいな。そもそも彼の森は立ち入り禁止な上、住んでいた色涙の一族もふた月ほど前に何者かに全員殺されたという話だ」

「どこもかしこもきな臭いから、今や安全なのはツェダリア周辺だけってことか。確かにここいらだけだと一気に狭くなっちまうね」

 アルダードとマルタの話は、セラが酒場で聞き齧った話と一致する。現状、西側のツェダリア周辺の小国を巡るか、船で他の大陸に向かうしかない。ルクセオがそこに情報を付け足す。

「そういった情勢ですので、普通の旅人なら我らがツェダリア王都サロームの観光を勧めるのですがね」

「武雄祭以外に何かあったっけ?」

「昨日の神比べか」

 マルタが小首を傾げ、テムロスが勘付いたように呟いた。

「その通りです。神刀ハーレイが譲渡された上に、受け取った相手は伝え聞く女神に瓜二つ。女神教会が神輿に担ごうと準備を進めているそうですよ」

 おおかた、教会に縛り付けてハーレイもろとも管理するつもりだろう。ルクセオがそう締めるのを聞いたセラは、どこの組織も腹黒いものだと呆れ返った。教会本部のあるツェダリアにいては捕まってしまうのも遅くはない。

「さっき騎士団長さんに会ってこっそり教えてもらったの。自由に動くのも難しくなると思うから、出立するなら早い方がいいって」

「確かに、北ウェラリオまで逃げてしまえば教会もおいそれと手出しせんだろう。だが、学術同盟──ベロニア、メーヴェス、クランタナのいずれも女神や神話に関する研究が盛んだぞ。学者どもに質問攻めに遭うとは考えないのか」

 北ウェラリオ大陸はそれなりに大きな大陸ではあるものの、西側の大半が砂嵐の吹き荒ぶ砂漠に覆われている。そのため、人が住むのはミュレーヴェル学術同盟で結ばれた三つの都市国家だけだ。どの国もメーヴェスにある魔導学校を中心に栄えていて、何かしらの学問や研究に打ち込んでいる人が多いと聞く。

「私に出来ることならいくらでも手伝うけど……」

「5年や10年どころの話ではないぞ。神秘が明らかになるまで拘束される覚悟は出来ているのか?」

「それは、ちょっと我慢できないかも」

 どうしたものかとスノアは頭を掻いた。ほんの少し目を離しただけで、どこかに行ってしまう彼女からすれば、長期間拘束されるというのは拷問に等しいのではないだろうか。

「あなたが守ってあげればいいだけでしょう。メーロランドさん」

 長机の上にミックスナッツを置いた店主が、テムロスに向かってため息混じりに口を開いた。

「マスター、テムロスと知り合いだったの?」

 マルタが机に飛び降りて、ナッツに鼻を近づける。

 一行が集まっている食堂兼酒場は、旅人ギルドのツェダリア支部も兼ねている。店のマスターも支部長を兼任しているそうだが、所属支部の異なるギルド員までも把握しているとは驚きだ。

「ミュレーヴェル学術同盟のギルド員としてかなり有名な方ですよ。あそこは魔導に長けていなければ所属できない上に、大半の魔導師は研究優先ですから、依頼の消化率がとにかく低いんです。魔導師の力が必要な依頼は学術同盟ギルドに要請するのですが、どうにも滞りがちなのが旅人ギルド全体の悩みでしてね。そういった訳で、メーロランドさんのような優秀な魔導師のギルド員は、ありがたい人材なんですよ」

 酒場のマスターが隣の長机を拭きながら事情を語る。テムロスは鼻を鳴らしてそっぽを向いた。

「それはギルドでの評判であろう。北ウェラリオの3国に於けるギルドとは副業として登録するものであり、生業とする者は学を極めることの叶わぬ無能の烙印を押される。つまるところ、我はベロニアやメーヴェスの研究者共と比べれば地位は遥かに下になる」

「そうは言っても繋がりはあるでしょう? 長年ギルドの最前線を生き残るほど実力はあるんですから」

「……彼奴等の頂点に取り次ぐのは、容易い話では、あるが」

 テムロスは苦虫を噛み潰したような顔をした。よほど使いたくない手なのだろう。眉間の山を一際深くした後に意を決して呟いた。

「メーヴェスの魔導学校宛に手紙を書く。店主、ネリエンスでの旅鳥郵便の相場はいかほどか」

「学長宛の速達便となると……そうですね、対面での封蝋と銀貨3枚になります」

「海を隔てると流石にかかるか。委細承知した。便箋と封筒をひとつ頼もう。印章は手元にある」

 マスターは頭を下げて奥へ戻っていった。

「……あっという間に決まっちゃった。テムロスあんなに渋ってたのに」

「元より渋ってなどおらん。案内は出来ても責任は取れんと言っていたまでだ」

 それを渋るというのでは。乾燥ラネ豆を齧るマルタと目を合わせて肩をすくめていると、テムロスがセラの方を軽く睨んだ。

「我が手紙に記すのは女神が北ウェラリオへ向かうという先触れと、強引な調査は控えろという警告だけだ。それ以上はスノア、貴様が自力で解決しろ」

「十分だよ。案内してもらえればいいなって思ってたくらいだから」

「案内というからには、目当てがあるのか?」

「うん。声が出なくなった原因について、ちょっとね」

「詳しく聞かぬが可能な範囲で手助けはしよう。明日にも出立する。他の者共も同行するのか?」

「アタシはパス。しばらくツェダリアに滞在するようにクロノメイア本国からお達しがあってね」

 今朝、セラ宛に届いた手紙に指令があり、旅の続きはもうしばらく先になりそうだと一人落胆したところだった。

「そっか。しばらくお別れになっちゃうね」

「今は戦後処理だなんだで国の仕事をしてるけど、そのうちアタシも旅を再開するからさ、運が良ければ会えるだろ」

「アルダードさんとマルタさんは?」

「ボクらもお祭りの準備があるから、これ以上はついていけないかな。近衛としては休暇中でも、長く国は空けられないし」

「昨日今日と皆に任せてしまったからな。明日はその分精を出さなければ」

「そういえば、テムロスってツェダリアには何か目的があって来たの? ボクらで良かったら手伝うけど」

「目的というのであれば観光だ。目当ては済んだ、どころかそれ以上の成果が得られているな」

 そう言ってテムロスはスノアをじっと見つめた。ツェダリアの女神像は、クロノメイアでも一度は目にしておきたい観光名所として有名だ。

「なれば、同行者はスノア1人だな。旅費の足しになる依頼も選定しておく故、今のうちに旅支度を整えて来い。必要なものはそこな女傭兵と相談しろ」

 テムロスは、常に背負っている年季の入った合切袋から皮袋を取り出した。中から銀貨を3枚取り出すと、残りをセラに向かって放り投げる。

 ずしりと重い皮袋の紐を解くと、中には銀貨と銅貨が詰まっていた。セラの肩から覗き込んでいたマルタが感嘆の声を上げる。

「テムロスって、実はすっごいお金持ちだったりする?」

「金の使い道が無かっただけだ」

「軽く出してたけど、銀貨3枚って相当な金額だからね? 安宿だったら1ヶ月は泊まれるよ?」

「どこに使おうと我の勝手だろう」

 それだけ言ってテムロスは鼻を鳴らした。

 セラはざっと財布の中身を数えてみたが、一般的な旅人の荷物に加えて防寒具も含めた装備品の新調、値の張る携帯魔導具を揃えても随分と余裕がある。

「アタシもなんか買っていい?」

「……クロノメイア傭兵団宛の請求書を用立てておこう」

 ゼクベルに見つかったら大目玉、というか届いたが最後、彼の部下が確実に報告してしまう。そしてこちらが冗談のつもりでも、テムロスなら本当にやりかねない。

「ちぇっ、女神様行こうぜ」

「待ってセラ、ボクも行きたい! 女の子同士でのお買い物するの、一回でいいからやってみたかったんだよね。アル、いい?」

「セラ殿から離れなければ問題無いだろうが……拾い食いはしないようにな」

「もうやらないよ。アルも変な詐欺に引っかかっちゃダメだよ!」

「詐欺など一度も遭って無いだろう!」

「なんでいまだに自覚ないのさ!」

 マルタは喚きながらセラの肩に飛び乗った。これはまたそう遠くないうちに頭を抱えそうだ。昨日の宴で散々マルタの話を聞いていたスノアも、苦笑いを浮かべている。

「また夕方に合流しよう。そんでもって、夜には女神様とテムロス爺さんの送別会だ」

「セラはお酒が飲みたいだけでしょ」

 軽口を叩きながら、セラ達は酒場の扉を押し開けた。

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