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第7話

 観客は鐘の音に聞き入り呆然としている。興奮した雪狼は、相棒を守ろうと我を忘れて牙を食い込ませるのに必死で、鐘の音も聞こえていないようだった。女神に噛みつくルーフェンの口からは依然として血が滴っている。

「そこまで、勝負あり!」

 決着を告げたのは審判のいる観客席の先頭、ではなく広場の後方からだった。驚いたセラが振り返ると、アルダードやルクセオ達と同じ、銀鎧姿の男が向かってきていた。体格はアルダードよりも僅かに大きく見える。金色の立髪を持つ大きな獅子が隣に並んでいた。

「モングレイ団長!」

 アルダードが慌てて立ち上がり、ツェダリア式の敬礼をしてみせる。男は片手を挙げて応え、同じく頭を下げていた審判の元へ向かった。

「ここは私が預かろう。教会へ伝言を頼む。『ヌシ様との約束を果たす時が来た』とな。それからアルダード、休暇中に悪いが詰所の救護係を呼んできてくれ。帰還した女神の手当をせねばなるまい」

 二人が走り去るのを見届けると、モングレイと呼ばれた男は水路を渡って舞台に向かう。ルクセオと女神は武器を放していたが、ルーフェンの牙は未だに女神の腕に食い込んでいた。ルーフェンは少し冷静になったのか、女神と共に牙を引き抜こうと躍起になっている。

「待て、引き抜くのは止血してからだ。ルクセオはルーフェンを宥めてくれ」

 そう言って、モングレイは腰布を引き抜いて女神の二の腕にきつく巻きつける。

「相当痛むだろうが、もう少し耐えてくれ。アルダードが戻るまでの辛抱だ」

 人垣を押し除けて、マルタを乗せたアルダードが薬箱を持った治療師を連れて戻ってきた。セラとテムロスもついて行く。

 ようやく女神からルーフェンが引き剥がされ、ぽっかりと穴の空いた右腕を、治療師が手際よく手当てしていく。怪我をした女神はなんともない様子だったのに対して、ルーフェンの方が酷く動揺していた。

「ルクセオ、ごめん。ルクセオを守らなきゃいけないと思って、気が付いたら……おれ、ルクセオの相棒失格だ……」

「いいや、不意を突かれた私のせいだ。これが戦場であったのなら、むしろ感謝すべきだろう」

 ルクセオはルーフェンの頭を撫でようと前屈みになり、ふらついたかと思うとそのまま尻もちをついてしまった。

「足が……」

「一鐘もの間、剣を握っていれば立てなくもなるだろう。ルーフェン殿とこの場で少し休むべきだ」

 近くにいたアルダードが水筒を差し出した。ルクセオはアルダードの顔をじっと見つめた後、小さく感謝を口にしてから受け取った。

「むしろよく最後まで立ってたもんだ。ツェダリアにはこんな化け物がぞろぞろ居るのかい?」

 セラは素直な賞賛を伝えることにした。後半は冗談のつもりだったが、アルダードが自分には無理だと首を横に振っている。

「試合形式ともなれば、継戦力においてルクセオ達の右に出る者はいないだろう。もっとも、兵を束ねる者としては全ての騎士にそうあって欲しいと願っているがな」

 いつの間にか、モングレイがセラの隣に立っていた。アルダードとルクセオが揃って敬礼をする。

「久しいな、セラ・キャロロフ団長。我が国の剣闘はお楽しみいただけただろうか?」

 セラとモングレイ・ブランダズールが最後に会ったのはツェダリア国王夫妻の葬式だったと記憶している。停戦中とはいえ、互いに敵国の上層部ということもあり、会釈を交わした程度の話ではあるが。

 アルダード達からは騎士団長として随分と評判の高い人物だと聞いている。また、国王の没後は国主代理として内政も担当していると街中で耳にした。軍務をこなしつつ文官や口うるさい貴族達をまとめるのは、並大抵の苦労ではないだろう。

「あんまり長いんで尻が痛くなっちまったけどね。ま、世紀の一戦を見れたみたいだし、悪くないよ」

 敬語が苦手なセラは、普段通りの軽口で答えてみせた。騎士団長殿は特に気にしていない様子だった。

「何よりだ。ところで、あちらの御仁はセラ殿の知り合いか?」

 モングレイは、女神の隣に立っていたテムロスを見つめている。視線に気づいたのか、はたまた会話が聞こえていたのか。こちらに寄ってきたテムロスは恭しく首を垂れた。

「テムロス・メーロランドと申す。ミュレーヴェル学術同盟のギルド員として勤めている老耄だ。クロノメイアの団長殿とは、そこな女神の一件で昨日知り合ったばかりでな。祭りの邪魔であれば直ぐに退こう」

「これは丁寧に。ツェダリア王国の騎士団を纏めているモングレイ・ブランダズールだ。しかしセラ殿が北ウェラリオの魔導師とも知り合いとは。邪魔どころか、これは……うむ、僥倖と言うべきだろう」

 ぼそぼそと呟くと、何やら満足そうに頷いている。テムロスが不快そうに眉根を寄せた。

「テムロス殿とセラ殿。良ければ神刀ハーレイの授与式に、見届け人として参加してはくれないだろうか。南北のウェラリオ大陸からも証人が居たとなれば、今日のことは大きな話題になるだろう」

 突然何を言い出すのかとセラが面食らっていると、テムロスが成程、と小さく呟いた。

「差し詰め、国宝の贈与に当たって箔が欲しいといった所か。だが、そこなクロノメイアの将はともかくとして、一介のギルド員に過ぎない我にかような大役が務まるわけが──」

「昨日の突風騒ぎ」

 長々と断る理由を述べようとしたテムロスが口を噤んだ。間違いなく女神を助けるために行使した魔導のことを言っているのだろう。

「貴殿も片付けを手伝ってくれたと聞いているが、街全体で随分と大きな被害が出ていてな。被害者達は人命がかかっていたからと溜飲を下げてくれたが、なかなか馬鹿にならない金額だ。平時なら加害者の所属するギルドに請求するのだが、参加してくれるというのなら全額こちらで請け負おう」

「……元より断らせるつもりが無いではないか。乗せられるのは癪だが、そこまで譲歩されては何も言うまい」

 苦し紛れの悪態に、セラとモングレイは顔を見合わせて笑った。テムロスは不服そうに鼻を鳴らしている。

「それで、アタシは何で脅されるんだい?」

「脅すとは人聞きの悪い。セラ殿には特段用意していないのだが……そうだな、授与式が終わりしだい、近くの酒場で簡単な祝いの席を設けようと思っている。この場にいる全員分、私が出そう」

 肉料理とワインの美味い店があってな。と付け加え、モングレイはセラを誘った。

「タダ酒にありつけるってことなら断る理由は無いね。一応ゼクベルには報告するけど、構わないかい?」

「感謝する。いつかゼクベル団長とも席を設けると伝えてくれ」

 決まりだな。と呟くと、いつの間にか立ち見が増えた観客席に向かって、モングレイが二回ほど手を叩く。しん、と静まり返った広場の向こうから木製の鞘に収まった剣が運ばれてくるのが見え、ハーレイの授与式はあっさりと始まった。

 モングレイによる簡単な挨拶と壇上に残っていた面々の紹介、刀護りと挑戦者への賛辞が続き、ハーレイを持ってきた騎士がその隣に跪く。

「これより、神刀ハーレイの授与を執り行う」

 近くで見る国宝は随分と細かった。明るい色の木材を切り出して作られた鞘には、黒く文字が彫られている。見たことのない古い字体だったが、おそらく鍛治師の銘だろう。

 鞘と柄の境界には帯状の赤い金属細工が鍔代わりに巻かれていた。鞘の周りに浮かんでいるように見えるが、細い棒状の金属が細工を貫いて支えになっているようだった。

 モングレイが小手を外した両手で刀をそっと持ち上げる。女神の方へ向き直り、広場の人々にも見えるように高々と掲げた。感嘆の声がどこからともなく漏れ聞こえてくる。

 掲げられた刀はそっと女神の前に差し出された。女神は両手を掬い上げ、鞘と柄をしっかりと掴んで受け取った。刀が女神に触れた途端、待ちわびていたかのように強く輝き出した。

 刀が放った光は女神を包み込み、彼女の体に触れると吸い込まれるように消えていった。女神は目を見開いたまま固まっている。予想していた事態ではなかったようだ。

「さて、刀を継ぎし新たな女神よ。名を伺ってもよろしいかな?」

 僅かに目を細めていたモングレイは動揺するそぶりを見せず、何食わぬ顔で尋ねた。セラが女神は声が出せないのだと進言しようか迷っていると、他ならぬ女神自身が口を開いた。

「わ、たしは──」

「あんた、声が」

 出せるようになったのか、とセラが問う前に明るく輝く両目とかち合った。にこりと微笑んだ女神は刀身を鞘から引き抜き、天を貫かんとばかりに高く突き上げる。長い時を手入れもなく過ごしたはずの鈍色には錆の一つも見当たらず、煌めく刃先は折れないか不安になるほど薄い。

「私はスノア・クリアス。偉大なるディナスの最西端、パルネ村の孫娘。星を愛するユピテスの旅人が一人」

 彼女は客席を向いてそう宣言した。刀が秋の日差しを反射する。刃先がちかりと瞬いたかと思うと、ゴシキの御山の山頂が蠢き、歓喜と言祝ぎの咆哮が響くのだった。

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