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第5話

 大皿をあらかた平げた頃。セラは皆が一息ついたのを見計らって切り出した。

「それで、聖堂の地下には何があるんだ?」

「国宝だよ。神刀ハーレイ。女神様が使ってたっていう片刃の剣」

 名前を聞いて女神が身を乗り出す。がたがたと揺れるテーブルに驚いたマルタが、アルダードの肩に登っていった。話す余裕のなくなった相棒に代わってアルダードが続ける。

「女神像と共に建国時代から伝わる国宝だ。教会の地下に眠るようになったのは今から250年ほど前だな。当時の主君ログレンティス王が『弱き国に神の刀を護る資格無し』という考えの持ち主でな、国一番の騎士とその相棒に勝利した者に譲るとお決めになられたのだ。以来、武雄祭の時に行われる剣闘大会の勝者が刀護りとして、挑戦者を返り討ちにしている」

 歴史の話は聞いていて頭が痛くなる。セラが眉根を寄せてこめかみを抑えていると、テムロスが呆れたようにため息をついた。

「なんだい、爺さん」

「何も。小娘、目当てはその武器で相違ないな?」

 テムロスが女神に目線を送って確認する。未だに身を乗り出していた女神が頷いた。店の明かりに照らされて、赤い両目が爛々と輝く。条件は分からないが、文字通り目の色が変わるのは確かなようだ。

「うむ。今後もユピテスで暮らすのなら、手に馴染んだ武器はあった方が良いからな。他でもない女神様の手元に戻るなら何よりだ」

 アルダードが満足げに頷く。

「アルってば……ハーレイは女神像とヌシ様に次ぐ国の象徴なんだよ? 分かってて言ってる?」

 マルタは背中の針を立ててアルダードの頬にちくちくと刺していた。

「あいたた……分かっているさ。マルタ殿こそ、簡単な話ではないことを忘れていないか? 何せハーレイを守るのは剣神とも謳われる──」

「我々のことですね」

 話に割って入ってきたのは一人の若い男性だった。アルダードと同じ銀の鎧を身につけ、白く輝く立派な毛並みの狼を連れている。

「来ると思ってたよ……」

 マルタが面倒臭そうにため息を吐いた。

「お疲れ様です。アルダード先輩、マルタ先輩。何やらハーレイについてお話しておられたようなので、思わず首を突っ込んでしまいましたが」

 整った顔立ち。というのがセラの率直な感想だった。並の生娘であれば憧れていても不思議ではない。

 波打つブロンドの長髪を後ろで一つに束ね、緑の瞳の奥では燭台の火がちろちろと燃えている。笑みを絶やさない口元からは、余裕と強い自信が伺えた。

 隣の狼は落ち着きなく尻尾を振り回し、黒く輝く瞳でマルタをじっと観察している。マルタは居心地が悪そうにしながら、男達を紹介した。

「彼はルクセオ。隣の白い狼がルーフェンって言うんだ。王国騎士団第二部隊の所属で、さっき話してた刀護りその人達だよ」

「ルクセオ・エストラントと申します。ルーフェンと共に何卒、お見知り置きを」

 男はそう名乗ると恭しく腰を曲げた。貴族の真似をする魔工学者のようなお辞儀に、セラの背筋はむず痒くなる。わざとらしい行儀というのはどうも苦手だ。そんなことを考えている間に、マルタは後輩達にこれまでの経緯をかい摘んで聞かせていた。

「なるほど。そちらの黒髪の女性が、ヌシ様に認められた女神様と言うわけですね。それで、ハーレイをどうにか取り戻したいと」

 問われた女神はぶんぶんと首を振る。

「なんだか随分と品のない女だな。そこのハリネズミがウソついてるんじゃないか? その髪だって、炭なんかで染めてても分からないだろ」

 ルーフェンが目を細めてマルタを見つめ、馬鹿にしたように鼻を鳴らした。

「ルーフェン。滅多なことを言うんじゃないよ。この女神様に我らがハーレイを操る実力があるかは、疑わしいけれどね」

 ルクセオの顔は笑みを保ったままだ。剣の腕と器量は確かなようだが、あまり気持ちのいい性格の持ち主ではないようだ。ああいった物言いはクロノメイアのお偉方の間ではよく見かけたが、自国特有のものでは無かったらしい。

「ヌシ様が嘘ついたって言うの?」

 マルタが背中の針を立てて最大限に威嚇する。

「そもそも会ってすらいないとか」

 ルーフェンは目を細めて笑みを浮かべている。力自慢の獣らしく、反応を楽しんでいるようだ。

「ここに証人が2人もいるってのに?」

「当然だろ。空から落ちてきたヒトを救ったのは本当だろうが、それが物語に出てくる女神様だなんて、誰が信じるかって話だ。それに、弱い獣は自分を大きく見せようとウソをつきたがるもんだしな」

 軽く言い返してみたが、ルーフェンの考えは変わらないようだ。人間が人間なら獣も獣か、とセラが呆れていると、相棒を貶され誰よりも憤るべきアルダードが感心したように頷いてみせた。

「確かに、こちらの女神殿は剣士にしてはいささか細身ではあるな。神という身分の高さから、王族のような落ち着きを求めるのも無理はない」

「ハッ! マルタ、お前の相棒はこっちの味方らしいな?」

 浮かれたルーフェンが勝ったと言わんばかりの声を上げ、毛並みの整った尻尾を強く振った。だが、とアルダードが遮るまでは。

「女神であるかを判じるために、貴殿ら刀護りがいるのだろう? 勝った方が刀の主人足りうる。それがハーレイに対する決まりのはずだ」

 僅かな沈黙が流れた。アルダードの目がルーフェンとルクセオを見つめ、最後に女神に頷いた。

 ルーフェンの白い尻尾がどきりと止まる。黙って成り行きを見守っていたルクセオの高笑いがテーブルを揺らし、燭台がつられてカタカタと笑った。

「我々の負けだな、ルーフェン。良いでしょう。挑むなら応じるのが刀護りの責務。幸いにも明日なら空いていますが、如何ですか?」

 獲物を見つけた獣のように、ルクセオの瞳が輝いた。女神を真っ直ぐ見据え、答えを待っている。

「……性急な話だな。そこな小娘は今日の昼に落ちてきたばかりだぞ」

 テムロスの呆れた声が飛んでくる。セラも口を挟もうと身を乗り出すと、向かいに座っていた女神が片手で制止した。ルクセオはそれを是と捉えたらしい。程よく厚い唇が弧を描いた。

「応じてくださり感謝しますよ。それでは明日の朝。教会の二番目の鐘の前に、『夏の王の広場』にてお待ちしております」

 ルクセオが右手を胸に当て、最初にしたお辞儀より殊更深く腰を曲げる。銀の鎧が品のある音を立てた。時間をかけて姿勢を戻した頃、苛々と尻尾を振っていたルーフェンがそそくさと店の外に向かっていった。ルクセオも後を追って去っていく。

 店のドアベルが退店を告げると、周囲の客が口々にルクセオの噂話を始めた。陰口ばかりかと思ったが、先ほどの会話は喧騒に揉まれてかき消されていたらしい。聞こえてくるのは輝かしい功績ばかりだった。

「おい、今日の『神比べ』見たか?」

「いやぁ? ルクセオ様とルーフェン様が勝つのは決まっているからな。なんせツェダリアいちのコンビなんだから」

「そりゃ勝ったに決まってるけどよ。今日の勝ち筋は凄まじかったぜ。巨木のケランサスが手も足もでねぇでやんの。尻餅ついて負けたもんで、広場がえらい揺れた揺れた。ひとしきり周りに笑われた後、ぽろぽろ涙を流して退散してたぜ。ありゃなかなか滑稽だった」

「ケランサスってぇと、その辺の木引っこ抜いて戦うっていう冒険者か? おれも見ればよかったなぁ」

「しかし、剣の腕は負け知らず。容姿も良くて家柄も名門と来たもんだ。ルクセオ様が羨ましいったらありゃしない」

「おまけに相棒は『女王の剣』だろ? 雪狼なんて、どうしたら出会えるのかねぇ……」

「お前、この前は相棒にするならパルネベアーが良いとか言ってなかったか? ころころ変えやがって。そんなんだから本当の相棒に呆れられるんだよ」

「うるせぇ。そういうお前さんだって──」

 話題が相棒にしたい獣にすり替わったところで、セラはぬるくなった林檎酒を飲み干す。威勢のなくなった炭酸が舌を刺激した。

「『神比べ』というのが、先にスノアなる娘が取り付けた試合だな?」

 セラと同じくそば耳を立てていたテムロスがマルタ達に問いかける。

「そうだよ。より強い、女神様に近い方を決めるから『神比べ』なんだって。旅鳥新聞がつけた名前がそのまま定着したみたい」

「それじゃ、名実共に『神比べ』になったわけだ」

 物語上の女神の強さは武雄パリムや海雄ラウドをも凌ぐという。とはいえ獣と人の共闘を知るセラとしては、仮に本物の女神だったとしても厳しい戦いになると考えている。何にせよ、観戦するなら良い勝負をしてくれることを祈るばかりだ。

「ツェダリアの剣神とユピテスの女神。明日の試合が楽しみだな!」

 アルダードの呑気な期待と、釣られて楽しそうに微笑む女神。そんな二人を見て、困ったようにため息を吐くマルタの姿が、妙に印象的だった。


 その後は特にする話もなく、明日に備えてお開きとなった。宿の無い女神はセラと相部屋で休むことが決まり、一行は広場で落ち合うように約束して解散した。

 宿に着いてすぐのこと、女神は二つあったベッドの片方に倒れ込むと、そのまま眠りについてしまった。物音で起こしては悪いと思い、セラも早々に寝床に入る。

 誰かと寝るのはいつ以来だろう。女神の寝息を聞きながら、ふと思う。小さな頃はいつも母が隣にいてくれた気がするが、随分昔に亡くなったのではっきりと覚えていない。父に聞けば分かるかもしれないが、ここは五年まともに口を聞いた記憶がない。そもそも会話が成立したことなど無いに等しいが。

 などと思いめぐらせていると、右の義眼に痛みが走った。父親のことを考えるといつもこうだ。幻覚、あるいはトラウマのようなものなのだろう。

(……嫌なこと思い出しちまった)

 セラは他のことを考えようと思い、寝返りを打って女神の方を見る。ぼんやりとした月明かりの中に見える寝顔は、どこにでもいる純粋無垢な村娘のそれにしか見えない。寝言のつもりなのか魚の真似なのか、時々口を開閉させている。これもまた、音になっていないだけなのだろう。

 安らかな寝顔を見ているうちに、セラも段々と眠くなる。次に瞼を開けた時には月の姿は女神と共に見当たらず、窓から陽光が降り注いでいた。

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