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第1話

 ツェダリア王国の街ネリエンスには世界で唯一、女神の姿を象った石像がある。石像は建国前からそこにあり、作り手の名は知られていない。しかし、台座に彫られた『スノア』という女神の名と、神話で語られる女神の容姿──腰まで届く長髪と腰に携えた片刃の剣が女神像であることを裏付けていた。その神秘性と女神の知名度から、信心深い人々がこぞって訪れる観光名所となっていた。

 普段は旅人が足を止める程度だという女神像を囲うように、今日は砂色と若葉色の外套の集団が忙しなく動いている。彼らは皆、怪しげな道具を握りしめ、調査結果を紙にまとめていく。

 少し離れた所にある天幕の中で、よく目立つえんじ色の外套を羽織った老人が、書類を睨みながら指示を出していた。今日も部下への罵倒が酷いので、周りの住民から冷ややかな視線を一身に浴びている。最も、本人は気づいていないようだが。

 彼らは海を隔てた先にあるクロノメイアという国から来た魔工技師と、その門下生だった。荒くれ者の多い国の出だからか、環境の厳しい土地の育ちだからか。ツェダリア人である街の住人達よりも彫りが深く、目つきの鋭い者が多かった。

 魔工学の開祖、技雄エリオラを信奉するクロノメイアにとって、彼ら魔工技師は国の宝である。その宝が傷つけられないよう、もとい好奇心旺盛な彼らが国交に支障が出るほど余計なことをしないように監視するのが、クロノメイア傭兵団の団長が一人、セラ・キャロロフの役目だった。

 この任務に着いて今日で五日。技師達の観察に早々に飽きていたセラは、あくびをかみ殺しながら秋空を見上げていた。赤や黄色、果ては紫に色付いた枯れ葉が風に遊ばれて踊っている。悲願の調査を行う魔工技師達よりも生き生きとしているように見えた。

 枯れ葉を追って真上を向いたセラの動きが止まったのが少し前のこと。山風が冬支度を急かす中、太陽が見下ろす空の中に違和感を感じて、じっと目を凝らしているところだった。


 ネリエンスといえば、大国ツェダリアにとって王都サロームに次ぐ重要都市。そしてツェダリア王国と母国クロノメイアは、年若いセラが生まれる前から海を隔てて睨み合いを続けていた。

 今年の春から小競り合いから膨らんだ戦を続けていた両国だが、ツェダリア国王の急死によって夏の終わりに停戦協定が結ばれた。野蛮で知られるクロノメイアが踏みとどまったのは、侵略の目的の一つである『ツェダリア領内での女神像の調査』の許可が降りたことが大きかった。

 停戦協定後、たまたまツェダリアに滞在していたセラは、クロノメイアからやってきた魔工技師の護衛と監視の任に就いていた。調査は滞りなく進んでいるらしく、明日には帰国する旨を調査隊のまとめ役から聞いていた。

 女神像。

 ユピテスにおける唯一神を象った石像には、着色が一切行われていない。それでも、世界中の誰もが女神の容姿を『目の覚めるような赤い瞳に、腰まで届く長い黒髪』だと答えられるだろう。教会の教えや旅詩人の唄、子供に聞かせるおとぎ話など、彼女のことを知る手段は多岐にわたる。

「セラ、監視は順調?」

 自分が最初に女神の話を聞いたのはいつ頃だろうか。などとセラが考えていると、銀の甲冑に身を包んだ大男がこちらに近づいてきた。がっしりとした体格といい、黒い目と焦げ茶色の髪といい、何度見ても熊が二本足で歩いているように見える。しかし、聞こえてきた甲高い声音は彼のものではない。

「マルタとアルダードじゃないか。休憩ついでに冷やかしかい?」

「今日のお仕事は終わったよ。お仕事って言っても、お祭りの準備の手伝いだけどね」

 男の肩では、小さなハリネズミが鼻をひくつかせていた。男の名前がアルダード、ハリネズミの方がマルタである。ツェダリア王国騎士団に属する彼らは、セラが春の戦より前に知り合った良き友人達だ。彼らとセラは親子に見えてもおかしくない年齢差だったが、あまり気にしたことはなかった。

「見ての通り、最終日も問題なく終わりそうだよ。今は撤収の準備中だとさ」

「それは何よりだ。して、何か女神像の秘密は明かされたのか?」

 アルダードがそう言って女神像の方に目を向ける。

「それがなーんにも見つからなかったみたいでね。ジルヴァの爺さんがずっと部下に当たり散らしてるよ」

 そう言って集団に目を向けると、えんじ色の外套を被った老人が何とかならないのかと喚き立て、一団を取りまとめていた傭兵の一人に紙束を投げつけていた。

「手ぶらで国に帰るのが惜しいんだろ。あの爺さん、昔っからここには何かあるって言って聞かなかったから」

 長年ツェダリアへの遠征を無理を押して手引きしていた男だ。今まで費やした時間と国費が無駄と分かれば、国政への発言力が落ちるのは明白だ。

「セラは何してたの?」

「アタシは暇つぶしに空を見てた」

「暇つぶしって……アレとか、止めなくていいの?」

 えんじ色の胸ぐらが傭兵の腕に掴み上げられている。離せと喚くジルヴァは活きが良いし、掴んでいる傭兵の男も本気では無さそうだ。セラは肩をすくめて秋空観察を続ける。

「あれくらいよくある事さ。部下達だけでなんとかなるよ。そんなことより、真上に何か見えた気がしてね」

「上? ボクには雲と空島くらいしか見えないけど……」

 一人と一匹が同時に空を見上げ、首を傾げた。四十年も連れ添うと意図せず動きが揃うらしい。セラは度々そういう場面を目にしてきた。

「右眼の端に反応があったんだ」

 セラの黄色い左目の反対側、前髪で隠れた向こうから赤い光が点滅した。彼女の義眼は魔素を感知する。目に見えるものでないと察したアルダードとマルタは、肩をすくめて視線をセラに戻した。

「随分と遠いようだな」

 感心したようにアルダードが呟いた。魔素の濃い場所は空気が歪んで見えることがある。歴戦の騎士はそういったものに敏感だった。分からないということは、それだけ距離があると判断したらしい。

「その割に反応が大きいんだよ。少しずつ近づいてきてて……止まった、のか?」

 常人には見えない澄んだ塊の中に形が見えた。四つの長い手足のような突起と、頭くらいの大きさの小さな瘤。街に影を落としていた空島に近づいたかと思うと、急激に速度を落として完全に静止した。岩場に張り付くヒトデのようなそれは、空にあって良いものだとは到底思えなかった。

「セラ殿?」

 嫌な予感がする。直感が正しいと胸の奥が騒ぎ立てる。空の一点を見つめていたセラが一歩、また一歩と後ろに下がった。空島の欠片が砂となって降り、雨の代わりに頬に当たった。

「人だ。人が落ちてきてる!」

 セラは叫ぶのと同時に、体の向きを変えて走り出した。

 目指すは街で一番大きな建物。酒場に併設された旅人ギルドの寄合所だ。


「この中で腕に自信のある魔導師は!」

 勢いよく酒場に飛び込んだセラは、勢いそのままに力になってくれそうな人を探して声を荒げた。

 北ウェラリオ大陸の魔導師は、物を浮かせて操ることができる。優れた魔導師は星を落としたという逸話もあるのだから、人ひとり浮かせるだけの力を持つ者がいてもおかしくない。荷運びや探究のために内海を越えた魔導師の力を借りようという魂胆だった。

 昼間だというのに酒場はそれなりに盛り上がっている。テーブル席の半分ほどは、顔の赤い旅人と街の人で埋まっていた。

 店主はのんびりとグラスを磨き、店の様子を眺めていた。対面のカウンター席では外套を着込んだままの老人が一人、背中を丸めて座っている。

「どうした?」

 テーブル席の旅人達が腰を浮かせた。皆揃って背丈が子供と変わらない。魔導に長けた北ウェラリオ大陸のレーヴェル人だ。

「空から人が落ちてきてるんだ。今は空島に引っかかってるけど、あのままじゃ死んじまう!」

 青空を指差して事情を話す。我ながら馬鹿げた物言いだとは思ったが、急がなければ肉眼で見える位置に来てしまう。

 焦るセラとは対照的に、酒場から返ってきたのは酔っ払いの笑い声だった。セラの表情が険しくなる。

「姉さん、知らないんだな。魔導ってなぁ、生き物は操れんのよ」

「そうそう、転移の魔導は意思なきモノのみ。本当に石っころとか木材に魂が宿ってないのかは知らんがな」

「そもそも、空から人なんて見間違いじゃないのか? おれたちより呑んでたりして──」

「喧しい!」

 カウンターの方から声がぴしゃりと飛んできた。酔っ払い達の浮かれた雰囲気を切り裂くには十分過ぎる、太くよく響く声だった。空気がびりびりと震えるのをセラの頬が感じとる。気圧されるのは久々だ。

 中央のカウンターには店主を除いて老人が一人だけ。彼は店中を睨め付け、呆れたようにため息を一つついた。

「己を省みることなく、出来ぬ出来ぬといつまでも騒ぐとは……痴れ者が」

 でも。と言い訳をしようとした魔導師は、老人に睨まれると首を引っ込めてしまった。

 酒場に似つかわしくない、あまりに気まずい雰囲気。セラは段々と罪悪感を覚えてくる。

「爺さん、アタシが変な頼み事したのが悪いんだ。その辺の竜人族にでも頼んでみるから忘れて──」

「何処だ」

「……は?」

 店の扉に手をかけたセラの後ろから、声がかかった。さきほと怒鳴り散らかした老人だ。椅子から降りて荷物を肩に下げている。彼もまたレーヴェル人らしく、セラの胸元ほどの背丈だった。

「現場はどの辺りだと聞いている」

 セラの両目とかち合った深緑の視線は鋭く、他の旅人と違ってセラの話を真実であると捉えている。右眼で捉えている魔素量も、おそらく客の中で一番多い。腕利きの魔導師であることに間違いはなかった。

「爺さん、走れるか?」

 老人は自信たっぷりに鼻を鳴らした。

「舐めるなよ、娘」

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