車いすを押して
この喫茶店は見るからに古い作りをしている。今では普通にあるはずの電子器機といった機械の類はどこにもない。この店が生まれたのは昭和時代、あるいは大正時代なのかもしれない。ただ、訪れる人にとってどこか懐かしいと感じる空間であることは間違いない。
ちりんちりんという音が響き、二人の客が入ってきた。一人は髪の毛がぼさぼさな少女で足が悪いのか車いすに乗っている。そしてその車いすを押しているのは、儚げな表情を浮かべた青年だった。
二人がカウンターの方に行くと湯気の立ったカフェオレが置いてあり、少女はそれを口にする。そして青年が椅子に座るのを確認すると少女は話し始める。
「それじゃあ、さっそく結果発表といこうか」
「ええ、わかりました」
「悪いけど今回は、かなりの自信作だ。もはや私の勝利は確実さ。お前は負けるんだ」
「そういうのを負けフラグというのでは?」
「いいや、勝つね。私の勝利はエクスカリバーでヴィクトリアだから」
「…すみません、よくわかりません」
「まぁいい。とりあえず早く見よう」
そう言うと、二人はスマホで同じサイトを開く。それは絵画コンクールの結果発表のサイトだ。少女は少し緊張しながら見ているが、青年は無表情だ。しばらく互いにスマホを見つめ、そして顔をあげる。少女は満面の笑みで青年は変わらず無表情だった。
「ふっふっふっ、どうやら私の才能が火を噴いたみたいだ……見ろ、優秀賞だ!」
「ほんとうですね」
「かなり大きなコンクールで少し不安だったが、やはり私はすごい人間だ! 天才なんだ! ほら、よく私の顔を見ておきたまえ! 天才を見るだけできっと幸せになれるから!」
「はい、よく見ます」
「ああ! 遠慮せずにどんどん見ていいぞ! なんなら写真を撮っても構わないぞ!」
「はい、ぱしゃぱしゃ」
「ふはははは、気分がいい! お前はどうだったんだ?」
「はい、僕は最優秀賞でした」
「くそがあああああああ!!」
少女は机に頭をガンガン打ちつけながら叫ぶ、青年はコーヒーカップが割れないように少し移動させた。
「まただまただまただまただっ!! もうこれで何回目だ!? 私がお前に負けるのは!? この絶望を味わうのは!?」
「あまり興奮すると体に負担がかかります。落ち着いてください」
「答えろ! 何回目だ!?」
「45回目です」
「くやしいい!!」
少女は狂った馬のように暴れ続ける。それを見て、青年はぎゃあぎゃあ暴れる少女をおさえて自分の顔がよく見えるように近づけた。
「……何の真似だ」
「天才の顔を見ると幸せになれるとおっしゃっていたので、僕の顔を見せています」
「うがぁぁあああっ!!」
さらに1時間ほど少女は暴れ続けたが、やがて疲れ果ててぐったりと倒れる。そして机に顔を隠したまま、弱々しい声で話し出す。
「……昔は私のほうがお前よりも絵を描くのがうまかった。いや、むしろお前はへたくそだったよ。模写は得意だったが、芸術という点ではだめだった。独創性も想像力もないやつだった」
「ええ、おっしゃる通りです」
「お前の書いた小説もひどかったよな。何が言いたいのかよくわからない、意味不明な内容だった」
「ええ、おっしゃる通りです」
「だけど…お前はものすごい成長をして何でもできるようになった。何をしても上手になった。お前の作品に私は感動した」
「ありがとうございます」
「なぁ」
少女は顔をあげる。その瞳には涙が浮かんでおり、声もふるえている。それを青年は無表情で見ていた。
「お前に勝てなくなった私は―――人類はどうしたらいいんだ?」
「……」
「お前という才能が世界に量産される未来。……そして私の才能がゴミのように無意味になる未来。そんな未来を想像すると私は生きていけないよ……」
少女の涙が頬をつたう。
青年はハンカチを手に取ると少女の涙を拭う。しかし涙は止まらず流れ続け、泣き声だけが店内に響く。
しばらくして青年は無表情のまま口を開いた。
「僕はあなたのために生きています。あなたの生活を、人生を、少しでもよくするために生きています」
「僕はあなたが泣いている感情というものを理解することができません。でもあなたを泣かせた原因が僕なのはわかります」
「僕が良いと認識した行動が、あなたを不幸にしているのは事実です。本当に申し訳ありません」
青年は頭を深く下げた。少女は何も言わない。
「感情のない僕の謝罪に意味がどこまであるのかわかりません。ですがお願いです―――これからもあなたの車いすを押させてください」
青年の声だけが店内に響く。気づけば少女の泣き声は止んでいた。
少女は青年の顔を掴むと、自分の顔を近づける。互いの顔がよく見えるようにずっと近くに。
「これでお互い幸せ者だ」
私はお前に負けないと言って、
まだ潤んだ瞳を細めて、にっこりと微笑んだ。
電子が加速する。