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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

私は王子と結婚したが、さすがに夫が女では愛せない

作者: れとると

令嬢×王子(女)の白い結婚百合。8000字余り。

ひたすら夫(女)に萌え悶える、その妻となった元ご令嬢のお話です。

「あなたを愛することはありません、プラムス殿下」



 ジプサフィラは迷い、混乱した末――――唇を震わせ、呆然とそう口走った。

 彼女の胸の内からは沸き立つ震えが、怖気のように全身を回っている。


 口づけを待って閉じられていた目の前の瞳が、開く。

 大きく丸い、赤い宝石のような眼。

 その中には僅かなきらめきと、ジプサフィラの顔が映っていた。



「どう、して? 僕らは愛し合って、夫婦に――――」



 確かにジプサフィラは今日、このプラムス第二王子と結婚した。

 事情もあって式は先だが、確かに夫婦となったのだ。

 だが。


 ジプサフィラは震える右手を持ち上げ……指先でプラムスの胸元を示した。

 ―――――――その、()()()()()()()を。



「私、同性を愛することは、できません」



 それだけ言うと、ジプサフィラは踵を返して足早に部屋の扉に向かった。



「待って、ジプサフィラ!」



 背中に届く、光のように凛々しくも……可憐な声。

 ジプサフィラは扉の前で、一度だけ振り返り。

 滑らかな銀髪、赤い瞳の()()を見て。

 重いドアを開け、潜り、廊下を駆けだした。


 夜着には非常に冷える空間を駆け抜け、隣の部屋の扉を開け、中に入る。

 分厚い扉が空気を押し出すように閉まり、外とは異なる温かな空気に体が包まれた。


 そこは、ジプサフィラにあてがわれた部屋だ。

 ジプサフィラは念のため内鍵をかけたが、声や音はしない。

 代わりに日付の変更を告げる鐘の音が、くぐもるように遠くから響いた。



(どうして、どういうことなの)



 力の抜けたジプサフィラは、扉に背中を預ける。

 体を支えきれず、ずり下がって床にへたり込んだ。



(私の、プラムス殿下が――――どうして女に)



 ジプサフィラの赤い瞳が閉じられる。

 目の端から、雫が頬を伝い。

 涙とともに、意識が落ちた。




 ◇ ◇ ◇




 魔王領と接するブレス公爵家に生まれた、ジプサフィラ。

 対魔王最前線であり、レイテッド王国の軍務中枢を担うことも多いブレス家で、ジプサフィラ厳しく育てられた。


 父は厳格で、母も優しくはなかった。

 だが厳しいだけでもない。鞭やげんこつが飛ぶこともあったが、それ以上に抱擁と暖かさが与えられた。

 急に親類が帰らぬ人となる環境で、ジプサフィラは幼いながらも歯を食いしばり、もがきながら勉強や訓練に励んだ。


 古い神秘に通じるブレス家の中でも、ジプサフィラは特に星に関わるまじないと魔法が得意で、これをよく学んでいた。

 それが高じ、10の頃に王都の魔導学園に招聘を受けた。

 快挙であり、礼や教養も詰め込まれたジプサフィラは、意気揚々と王都に乗り込んだ。



 だがそこは、控えめに言って――――煉獄のようであった。



 教師陣は幼いジプサフィラを歯牙にもかけない。質問は無視され、評価はいつもギリギリであった。

 級友は明らかに皆が見下す。公爵家の令嬢に対し、もの知らぬ田舎者扱いであった。

 それでもなんとか食らいつき、進級を重ねた折……魔王軍が攻勢に出た。実家の危機である。


 ジプサフィラは公爵家からの遣いに手紙を受け取った足で、各所に陳情を行った。

 誰も……相手にしなかった。幼く、また女であるジプサフィラの切なる訴えは、ことごとく無視された。

 援軍の要請自体は公爵家の正規の使者が国に出したようではあったが、王国の腰は重かった。


 ジプサフィラは後から知ったが、軍務・騎士団と対立的な魔術師団の横やりが入っていた、らしい。

 その魔術師団長の息子が、かつてジプサフィラに退学を迫ったことがあり。

 これを断ったジプサフィラに対する、意趣返しであったとみられる。


 味方のいないジプサフィラのもとに、さらに父と兄が負傷したという連絡が届く。

 思い余った彼女は、式典を狙って国王陛下への直談判を計画し――――。



 その直前。プラムス第二王子に、手を差し伸べられたのだ。




 ◇ ◇ ◇




(ん……まだ体が痛みますね)



 中庭の長椅子に座ったジプサフィラは、手で首筋をもみほぐす。

 少し熱のこもったため息を吐き、背もたれに体を預けた。

 寝不足のせいかだるく、少々熱っぽくもあった。


 十分に着込んでいるが、それでも肌寒い。

 中庭は採光と空気調整が行われており、王城の廊下や外よりは暖かいが、それでも空気が冷たかった。



(床でそのまま寝てしまうとは。体調には気をつけないと)



 朝になり、床で目を覚ましたジプサフィラ。

 普段は侍女を待ち、早起きのプラムスと朝食を共にする。

 だが昨夜の衝撃に向き合う気が起きず、一人身支度をして部屋を出た。


 途中廊下で、遠めにプラムスの様子を見はしたが……やはり胸にはふくらみがあった。

 しかもどうも、王子と侍女とのやり取りを聞くに。自分以外には女に見えていないようである。

 ジプサフィラは首をひねりながらも、ある可能性を考えつつ研究室に向かった。


 そのまま仕事に打ち込むも、頭を使う作業でどうしても行き詰まり……休憩に出てきた。

 長椅子に座るジプサフィラの正面には、噴水の作る見事な水のカーテン。

 温水であり、少しの湯気が幻想的だ。流水の音とともに、普段は心を癒してくれるものだった。


 だが水鏡に映る銀髪と赤い瞳が、どうしても……同じ髪と目の色をした、夫のことを思い出させる。



(殿下……)



 ジプサフィラが閉じた瞼の裏に思い浮かべるのは、昨夜のプラムスの姿。


 ジプサフィラを呼ぶ、柔らかな室内灯を思わせる声。

 大きな宝石のような赤い瞳が閉じられ、僅かに上向いた顔。

 長いまつげ。細く整った鼻筋。柔らかさを感じさせる頬。


 そして少しの厚みのある、唇。まるで紅を塗っているかのように、ほのかに輝くようで。



(ああ。愛らしい、私の殿下……)



 すっきりした顎先、細い首筋。浮いた鎖骨の曲線が美しい。

 薄布に覆われた細い肩。かかる銀糸が、煌めいていて。

 その下には、とても豊かなむ――――



「なんで女なんですか! なんですかあの大きさは! 谷間深い! やわらかそう! ちょっと触りたい!!」



 ジプサフィラは錯乱し、両手で頭を抱えて悶えた。



(確かに前から、可愛らしくお美しい方でした)



 荒く息を吐き、落ち着こうとするジプサフィラ。


 王都に来た頃は田舎者扱いだった彼女も、今や洗練された礼と深い教養を備えた淑女だ。

 だがプラムスはそれ以上に礼法に通じ、体系だった知識は絶対に忘れないという特技を持つ。

 ちょっとした出来事を忘れやすいという欠点もあったが、それも皆に愛される美点となっていた。


 美しく、愛嬌も人気もあり、優れ、時に勇ましい理想の王子様。



(正直、殿下が女性であったら敵わない、とは思っていましたが)



 ジプサフィラは長椅子に浅く腰掛け、だらしなく背もたれに寄り掛かりながら、ため息交じりに俯いた。

 目に映るのは深緑の平服。着易く、目に優しい。そして暖かい。飾りは簡素であったが、ジプサフィラのお気に入りであった。

 その服に包まれた自身の体は、まるでなだらかな草原のようでもあり――――



「負けてる! 完敗! 何一つ勝てない! 寸胴の大平原! 女の姿ではないわ!?」



 ジプサフィラは再び錯乱し、両手で頭を抱えて振り乱した。



(無理……無理です。あれは愛せません。あまりに完璧に女過ぎる。

 私が女らしくないということを差し引いても、無理です。

 殿下のことはお慕いしていますが……同性は、愛せない)



 苦悶の表情を浮かべつつ、荒く呼吸し、長椅子に深く座り直す。

 ふと置いた手が、紙束に当たった。



(そうでした。解析……)



 ジプサフィラは視線を落とした。研究室から持って出た紙束と、水晶板が目に入る。

 両方を手に取って持ち上げ、水晶板に映る文字を眺める。



(殿下から〝自分は呪われている〟と相談を受けて。

 それで分かった呪いの1つ〝抗命禁止の呪〟……運命に抗うことの禁じを解いたら。

 急に女性に見えるようになったんでしたっけ。で、続きの解析結果は……)



 それは彼女の、成果の結晶。古き神秘……まじないや魔法を道具で使用可能にする、研究の一端であった。

 ジプサフィラは己の発明品で、プラムスの状況を分析にかけていた。



(やはり、複数の呪いがかかってらっしゃる。

 〝性別反転〟があるかと思ったけど、ない? 〝認識阻害〟と。残りの1つは。

 ハッ――――!?)



 ジプサフィラは追加の解析結果を読み取り、思わず立ち上がった。

 紙がばらばらと落ちるのを、彼女は青い顔をして眺めた。



「〝短命〟の呪い……じゅ、寿命は()()!?

 か、解呪! 解呪条件、は……」



 ジプサフィラは己の知識を振り返り、がたがたと震えだした。



(この手のものの相場は決まってる! 〝異性との愛〟!

 心と体、両方で通じ合うことを求められる、けど)



 急いで落とした紙束をかき集め、ジプサフィラは辺りを見渡す。



(殿下の今の性別は、()()()!?)



 普段のプラムス。昨夜見た彼の姿。そして〝認識阻害〟。

 まじないは専門であるジプサフィラにも、状況の判断がまったくついていなかった。



(と、とにかく殿下をお探ししなくては……!)



 ジプサフィラが歩き出した、その時。



「殿下にお茶に誘われてしまったわ」「私もよ? たまにある発作かしら。今回は熱が入ってたけど」



 廊下を行くメイドたちの、そんな言葉が耳に入った。

 ジプサフィラは素早く、中庭から廊下に回り込んだ。

 二人のメイドの前に立ちふさがる。



「妃殿下!?」「あ、今のは……」


「あなたたちを咎めはしません。ですが私、夫を探しておりまして」



 ジプサフィラはなるべく穏やかな笑顔を浮かべたつもりだったが。

 こめかみに青筋が立つのは、止められなかった。




 ◇ ◇ ◇




(解呪のためと想像はつきますが!

 私に振られて即、侍女たちに声をかけ回るなど!

 あまつさえ、騎士団訓練所に向かったですって!?

 女ばかりか今度は男! そこまで見境を――――)



 怒りながら、メイドたちに聞いて回って夫を探し回っていたジプサフィラ。


 だが急に、頭が冷えてきた。



(殿下が本当に、女性である、なら。相手は男で構わない、わけで。

 むしろ解呪には〝性〟の交わりを要求される。

 女同士では解けません。それに気づかれている……?)



 ジプサフィラは早足で進む。

 角を曲がり。



「トライト! もう君しかいないんだ! 僕を愛してくれ!」


「落ち着けプラムス、そんなのは嫁さんに頼めぇぇぇ!!」


「あ、待ってトライト!」



 ()()を目撃してしまった。

 奥に走り去る少年。がっくりと膝をついている銀髪の夫。

 その背後から静かに近寄る、ジプサフィラ。



「殿下」


「ひゃい!?」



 ジプサフィラはゆっくりと回り込んで。

 プラムスの襟首を両手で持って、その身を引き上げた。



「私はそんなに、頼りないですか?」


「ぇ」



 赤い瞳に雫を溜めたジプサフィラの声は、地の底から絞り出すようであった。



「話しなさい。あなたにかかっている呪いについて、すべて」


「っ――――――――わかったよ。ジプサフィラ」




 ◇ ◇ ◇




 プラムスはジプサフィラの陳情を国王陛下に届け、魔術師団を公爵領に派遣してくれた。

 父と兄の負傷を癒すため、貴重な霊薬を探し出して届けてくれた。

 その後も領のために一人奮闘することになったジプサフィラを、いつも陰に日向に支えてくれた。


 プラムスのおかげで、ブレス公爵家は難事を乗り越えることができた。


 しかもジプサフィラに遅れて魔導学園の初等部に入った彼は、彼女の扱いの改善に乗り出してくれた。

 ジプサフィラは正当に評価されるようになり、人との間はプラムスが繋いでくれた。結果、飛び級で卒業。

 女であるがゆえ、研究の道に進むことも、軍務の道に進むことも許されなかったが。プラムスは王城に、専用の研究室まで用意してくれた。


 生涯をもってプラムスの助けになろうと、ジプサフィラは心に決めた。そうして婚約もして、三年。

 彼女は待ち望んだ、念願のプラムスの妻に。愛する人の妻に、なれたのだ。

 だが初夜に臨んだジプサフィラは、頼まれて彼の呪いの1つを解呪した後。

 急に、その胸のふくらみに気がついた。


 元より線が細く、可憐な王子ではあった。

 しかし間違いなく男性ではあった。

 少しずつ逞しく成長するプラムスを、ジプサフィラはずっと見てきたのだ。


 その、はずだったのに。




 ◇ ◇ ◇




 昨夜ぶりの、プラムスの寝室。


 日が暮れ、暗くなった室内は柔らかい明かりと、温かさに包まれている。

 自室から持ち込んだいくつかの本を閉じ、改めてジプサフィラは机の上の、鎖が巻き付いたような装丁の本を眺める。

 裏表紙から本を開くと、最初のページには呪いの詳細が書いてあった。


 ページを一つ遡ると……見開きの右上に今日の日付と、表題が。



(〝プラムスとジプサフィラが呪死〟ね)



 その本は、呪いの対象に詳細を知らせ、効果を定着させるための呪具であった。

 おそらくは、プラムスを呪った術師が残したものである。

 そしてこれを読んだジプサフィラにもまた、呪いがうつっていた。



(呪本まであったとは……殿下、私にうつらないよう隠していましたね?)



 ジプサフィラは本を閉じ、ため息を吐いた。


 今は背後の寝台に腰かけているプラムスが語った、彼……()()の事情は、二つ。

 一つは、呪い。複数あり、特に呪本が示す〝短命〟の呪いについてプラムスは語っていた。

 やはり愛を得れば解ける。本の記述によれば、その愛とは感情ではなく性を指す。


 もう一つは〝転生〟。プラムスは「男の王子に女性が転生した」存在、らしい。

 プラムスは乙女ゲームがどうとかも話していたが、それに関してジプサフィラはまだ正直よく飲み込めていない。

 それより、問題なのは。


 ジプサフィラは、机の隅においた水晶板をそっと見る。



(調べて分かりましたが、殿下の性は〝不定〟。転生、とやらの影響でしょう。

 この状態では男女どちらとむつみ合っても。

 解呪条件を満たさない可能性が、高い)



 ジプサフィラはまた、ため息を吐いた。



(延命の手段は、()()

 ですが、そのため、には。

 私は……)



 実感の湧かぬ死が迫る中。ジプサフィラはそれでも、思い悩む。

 その後ろから。



「ごめん。結局キミを、巻き込んでしまって」



 プラムスの、様子を伺うような声がかかった。

 なぜ早く話さなかったんだと何度も詰められたプラムスは、萎縮している様子だった。

 しかしその言葉を聞いて、ジプサフィラはまた僅かに頭に血が昇った。



()()()()()()()()()()、と。そう申し上げているのです、殿下」


「でもキミは! ――――女のボクは、愛せないんでしょう?」


「ッ」



 寂しげなプラムスの声に、ジプサフィラは様々な感情を抱いたが。



(私は、なんてことを……ッ!)



 最後に残ったのは……激しい後悔であった。

 昨夜言ってしまった、取り返しのつかない一言に対しての。



「……ボクだけならまぁ、覚悟できてたんだ」



 俯くジプサフィラに、ぽつり、ぽつりと声がかかる。



「死ぬのは痛い。存在がバラバラになるようでね。もう死にたくはなかった。

 だから最後まで、できることはしたんだけど、間に合わなかった。

 でも本当はそれよりも」



 力強い呟きに、ジプサフィラは顔を上げ、振り向いた。



「キミに死んでほしく、なかったんだ」



 プラムスが。ジプサフィラの夫が。優しい笑顔を見せている。



「結局助けられなかった。ごめん」



 ジプサフィラは、はっとなった。

 プラムスは「破滅して亡くなる悪役令嬢を助けたかった」と語っていた。

 それはすなわち、ジプサフィラのことで。



(この方を救わねば、私は死にきれない――――!)



 ジプサフィラは。


 意識せず握り締めていた両の手を開き。

 机の上、器に乗せておいた半球型の欠片二つを手に持って。

 俯きながら席を立った。


 強く目を瞑って、涙を飲み込んでから。


 夫に向かって、静かに歩み寄る。



「……目は、閉じておいてくださいませ、殿下」


「あ、え? はい」



 言われて素直に目を閉じるプラムスに、ジプサフィラの口元が緩む。


 彼女はまず半球の欠片……丸薬の半分を自分の口の放り込み、飲み下した。

 それから右手を伸ばし、プラムスのきめ細やかな肌を、その頬をそっと撫で。

 少しの汗の跡を感じながら、首筋に手を差し入れる。

 左手を顎に添え、少しだけ上を向かせる。


 プラムスの顔を引き寄せ。



(殿下……プラムス……)



 眼下に、彼女の胸元が見える。



(同性は、無理です。やはり、愛せない。ですが、プラムスは――――!)



 言い知れぬ震えが胸の奥にあるのを感じ、しかしジプサフィラはそれを必死に抑え込んで。

 丸薬の欠片を咥え。




 ――――――――万感の想いを込めて、唇を合わせた。




 舌を差し入れて唇を割り、喉奥へ薬を届ける。

 プラムスは少しの抵抗をしたが、そのまま丸薬を飲み下した。

 彼女の喉が鳴り――――遠く、日付の変更を示す、鐘の音が響いた。



(プラムス、プラムス……)



 舌が舌を舐め、唇が唇を食み、左手が肩から背中を、右手が頬と耳を撫で。

 ゆっくりと、離れる。



「ジプサフィラ」



 プラムスの、凛々しい光のような声。


 いつの間にか、ジプサフィラの左手は掴まれていて。

 まだ近い距離にある赤い瞳が、喜びに濡れていて。

 笑みの乗るプラムスの顔には、朱が差していた。


 ジプサフィラは、胸の奥から湧き出ようとする震えを――――。




「私があなたを愛することは、ありません…………お放しくださいませ」




 冷たい音の振動で、上塗りした。


 左手の握りが緩んだ隙に、ジプサフィラはプラムスから離れる。

 そして少しふらつきながらも、部屋の隅にある机に向かった。

 ジプサフィラは、呪いの本を開いてページを捲り。



「…………記述とページ数は変わりましたね。成功です」



 〝短命〟の呪いの期限が延伸したことを確信する。



「〝プラムスとジプサフィラが接吻〟」


「――――読み上げないでくださいませ、殿下」



 いつの間にか近くに来ていたプラムスの発言を一蹴し、念のため今日の日付から最終ページまでを確認。



「…………4年、といったところですか。上出来ですね」


「これは。いったい、どうやったの? さっきの薬?」



 ジプサフィラはプラムスに向かって、解説する。



「はい。現時点で、呪いの打破は不可能でした。

 なので、一定期間で呪い殺す丸薬を作り、飲ませたのです。

 呪いが重なった結果、〝短命〟の期限が延びました」


「なるほど……口移しにする必要、あったの?」


「っ。あり、ました」



 ジプサフィラは顔を僅かに伏せる。



(愛情を乗せないと、呪いを上書きするための認識のごまかしができなかった。

 ですが、言えません……。愛せないなどと、言っておき、ながら)



 ――――――――とろけそうになるほど、愛を込めてしまった、などと。



「ふーん?」



 後ろから何やらにやにやしながら覗き込んで来るプラムスを、横目で見ながら。

 ジプサフィラはため息を吐き、話を逸らしにかかった。



「あなたは、死なせません。

 私はあなたの助けとなるために、妻となったのです、殿下」


「……どうして。だってキミは、ボクを」



 プラムスの言い様に、ジプサフィラは胸の奥が痛んだ。

 あのたった一言が、彼女に痛みを刻み続ける。

 そしてジプサフィラは、自分の間違いを。



「――――愛することはできません。

 ですが、あなたが砕いてくださったお心を、忘れたりもしません」



 覆すことが、できなかった。

 なぜか首をかしげるプラムスに、ジプサフィラは言葉を続ける。



「あなたがしてくださったこと。

 何一つ忘れていませんし、感謝してもしきれません。

 この恩義。七代末まで返し続けても、返せるものではないでしょう」



 ジプサフィラは手元の本を再び開き、ページを示しながら話す。

 その本には、過去のプラムスの出来事が記されていた。



「…………そんなに?」



 しかし本人は、さっぱり忘れているようであった。

 プラムスは体系だった知識は絶対に忘れないが、こまごまとした出来事をよく忘れる。

 ジプサフィラは「やっぱり忘れてる」と思わず呟いてから。



「この本に書いてありますし、間違いありません」



 プラムスに本の記述を見せた。

 夫は一応納得したようだが……何か妙な顔をしている。



「ふぅん……恩義があるから、ボクの妻ではいたい、と。

 だから〝認識阻害〟の呪いを解かなかったの?」



 鋭く切り込まれ……ジプサフィラは息を飲んだ。



「ボクが周りからも、女に見えるようになれば。

 キミはすぐにでも離縁できたのに」


(そんなことになったら! プラムスを()()()()

 この方を他の者に! 男になんて――――!)



 ジプサフィラは、勢いよく振り返って夫を見るも。



「……その通りで、ございます。

 離縁など、滅多なことを仰らないでください」



 その口から、言い訳のような言葉を零すだけであった。

 プラムスから視線を逸らしたところで。

 夫の手が、ジプサフィラの額に手を当てられる。



「顔が赤いと思ったら、熱があるじゃないか!

 どうして……風邪を引いたの? これはいけない」



 ジプサフィラは言われ……顔が熱いのを、自覚した。

 昨日床で寝たので、確かに体はだるい。その上、寝不足だ。



「しりま、せん。はな、して」


「だぁめ」



 ジプサフィラの言い分を聞かず、プラムスは彼女を抱きあげた。

 プラムスの方が体格がいい……というよりジプサフィラが小さいので、簡単に持ち運ばれてしまう。



「ここはボクら夫婦の寝室なんだから。遠慮しないで」


「いや、です。これ以上、お世話に、なるわけ、には」



 ベッドに横たえられて、ジプサフィラは首を振って抵抗するも。



「キミが嫌がるなら――――愛は求めないよ。でも。

 キミがボクの味方をしてくれるように。

 ボクもまた……ずっとキミの味方だ」



 プラムスの言葉を聞いて。

 ジプサフィラは、力が入らなくなってしまった。


 求めないと言われたことが、どうしても引っかかって。

 でも味方だと言ってくれたことが、心にしみわたるようで。

 心の底から、信じることができて。



「殿下。私には、もったいない、お言葉です」



 吐息とともに漏れた言葉は。自身の耳にも、どこか満足げに聞こえた。



「ボクの方こそ。キミの愛は、きっとボクには過分だ。

 ゆっくりお休み、ジプサフィラ」



 追い打ちでそのように言われ、ジプサフィラは二の句が継げなくなった。

 何か気恥ずかしくて、プラムスの顔がまともに見られない。



(プラムスは、ずるい。ずるい、です……)



 服を着替えさせられ、汗を拭かれ、額を冷やされているうちに、眠気がくる。



(あなたが、男でさえあれば。

 あるいは私が、男であれば)



 プラムスの赤い瞳が、ジプサフィラを優しくじっと見ている。


 その瞳が、見ていられなくて。

 ジプサフィラは、そっと目を閉じた。






(あなたを愛することが、できるのに――――――――)








深く眠ったジプサフィラは、翌朝。

床で寝ていたプラムスが今度は風邪を引いて、半泣きで看病をすることになる。

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― 新着の感想 ―
序盤でプラムスに対する呪いの複雑さに「なんじゃそりゃあ!」と悶絶し、終盤ではジプサフィラの愛の形に「なんて面倒くさくてかわいい子なの」と身悶えしました。 2人の行く末に幸多からんことを!
だったらどっちかが生やせばいいじゃない!(ノクターン行まっしぐら
愛せないと言いつつ、心は寄せていらっしゃる。 あんな熱い口付けしておいて、ここまで来るとただの意地に見えてきちゃいます。同性の壁を超えるのも、時間の問題な気がしますねぇ。 仲良くお風邪を召してしまわれ…
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