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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

はじまりの降雪音 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 天気。こう書いてみると、すごい字の組み合わせだとあらためて思う。

 天はいわずもがな。地に対する絶対的な力の持ち主を表している。

 気もまた、人にははかりしれない力を宿すものの総称。かつて「気」は「氣」と書いたのも、米を炊く過程で湧く湯気、閉じたふたがカタカタ揺らされるさまに、昔の人が不思議な力が働いていると感じたがためだという。

 いまの科学力をもってしても、天気に関する謎はまだまだ残っている。ときに、再現性がなさすぎて、実在どころか正気を疑われる事態もままあっただろう。


 お前、またネタを探している時期に入ったんだろ?

 俺が拾ってきたもんなんだが、聞いてみないか?



 歳の離れた、いまはよそに住んでいる兄貴が教えてくれたもんだ。

 一人暮らしをはじめて、間もない学生の時分、兄貴の周りではよく事故が起こっていたのだという。

 特に冬場がひどい。兄貴の暮らしていたところは雪がよく降るらしく、11月下旬のいまの時期なら、もう初雪があってもおかしくなかったらしい。

 そのころに、事故が頻発した。路面凍結によるスリップなど、おおよそ予測がつくものもあったが、中にはそう思えない内容のものも。


 はじめに兄貴が出会ったのは、朝早くからちらついた雪が、わずかにおさまった登校時間。通学途中の道路で、パトカーが路肩に停まり、事情聴取をしている現場だったという。

 トラブルでもあったのかなと、遠目にひょいと見て、兄貴は目を丸くした。

 車の足元には、無数のガラスの破片が飛び散っていた。それだけなら、どこかにぶつけるだけで再現できるだろうが、車の窓はワクの中へ残っている。


 ハチの巣状態だ。

 ガラスは砕け散るまではいかず、その身を車の側面にとどめながら、つまようじで開けたような穴を、無数に身体へこしらえていたんだ。

 状態だけをみれば、路上駐車していた車にいたずらされたように見えなくもない。

 しかし、車の後輪から伸びる黒い跡は、十数メートルの手前からくねくねと蛇行している。そのうえで、今見ているように歩道と車道の境目のガードレールにぶつかって、いくらかへこませていると来たら、事故の気配だろう。


 あれはどうしたことだろうかと、兄貴は現場を離れてからも考える。

 走っている車に、窓を悲惨な姿にさせる何かがあったのは、まず間違いない。だが、方法が分からない。

 車の窓の強度を詳しく知っているわけじゃないが、そこらのおもちゃで簡単に壊れるほどじゃないだろう。

 ぶつかった物体はかなりのスピードかつ小さい。そして無数だ。銃とかで撃ち出したならまだ可能性はあるが、この法治国家日本で銃を使ったなら、自分が通りかかった時点で、もっと現場付近の騒ぎが大きくてもおかしくない。

 しかし停まっていたのは、パトカー1台に警官と思しき人が2名。銃が使われた痕跡があったなら、もっと人員が動きそうな気がするけど、と兄貴は門外漢並みに首をかしげていたらしい。



 その日の学校。

 昼の授業終了10分ほど前に、また外で雪がちらつき始めた。

 はじめは視界を横切るばかりの雪だったが、風向きが変わったらしく、教室の窓にぽつぽつと当たるようになったんだ。

 最初は兄貴を含めた、窓際の人間がわずかに気にするだけだった。次々と向き直るみんなの中、今朝のことを考えていた兄貴はひとり、外を舞う雪たちをぼんやり眺めていたらしい。


 ――まさか、こいつらの仕業……なわけねえよなあ。


 そう思った矢先のこと。



 兄貴は窓の外からかすかに漏れ聞こえる、笛の音を聞いた。体育で使うホイッスルのように、一音が非常に長く続くもの。

 その直後からこつん、こつんと雪たちが音を立て始める。

 時とともに増す音は、やがて他のクラスメートを、先生の授業の手を止めるに十分になり、皆が音を立てる窓の方を向いてしまう。


 ほどなく、どすんと重い音がひとつ。窓越しにも聞こえた。

 兄貴たちのクラスは、校舎内でも特にプールに近い場所にある。2階だったから見下ろす形になったが、異変はプールサイドに起こっていた。

 サイドの見学スペース。そこにあるベンチのうえに、日差し除けの幕を張るための骨が数本通されている。

 そのことごとくが、中ほどからぽっきり折れて、ベンチの表面へ落ちて大いに音を立てたらしかった。

 

 回収された骨に当たるパイプ部分は、人の腕の太さほどもあり、簡単に折れるようなものには思えない。

 だが、じかに見たそれには、中を貫く無数の小さな穴が空いていたんだ。折れた箇所も、直前までこのような状態だったのだろう。支えきれなくなった自重のままに、崩れ落ちていったのだと。

 冬場で、生徒たちは授業でプールを使う機会はない。だが掃除当番はいて、昨日の担当者がちょうどクラスにいる。

 その子の話では、昨日まであのパイプには小さなサビこそあれ、こうも貫通する穴は見当たらなかった、とのことだった。

 

 

 プールに一部の先生方が集まって後始末をするも、授業そのものは滞りなく終了。

 もう、あのパイプのことを話題に出す子は少なくなっていたが、今朝のことと相まって、兄貴はだいぶ警戒していたそうだ。

 雪はあれからほどなくして、やんでいる。けれども空は変わらず、どんよりと曇ったままでいつまた雪が降ってくるかも分からない。

 自然、兄貴の足は早まる。

 また雪が降ってくる前に、家へ帰りつきたい。その一心だったとか。

 公共の交通手段は使えない。決まったルート、限られたスペースでは、いざというとき逃げ場がなくなると、兄貴は思ったんだ。

 

 

 そうして、家まであと5分というところまで来て。

 車止めに挟まれた、いつも使うショートカットの道。そこへ踏み入ったとたん、あの笛の音が響き渡った。

 じかに聞く音は、なお大きい。つい足を止めて、耳を塞ぎたくなってしまうほど。

 でも兄貴の判断は早い。すでに自宅へと駆け出していたが、早くも背後からひらりと、桜の花びらを思わせる軽やかな動きで、雪の粒たちが自分を追い越し始めていた。

 ばつん、と耳の上をこすれる衝撃。直後、視界を先へ行く赤く染まった雪のひと粒。手をやって、耳とこめかみの間あたりの皮膚が、薄くえぐられたのが見て取れた。

 今朝の車や、昼のパイプをやったヤツに違いない。

 兄貴は頭をかがめて走る。背後から来る雪があの威力なら、直撃を少しでも避けないといけない。もし、脳に食らったら終わる。


 とっさの動きだったが、安全を確保するまではいかない。

 ほんの10秒程度吹き付ける雪のひとつが、着ているコートの生地をちぎり飛ばし、宙へ浮かせるや、どんどんと背中を中心に、針で刺されるような痛みが襲ってきた。

 せき込みに鉄の味が混じるような気さえして、たまらず兄貴はそばの家の車庫に隠れる。

 車庫の壁を背にし、外を横切る雪たちを見る。ちらほらと兄貴の行くべき方向へ飛んでいく雪たちは、心なしか黒ずんでいるように思えたとか。


 トレンチコートの負った箇所は、10をくだらない。

 寒がりなこともあってかなり厚手のものを選んでいたが、それでも半分は小指が潜り込んでしまうほどの穴。実際、穴と合致する身体の部分へ指を当てると血がにじんでくる。


 ――ひとまず、ほとぼりが冷めるのを待とう。


 壁と車の間は少し窮屈だが、文句も言っていられない。

 壁を血で汚すまいと、背をつけないまま直立不動になろうとする兄貴だけど、事態がそれを許さない。


 外をうかがう兄貴は、雪の勢いは衰えないまま、少しずつ大きくなってきているのを見てとった。

 ほどなく、雪たちははっきりと向きを変え、兄貴の目の前を通り過ぎることなく、車庫内へ殺到してくる形を取りつつあったんだ。

「くそったれ!」と毒づきながら、兄貴は車庫を抜け出る。あのままとどまっていたら、ガラスやパイプの二の舞だ。

 雪に向き合う形になったわずかな時間で、頬をいくらか血が出るほど削がれる兄貴。だが、あの向かってきた雪は今朝と違い、兄貴のすぐかたわらに停まる車をわずかに傷つけることもしなかったんだ。

 道を走り、また背中から吹き付けるように雪が向きを変える中、兄貴は確かめる。

 あきらかに自分の身体より、耐久力が低そうなお店の旗や開きっぱなしで捨てられた布の傘。それらに雪がいくら引っ付こうとも、穴はみじんも開かず、湿るばかりということに。


 ――雪が異常なんじゃない。俺と俺が身に着けるあらゆるものが、雪に対して途方もなく弱くなっちまっているんだ……!


 降りが強まり出してからほどなく、ようやく兄貴は自室のドアを開けて、転がりこむことができた。


 寝転んだフローリングに、とろりと垂れて、大小の溜まりを生み出す血。

 致命的な箇所は外れたようだが、暖かい空気に包まれると、じんじんと痛さが増してくる。

 手当の心得などなく、兄貴は沁みるのを耐えて熱いシャワーを浴び、鏡を見ながら片っ端からばんそうこうやガーゼを貼り付けていったとか。


 それから兄貴はホイッスルが苦手だ。

 もしあの雪がそれとともにやってきて、自分がターゲットに選ばれるのを、どうしても想像してしまうからだと。

 


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