第四話 昼寝と黒猫
2019/05/06に投稿した話です。
よろしくお願いします。
リゼリナの家の庭には、綺麗な薔薇の咲く低木が植えられている。
そして庭の片隅には温室があり、中に小さな菜園がある。薔薇の低木の周りには花壇があって、隣に使い込まれたジョウロが置いてあった。
何故かこの家の周りだけ森は開けていて、充分な日光が降り注いでいる。植物の育成には適していそうだ。燦々と照らす太陽が眩しいので、アルフィーは目を細めた。
つばの広い上品な帽子を被った、リゼリナが言った。
「水はやり過ぎては駄目よ。いい感じに撒きなさい」
「は、はい……?」
いい感じ、とは何なのか。よく分からなかったが、指示を受けたのでアルフィーは頷く。
さっき彼女に束ねてもらった髪は、作業の邪魔をせずに、水色のリボンと共に揺れた。
リゼリナの趣味の一つが、土いじりだそうだ。
昨日来たときに、「綺麗なお庭だなぁ」と彼は思っていた。だが、リゼリナ本人がそれを維持していたなんて、思ってもいなかった。
朝食を食べたあと、その話を聞いて驚いたものだ。だって彼女はどこぞの貴族の令嬢のような美しい容姿で、土に汚れるようなことを好んでするようには見えなかったから。彼女はアルフィーに声をかけたら、慣れた手つきで帽子を被り、手袋を履き、さっさと外に出てしまった。
アルフィーが急いで外に出ると、スコップなどの道具を持っていたリゼリナがいて。なんだかとても意外だったな、と彼は思い返した。
アルフィーは、水がたっぷりと入ったジョウロを傾け、ちょっとずつ花壇の花に水をやる。この黄色い花はマリーゴールドだろうか。水が入ったジョウロは重くて、腕が少し震えた。
「やっぱり、貴方には重いかしら」
「大丈夫、ですっ」
「ふんっ」と力を入れて、彼はジョウロを持つ。リゼリナはそれを見ると、先程抜いた雑草を魔術で処理した。
アルフィーが水やりをしている間、リゼリナは菜園の野菜を収穫したり、成長促成の魔術をかける。そして薔薇の低木に近付き、一際大きく綺麗に咲いた、紫色の薔薇を剪定バサミで切り取った。
薔薇に手をかざし、形を崩さないように乾燥の呪文を唱える。
「貴方」
そうアルフィーを呼ぶと、彼はジョウロを置き振り返って、「何ですか?」と聞いてきた。
「はい、これをあげるわ」
彼女はほっそりとした手でアルフィーの髪に触れると、ちょうどリゼリナの薔薇と同じ位置に、その紫色の薔薇を飾った。
「え、えっと……」
「この庭に咲いた、一番綺麗な紫の薔薇よ。……私とお揃いね。よく似合っているわ」
そう言ってリゼリナは微笑む。「従者の証よ。ずっと付けるという訳にはいかないから、持っていなさいね」といわれたアルフィーは、視界に入る紫色のものを見つめると、「ありがとうございますっ」と言って、彼も笑った。
ー ー ー
昼過ぎ。
簡単な昼食を摂ったリゼリナとアルフィーは、リビングのソファに座り、本を机に広げた。貰った紫色の薔薇は、綺麗な箱にしまって部屋に置いておいた。
「では、文字の勉強をしましょう」
「はい、よろしくお願いしますっ」
リゼリナがそう声をかけると、彼は小さな手を握り胸元の近くに添えて、ぺこりと頭を下げた。
「とりあえず、この辺りが言語に関する本だけど……。貴方、どれくらい文字を見たことがあるかしら?」
彼女が、表紙が擦りきれた分厚い本を持って聞く。アルフィーは少し考えると、「見たことがありません」と答えた。
「そう。じゃあ小さい頃、親に読み聞かせとかしてもらったことはある?」
「いいえ。無かった、と思います」
「……そう」
今度は、リゼリナが少し考える。そして立ち上がると、本棚の隅の方にあった、絵が多くて薄い本を持ってくる。
「それは?」
「絵本よ。普通は皆、幼い頃に見たり聞いたり読んだりするだろうけれど……。貴方は違うものね。これを、貴方に読み聞かせしてあげるわ」
リゼリナは、優しげな表情を浮かべて言った。
アルフィーは、彼女にそう言われて、なんだかよく分からない気持ちになる。絵本ってなんだろう、といった好奇心と、普通は皆、絵本を知っているの? という悲しい気持ち。そしてリゼリナが読み聞かせしてくれる、といった嬉しく思う気持ちがあって、少し頭がこんがらがった。
リゼリナがアルフィーと向き合うように体の向きを変えて、絵本を開いて、柔らかな声色で読み始めた。
その絵本は、とあるお姫様の物語だった。心優しくて働き者のお姫さまが、隣国の王子さまと一悶着あってから結ばれる話。男の子向けの話ではないけれど、あったかくてやわらかい、幸せな話で、アルフィーは眠くなってきた。
「……おしまい」
リゼリナがぱたん、と絵本を閉じる。「どうかしら」と聞いてみても、返事は無かった。
「? ……あら」
ソファの背にもたれて、アルフィーは寝ていた。昨晩見た寝顔のまま、すうすうと寝息をたてている。
「……寝かしつけてしまったわ」
彼女はくすりと笑うと、アルフィーをゆっくり横にさせる。隣の部屋からブランケットを持ってきて、彼に掛けてやった。
軽くて暖かいブランケットは、隣国を旅したときに購入した物だ。アルフィーはブランケットに気付くと、もぞもぞ動いた。リゼリナはその様子を見つめる。
彼の寝顔は、最初は安らかなものだったが、時間が経っていくにつれ、眉間に皺を寄せて呻き始めた。
「う~ん……うー」
またもぞもぞと動く。今度は何かから逃げるように動いていて、左腕がソファの外に出てしまった。悪い夢を、見ているのだろうか。
「うー……や、やめて」
起きた様子はないので、寝言だろう。アルフィーは嫌そうに顔をしかめ、呟いた。
(やめて? やめてって、どういうこと……?)
今は目を疲れさせないように魔眼を使っていないため、何故アルフィーが呻いているかは分からない。魔眼はいろんなことを視ることが出来るが、そのぶん目の疲労が顕著に出るのだ。リゼリナがそう考えている間も、彼は苦しそうに寝言を言う。
「やめて……ごめんなさい……。やめてよぉ……おとーさん、おかーさん……」
「!」
アルフィーが、父と母に「やめて」と「ごめんなさい」を言い続ける。夢の内容を察したリゼリナは、少し悲しそうな顔をした。
信頼した、信頼するべき相手に裏切られ、痛め付けられる苦しみは、悲しみは、辛さは彼女も知っている。
自分が、無意識にアルフィーから目を背けてしまったことに、リゼリナは気付いた。
これでは駄目だ、と彼女は自分を鼓舞する。
彼の頭に目を向け、魔眼で視ると案の定、といった光景が視えた。リゼリナは何かに耐えるように目を伏せた後、目を開けて、アルフィーの頭を撫でた。淡い桃色の髪をとかすように。安心させるように、優しく。
そして───唱えた。
「〈彼の者の悪夢に、優しいものが現れるように。その夢が、あたたかいものになるように〉」
その魔術は、悪夢をただの夢に変わらせるもの。祈りにも似たような呪文は、優しくあたたかい者が考えたようだった。
彼の顔が、苦しげな表情から、安らかなものに変わっていく。
(魔術はちゃんと、かかったようね)
彼女はアルフィーの頭から手を離すと、机の上に置かれた本を見て、どうしようかと考えた。
彼が早く起きるのなら置いておいてもいいけれど、このまま夕飯の時間まで寝ているのなら、片付けた方がいいだろう。
顎に手を添え彼女は考えていると、玄関の方から「トン、トン」とノックの音が微かに聴こえた。
(来客? こんな所に……。一体誰かしら)
リゼリナは玄関へ行き、扉の鍵を開けて、ドアノブを回す。警戒は怠らず、ゆっくりと。
扉を開けても、目の前には何もいない。
気のせいだったか、と扉を閉めようとすると、「おいっ!」と下から……足元から声をかけられた。
彼女が下を見ると、「やっと気付いたか」とテノールの声で、それは話した。リゼリナはその正体に気付き、「あ」の形に口を開けた。
「あらクロード! 久しぶりね、帰ってきたの?」
「あぁ、そうだ。しかしこのくだり、いつまでやるんだ? これで五回目だぞ」
クロードと呼ばれたそれ……黒猫は、文句を言ったあと、やってらんねぇよ、と言わんばかりに「にゃー」と鳴いた。
「帰ってきたってことは、今度、魔女集会があるのね」
「毎回毎回、俺を使いに出すなよ……。魔女集会は五ヶ月後だ」
猫なのに流暢に人間語を話すクロードは、リゼリナの唯一の使い魔だ。短毛の二歳くらいの見た目をしていて、彼女と同じ、濃い紫と赤のオッドアイ。
普通、魔女たちが集まる魔女集会の知らせは、風の噂か、主催者の使い魔が直接に知らせてくるのだが、リゼリナはクロードを使いに出し、知らせてもらっていた。
「五ヶ月後ねぇ……。相変わらず間を空けてからするのね」
「まぁ、気まぐれにする集会だからな」
そう話しながら家の中に入る。クロードも簡単な魔術は使えるので、体の汚れは消えていた。彼はぴょんっと跳んで、リゼリナの肩に乗る。彼女はそれを気にせず、リビングへ戻った。
部屋に戻ると、アルフィーはまだ眠っていた。呻いてはいない。アルフィーを見たクロードは、驚きで肩から転げ落ちた。ころり、と絨毯の上に落下する。
「は、はぁ!? なんなんだ、この坊は!?」
「ちょっと、静かにしてちょうだい。あの子が寝ているのよ」
「……なんなんだ、この坊は?」
クロードが小声で聞く。
「この子はアルフィー。昨日、燃えた村で拾ったの。親もこの子を老いてどこかに行ったみたいだし、そのままだと死にそうだったから」
リゼリナが説明すると、クロードははぁ、とため息をついた。怪訝そうに細められた目は、いったん伏せた後、開く。
「一時期は人間不信になったお前が、か……。拾ったからにはしっかりと育てろよ」
「えぇ、もちろんそのつもりよ」
彼女は少し微笑んで頷く。それを見たクロードは「なら、俺は何も言わない」と言って、ソファに横になっているアルフィーに近づいた。リゼリナと同じオッドアイが、彼の顔を覗き込む。そして、何かを言いかけた──
「……こいつ」
「……ん、あ、わぁっ!? 猫さんっ?」
だがその途中で、アルフィーの目が覚めた。アルフィーは視界に入った黒猫に驚き、飛び起きる。ブランケットがばさり、と床に落ちた。
「おぉ、初めまして、坊」
「は、初めまして……?」
自己紹介を始めたクロードに、困惑しながらもアルフィーは返した。
「俺はクロード。見ての通り猫だ。リゼリナの使い魔をしている。よろしく頼む」
「よろしくお願いしますっ」
ぺこり、とお互い頭を下げた。
アルフィーは、何で猫が喋っているんだろう、と思いながら話す。
「クロードさま、でいいですか?」
「いや、様付けじゃなくていい。俺はリゼリナの使い魔、坊はリゼリナの従者だからな。いわば同僚だ。様はおかしいだろう?」
「分かりました、クロードさん」
そう訂正したアルフィーに、彼は満足そうに頷き、本棚の隣に置いてあった椅子に飛び乗った。どうやらそこがクロードの特等席らしい。
彼をじっと見ていたアルフィーに、リゼリナが声をかける。
「思っていたより早く起きたし、文字の勉強を始めましょうか」
そう言って、アルフィーの隣に腰掛けた。
「あ、はいっ」
彼が返事をすると、リゼリナは机の上にある本の一冊を手に取り、広げる。
椅子の上でくつろぐクロードが、ふわぁ、とあくびをした。