第三話 おやすみとおはよう
2019/05/02に投稿した話です。
よろしくお願いします。
お腹一杯になったアルフィーを空いていた寝室に押し込んだ後、リゼリナは風呂に入るべく洗面所に来た。
入ってすぐ目に入る鏡。歪みが無くて、質の良いものだということが分かる。上半身を見るために作られた鏡だ。知り合いの、こういうものを作るのが好きな魔術師に作らせた。
それに映った自分を見つめ、リゼリナは不機嫌そうに顔を歪めた。
ばさり、とローブを床に落とし、下に着ていた服を脱ぐ。左手に着けていた手袋も外した。
露になっていく白い肌。黒のローブの下に隠されていたその豊満な体には、
───────火傷の痕が残っていた。
左肩から左手、そして腰にかけて広がっている、酷い火傷。キメの細かい肌で、ほっそりとしていて、出るべき所は出ている。そんな美しい体はその痕のせいで台無しになっていた。
これでもマシになった方だ。当初は、目に入ることすら苦になる程に酷かったから。
リゼリナは全裸になり、もう一回鏡を見る。
「……醜いわ」
そう一言呟くと、彼女は浴室に入った。
先程アルフィーを風呂に入れたときに、彼が「使い方が分からない」と言ってきた為、今日ここに入るのは二回目である。
浴室にはシャンプーやリンス、石鹸などが完備されており、魔術具のシャワーもある。魔術師じゃない村育ちのアルフィーには、知らないものばかりだっただろう。
だが、リゼリナにシャンプーやシャワーなどは必要ない。彼女は多くの魔力を保持しているから、体を清めるのにも魔術を使うのだ。
「〈魔力よ。水となり、我の身体を清め、蒸発しろ〉」
魔術の呪文は、魔術師によって変わる。長ったらしい、難しい言葉の羅列を詠唱する者もいるし、リゼリナのように単純で、簡潔に詠唱する者もいる。若い魔術師は前者に多く、熟練者は後者に多い。
呪文を言い切ると同時に、頭上に突然現れる水の大きい球。
水球はゆっくりと降りてきて、とぷん、とリゼリナを覆った。そして少しの間空中で停止した後、床に落ちて蒸発する。
目を瞑っていたリゼリナはふぅ、とため息をつき、湯船に浸かる。
髪も一緒に浸かってしまったが、今更髪を上げるのは面倒なので、リゼリナはそのまま入っていた。
浴室から出て、髪や体を魔術で乾かし、洗面所の棚に置いてあるネグリジェを身に纏った。
台所にて一杯の水を汲むと、アルフィーが眠っているであろう寝室に入る。
空いていた寝室といっても、部屋はリゼリナの自室と同じくらいに広い。それに大きなベッドと箪笥くらいしかないので、余計に広く感じられた。
ベッドに近付くと、すやすやと眠っているアルフィーの顔が見えた。リゼリナの瞳は魔眼なので、灯りの点いていない部屋でも、彼の寝顔がよく見える。
(置いておいたパジャマ、ちゃんと着てくれたようね)
アルフィーが今着ている、ピンクと白のストライプ柄のパジャマを見て、考えた。
彼の淡い桃色の髪に似合いそうだ、と思って用意したもので、案の定、よく似合っている。
水が入ったコップを近くの箪笥の上に置くと、隣に置いてあった、先程着ていた紫色の薔薇柄のワンピースが目に入った。畳み方がよく分からなかったようで、皺はよく伸ばされているが、独特な畳み方をしていた。
思わずクスリと笑うと、アルフィーが身じろぎした。振り向いても、起きた様子はない。
魔眼で視ると、彼が今見ている夢が視えた。色とりどりの花が咲いた花畑の真ん中で、アルフィーが一人黙々と花冠を作っている夢だった。
夢の中の彼は手先が器用で、綺麗な花冠を作り上げると、満面の笑みを浮かべ、「リゼリナさまにあげよーっと!」と言った。
(よく、なつかれたものね)
傷を治してあげて、ご飯を食べさせてあげて、あたたかいベッドを貸してあげただけでなつくなんて。小動物のようだわ、とリゼリナは思った。
彼女はアルフィーの寝室から出ると、廊下の窓から外を見た。辺りは暗くなっているが、寝るにはまだ早い。だけど何かするにしても、魔術の研究は一段落したし、家の本は全て読み尽くした。お気に入りの本なら、数十回読んだ。
することが、無い。
「……はぁ」
リゼリナは自室に行き、とりあえず何かしようと考えた。
彼女の自室には、本が所狭しと詰め込まれた本棚がいくつもある。リビングにもあるが、その比じゃないくらいに、たくさん。
その多くの本は、リゼリナが世界を旅していたときに集めたもので、世界各国の言語や歴史、文化を知ることが出来る。
リゼリナその本棚を横目で見ると、ベッドの隣にある机の前で止まった。
整理整頓された机の上に、一つのペンダントが無造作に置いてある。
大粒の紫水晶アメジストの周りに、数個の小さな紅玉ルビーがはめられた、銀のチェーンのペンダント。おとぎ話に出てくるお姫様が好みそうなそのペンダントを、リゼリナは手に取る。
彼女は感情の無い表情のまま、棚から宝石箱を出して、その中にぽい、と投げ入れた。かちゃん、と金属がぶつかった音がした。
「…………」
リゼリナは無言でスリッパを脱ぐと、ベッドに倒れ込んだ。スプリングがよく効いたベッドは、体を優しく受け止めてくれる。
枕に顔を押し付けて、彼女は呟く。
「嫌な気持ちになったわ……」
その呟きは、枕に吸い込まれた。
ー ー ー
チュン、チュンと小鳥の鳴く声が遠くで聴こえた。
むくりと起き上がって窓の方を見ると、カーテンの隙間から光が漏れ出ている。
(いつの間に、寝ていたのかしら)
だいぶ早くに眠ってしまったのだろう。日はまだ低く、日の出からそう時間は経っていないようだ。
着替える為にベッドから降りて、近くにあるクローゼットに手を伸ばす。
戸を開けると、上からだっぽりと着れるタイプの服が並んでいる。その中の二つ……黒色のシャツとキュロットスカートを取り出すと、着替え始めた。
(あぁ、そういえば、昨日の服、洗面所で脱ぎ捨てたままだったわ)
リゼリナは着替え終わると、洗面所に行って服を拾う。そして籠に入っている、アルフィーが着ていたものを見た。
「……これ、どうしようかしら」
これまた独特な畳み方をしている、服らしき物を広げてみる。
服、というか三つ穴が空いた布、と言った方が正しそうなものだった。ぱんぱんとはたくと、土や砂、埃などが出てくる。
リゼリナは「うっ」と顔をしかめると、布を分解し自然に返す魔術を使った。たちまち灰となり、その灰までもが消滅する。
とりあえず、自分の服を籠に入れた。
洗面所からで出て台所の方に行こうとすると、アルフィーが部屋から出てきた。
パジャマに寝癖頭といった風貌から、「まさに寝起きです」と言っているようだった。
「あっ、おはようございます!」
「えぇ、おはよう」
アルフィーからの元気いっぱいな挨拶に、彼女も微笑んで返す。
「朝ご飯、作りますかっ?」
「そうね。だけどその前に、その寝癖をどうにかしてきなさい。私は貴方の服を出してくるわ」
「え? あの、紫色の薔薇のワンピースは……」
「あれは私が洗濯しておくわ。洗面所の籠に入れておきなさい」
「はいっ」
アルフィーは部屋に戻りワンピースを持ってくると、洗面所の方へ駆けていった。
リゼリナは彼を見送ったあと、衣装部屋に行く。衣装部屋は、台所の横の廊下の奥にある。スリッパでぺったらぺったらと歩いた。
衣装部屋の扉を開けると、中は大きなクローゼットのようだった。
可愛らしいワンピースから、シックな夜会用のドレス、ラフなシャツやズボンなど、いろんな種類の衣装がダークブラウンのハンガーにかけれらている。
「あの子の服を探しに、いちいちこっちに来るのは面倒ね。いくつかあの子の部屋に置いておきましょう」
そう独り言を呟きながら、服を一つ一つ見ていく。彼に似合いそうな服をいくつか見つけると、それを持ってアルフィーの寝室へ歩いた。
アルフィーは困っていた。
鏡に映る自分を見つめて、うんうんと唸る。
「寝癖が……直らない」
思わずそう呟いた。
ぴょこんと立った寝癖を手で押さえつけ、ぐりぐりと強く撫でてみる。手を離すと、すぐさまぴょこんと跳ねた寝癖。
「う~ん……」
どうしよう、とアルフィーは悩む。そして、洗面台の蛇口を見た。
『貴方が魔術具をいつでも使えるように、当分の魔力を込めておいたわ』
そういえば、と昨晩風呂に入る前、シャワーの使い方を教えてもらったときに、リゼリナにそう言われたことを思い出す。
(水に濡らせば、寝癖は直るかな?)
恐る恐る蛇口に触れて、右に捻ってみる。すると勢い良く水が出たので、慌てて閉めた。次はちょっとだけ捻ってみる。今回はちょろちょろと水が出た。
なんだかよく分かんないなぁ、と少し頭を傾げながら、指先を水に濡らして寝癖につけてみた。
「ん~……直んない」
じーーーっと鏡を見つめるアルフィーは、(水が足りなかったのかな)と考えて、未だちょろちょろと流れている水を、両手をお椀の形にして、受け止めた。
水があまりにも少しずつ流れているものだから、だいぶ時間がかかる。先程の強い勢いなら、すぐに貯まるかもしれないが、アルフィーはどうも、さっきの水が怖かったので、それはやめにした。
「うん、これくらいなら直るかな」
アルフィーの両手には、なみなみと注がれた水。
彼はそれを、頭の寝癖があるところにかけた。
───ぱちゃっ
「あ」
ー ー ー
「それで、そんなに髪が濡れているのね」
呆れたと言わんばかりの顔で、リゼリナは言った。
淡い桃色の髪から水滴がぽたぽた垂れた、アルフィーは少し目を逸らしながら「は、はい……すみません」と謝る。
「まぁ別に良いけれど。こんなの魔術ですぐに乾くし」
彼女は手をアルフィーの頭の上にかざすと、乾燥の魔術を使う。
そして、寝室に服をいくつか置いてきたから適当なのを着なさい、と言うと、朝食を作りに台所に行った。
「何を作ろうかしら」
リゼリナは冷蔵庫の中を見ながら、そう呟いた。
最近、街での買い物はせずに、ずっと村の商店で済ませていたので、食料が心もとない。また買い物に行くか……と彼女は考えると、目に入った食材を出し、冷蔵庫を閉めた。
メニューはすぐに決まった。トーストにハムエッグ、サラダにオレンジ。リゼリナのいつもの朝食である。
フライパンに卵を割って焼いていると、アルフィーが着替えてやって来た。
「あぁ、それを着たのね」
アルフィーが着ているのは、赤いリボンが胸元についたブラウスに、生地がいくつも重なったショートパンツだった。昨日の服よりは男の子っぽい服装だ。
「それなら、髪を束ねた方が似合いそうね。また後でしてあげるわ」
「はいっ。えっと、何か手伝います」
「別にいいわ。すぐに出来るから、ダイニングで待ってなさい」
「は、はい」
アルフィーは素直にダイニングの方へ行った。リゼリナは朝食を二人分作ると、お盆に乗せて運ぶ。
ダイニングに入ると、アルフィーはテーブルの横に立っていて、彼女が入ると駆け寄ってきた。
リゼリナはお盆に乗った皿をテーブルに並べ、言った。
「じゃあ、朝ご飯を食べましょう」