あいつの記憶
いつからだろう。あいつがふとした瞬間に大人びた物憂げな表情を見せるようになったのはーー
「ごめんなさい。忘れられない人がいるの」
「そ、そうですか……」
今日もあいつのミステリアスな香りに引き寄せられた男が、目の前で容赦なく叩き落とされた。あいつがいつも同じ台詞で告白を断り続けているのは全校生徒が知るところだが、こうして無謀にも挑んでくる奴がいるのだから不思議だ。最初からダメだと分かっているのに、なぜそんな無駄な力を使うのだろう。
「のぞきなんて悪趣味よ」
「ちっ、バレてたか」
「私が教室から出るときに、ついてきてるのが見えたもの」
呆れたように溜め息をつくが、その動作ひとつとっても魅了される男がいるのだ。なんとも理解できない。
「まーた“忘れられない人”で断ってたな。断られる奴も不憫だよ。夢の男相手に負けるんだから」
「彼は夢じゃないわ!」
突然語気を荒くしてあいつが叫ぶ。いつも通り、予想通りの反応だ。
「私と彼はずっと繋がってる。何もかもを捨てて一緒になることを誓ったのだもの。現世でも必ず結ばれるわ。これは運命なの」
「あほらし。お前は本当にバカだな。お前に告る男たちもバカ。お前みたいな奴は願い下げだけどな」
「別にバカでいいわよ。あんたが私のことを嫌いなのはよく知ってるから」
唇を尖らせて、拗ねた仕草を見せる。俺は「けっ」ともやもやする気持ちを吐き出した。
ある時、こいつは俺に言った。
「私、前世から結ばれている運命の人がいるの」
その描写は日に日に詳細になっていく。いつしか、現実と区別がつかなくなるんじゃないかと心配になるぐらい、こいつは夢の中の恋愛にのめりこんでいった。
でも、あいつはすべてを思い出したわけじゃない。
あいつは思い出してはいけない。
すべてを思い出したが最後、その運命の相手は死ぬのだ。
ーー北の魔女よ。来世で彼女と再び会えるよう、魔法をかけてくれ。そのためなら何を犠牲にしても構わない。
ーーそれならば、あの女の記憶と引き換えだ。近くに生まれ変わらせてやるが、すべてを思い出したらお前は死ぬ。
俺は魔女の呪いで死んだ。