借り名
あの白い空間で女の子に教えてもらった名前。それは――
「――ニール」
「……ッ!」
「ほう、良い名じゃな。呼びやすく、程よく魔力を纏っておる。お主、霊格も大きいのじゃな」
ヴィクターさんが褒めてくれた。意味の分からない単語でよく分からなかったけど。でも、なんでフェンリルさんは怖い顔をしてるんだろう?
「主、殿……。その名をどこで聞いた?いや、覚えていたのか?」
「えっと、目を覚ます前に、白い場所で女の子に教えてもらいました。何か気に障りましたか?」
「いや、主殿が記憶を失う前と同じ名なのだ。ふむ……今の主殿は並列思考なのか?銀髪の少女が主殿である可能性が……」
そのままフェンリルさんは思考に耽ってしまった。ところどころ、“◼◼◼◼”とノイズのような音で聞こえない。
「今度こそ案内を始めようかの。聞きたいことがあれば道中で言うのじゃ」
「分かりました」
まだ考え込んでいるフェンリルさんを連れて、ヴィクターさんに村を案内してもらう。
もう夜だというのに住民がたくさん外に出ていて、活気づいていた。
「すごい……」
「人間と比べるとそうじゃな。じゃが、夜にしか出れない種族や夜目の利く者の多い魔族からすれば、それほど珍しくはない光景じゃ。節度も持っておるしのう」
確かに、皆笑顔で思い思いに行動してるけど、騒がしいという訳じゃない。光もあるにはあるが、蝋燭の火くらいの光量だ。
「そういえば、お主も見えるんじゃな。魔族でも人間でも無いようじゃが、種族は分かるかの?類似点が最も多いのは神族じゃが……」
「私にも分かりません。ただ、この姿は仮なんだと思います。違和感はないんですけど、別の姿だったことがある気がして……」
「ふむ、興味深いの」
その後は村を案内してもらったり、村長に挨拶したりして、一晩過ごした。
フェンリルさんとヴィクターさんは元々睡眠がいらなくて、私も一週間寝たからか不思議と疲れなかった。
「そろそろ夜明けじゃが……お主、本当に眠らぬのじゃな?」
「はい、沢山寝たおかげで、疲れるどころか絶好調です。魔力があるだけでこんなに違うんですね」
「睡眠も不要、と。人ではないことが確定したの」
「あの、不要とまでは……」
服から取り出したメモ帳に何かを書いていく。余談だが、ヴィクターさんは外に出たのに仮面をつけたままだ。
「……主殿、後で話がある」
「は、はい」
「ふむ、儂は仲間外れか。まったく、最近の若者は年寄りに隠し事ばかりじゃな」
「少なくとも、我は貴様よりも生きてるがな」
「ほう……」
フェンリルさんとヴィクターさんの間で火花が散る。二人から何か怖いオーラが出てきて鳥肌がたった。
「茶番もこれまでにして儂は研究室に戻るかのう。お主らも儂の家は自由に使って良いぞ」
そう言って、ヴィクターさんは帰ってしまった。
「そういえば、ヴィクターさんって何の研究をしてるんですか?」
「我が見た限りでは、命の錬金術と言ったところか。もしくは死者蘇生の依代作成か?どちらにしろ、死体を使っていることには変わりまい」
「死体……」
死体を使っていると言われても不思議と、何も思わなかった。
私が沢山殺したと聞いた時は吐き気もしたけど、ヴィクターさんに対する嫌悪感や軽蔑を感じたりもしていない。
「奴はネクロマンサーだからな。死体の尊厳を弄ぶようなことはしないだろう。死体も、生前に許可をもらってあるものだけだと言っていた」
フェンリルさんはそう言ってフォローした。さっきは睨み合ってたけど、私の眠っている一週間を共に過ごして、仲が良くなってたみたいだ。
「覚えておらぬだろうが、主殿も死者蘇生は実行している。我の不完全な知識だけであの術式を編み出したのだ。マクスウェル殿ではないが、あれは素晴らしかった」
フェンリルさんがこちらを見る。けど、その視線は私を見てるのに、私じゃない誰かを視ているような虚ろなものだった。
「マクスウェル……?」
「地獄の悪魔で主殿の眷属であり、信者でもあった。大罪の悪魔を従えていた実力だった。……今はいないがな」
質問に、悲しい顔をして答えた。視線は、変わらず過去の誰かに向けられている。
「生きてるんですよね?」
「うむ。悪魔に死という概念はないのだ。無論、主殿も死ぬことはない。しかし消滅はするので油断はするなよ、主殿」
「……分かりました。記憶を取り戻したら、私の眷属だった人達を探しに行きます」
「うむ。……喜ぶだろうが、主殿が傷付くのは望まぬ。くれぐれも無茶はしないでくれ」
「はい」
話しているうちにヴィクターさんの家が見えてきた。
「着いたか。では、主殿には今から最低限の自己防衛方法を身につけてもらう。と、言ってもだ。少々話をするだけだから安心してくれ」
「自己防衛……」
「うむ。魔族領は人間領とは違い、環境も魔物の強さも劣悪だ。幸い、人とは違い敵は魔物のみだが、それを考慮しても魔物というのは脅威となる」
さっき聞いた話だと、私が気を失っている間も魔物が出てきたらしい。その時はフェンリルさんが焼いたらしいけど、この村での死亡率は魔物が一番なんだとか。
「では主殿の魂に直接語りかける。痛みを伴うだろうが、耐えてくれ」
「魂……?」
「抵抗するだけ苦痛が増すぞ」
フェンリルさんは私の頭に手を乗せて、それだけ言った。何か手から嫌な感じがして、どかそうとしたけど、固定されたように動かないし頭も離れない。
「あの、何か嫌なかん――あ゛あ゛あ゛ああああぁぁ」
なんの前触れもなく、とてつもない痛みが頭に発生した。
痛い痛い痛い痛い痛いイタイ痛い痛い痛いイタイ痛い痛い痛い痛い痛いイタイイタイ痛いイタイイタイイタイ。
「くっ、もう少しの辛抱だ、主殿……!」
痛いによる衝動に任せて力いっぱいに四肢を振るう。何かが当たって砕けた感触も痛みによってかき消される。
痛いとともに“記憶”とは違う“知識”が、少ない記憶を塗りつぶす勢いで頭の中を埋め尽くす。
「かは……っ。なに、こ、れ。な、にか流れ、こん、で、きて……」
「……そろそろ限界か」
フェンリルさんの手が頭から離れると同時、痛みが消えて身体が解放された。力の入らない身体はだらしなく曲がり、地面に座り込んだ。
「突然、このような事をしてすまない」
意識のハッキリしない中、誰かの声が聞こえてくる。目の前もチカチカして気持ち悪い。
「だが、これも主殿のためだと思って欲しい」
身体中に重りがついたような脱力感が治まって、視界も明瞭になってきた。重い頭を上げて声の発生源を見上げる。
「いや、これは言い訳か……。以前の主殿を求めて、今の主殿を蔑ろにしてしまって、すまない。……主殿?」
目の前の誰かが首を傾げた。頭上の銀の耳がピコピコ揺れている。
「貴方、誰ですか?」
「あるじ、殿……?」
誰かは目を見開いて、驚いたような顔をしている。私の顔に何か着いてるのだろうか。
「また記憶を……!」
「やれやれ、儂より長生きしてると言った割には精神が弱いのう」
「……?」
知らない誰かと見つめあっていると、新しく誰かが来た。仮面を被っていて、私に似ていた。
「あれ、私の仮面は?」
「ッ!?何故記憶が……!」
「不幸中の幸いというやつじゃな。お主が掘り起こした知識と共に記憶も戻ったようじゃ」
そう言いながら仮面の誰かは私の頭に手を乗せた。さっきの不快感とは正反対の心地良さが、頭を起点に体を巡っていく。
「――ぁ」
数時間分の、けれど私にとっては大切な記憶が、頭の奥底から蘇る。
「その副作用がこれじゃ。儂でも干渉出来るほど魔力が乱れておる。悪意を持った者なら記憶を改竄するじゃろうな」
「……何度も手間を取らせて申し訳ない」
「ふん、本当にそう思うんじゃったら、もっと主と仰ぐ者を大事にせい。……失ってからでは遅いんじゃぞ」
私が、記憶と知識の波に飲まれて呆けていると、ヴィクターさんが怒ったようにフェンリルさんから顔を背けていた。
フェンリルさんも耳と尻尾を垂れさせて、落ち込んでいる。飼い主に怒られた犬を背後に幻視しそう。
「儂は研究の途中じゃから帰るぞ。礼は……そうじゃな。其の尾と翼の鱗でどうじゃ」
ヴィクターさんが私に向かって指をさした。厳密には私ではなく、その背後。いつの間にか生えていた、ドラゴンの尾と翼だ。
「こんなのでよければ。ん……えいっ」
私は片翼と尾を引き抜いてヴィクターさんに手渡す。視界の隅では、フェンリルさんが昨晩以上に動揺していた。
いきなりこんな事をしたのは、まだ混乱してる訳でも、生えてるのが嫌だったからでもない。ちぎっても痛くないし、また生えてくるというのを知っていたからだ。
「えっと、さっきフェンリルさんに戻してもらった知識によると、私は死なない限り、魔力を消費して再生するみたいなんです」
まだ知識が不完全みたいで、使える能力は“ぱっしぶスキル”だけらしい。らしいと言うのは、この知識が、私じゃないニールさんの知識だから実感が湧かないんだよね。
「成程、主殿はこういう時の事も考えて、予め記憶に何か細工をしていたのか?」
「どうじゃろうな。しかし、生存能力を高めるスキルに関する知識が最初なのは偶然にては出来すぎじゃのう」
「あの、要らないんですか?」
翼と尾を受け取らずに2人が話し始めてしまったので引っ込めたら、慌てて受け取った。
「研究材料が増えたことじゃし、儂は戻る。良いか、くれぐれも頭を触られぬようにの」
「はい。ありがとうございました。ほら、フェンリルさんも」
「う、うむ。ヴィクター殿、この度は助かった」
フェンリルさんの背中を押して頭を下げさせる。無理矢理じゃないよ?促してるだけだよ?
「……主殿」
「はい」
「記憶が戻ったのか?」
「……いいえ。朧気に私がどういう人だったのかは“知識”から知れたんですけど、それ以外はまだ……」
「そうか」
そこで一旦会話が途切れる。居心地の悪い雰囲気が場を支配し、しばらく沈黙が続いた。
「我は……力で全て解決出来ると思っていた」
突然、話し始めたフェンリルさんに驚いて、私はキョトン、とした。
「窮屈な森に幽閉されていたところを主殿に一時の関係として救ってもらった」
話す声音は優しくて、包み込むような慈愛で満ちていた。
「過ごしているうちに主殿に興味が湧き、それは次第に忠誠とも崇拝とも言える感情へと変わっていった」
地面に膝をつきながら、話を止めることなく私の前に跪く。
「ここで、もう一度誓おう。我は主殿を守り、尽くし、その命の為ならば全てを犠牲にしよう」
俯いて見えなかった顔が上がる。その表情は、さっきまでの暗さを微塵も感じさせない、自信と覚悟で埋め尽くされていた。
「こんな我でも眷属で良いか?」
僅かに傾げられた顔が、上目遣いと相まってもの凄く庇護欲をそそられる。
そんなの、答えはひとつしかないよ!
「駄目です」
私は、満面の笑みでフェンリルさんの忠誠を断った。




