喪失
「ニールちゃん!――きゃあ!」
邪神の魔法球を抑え込んでいると、ジャックを除いた並列存在達が転移してきていた。
「なんだよこれ!おい、教皇が血塗れだぞ」
コアが、爆風の余波で四肢が吹き飛ばされた教皇を見つける。異界化する直前に【不死】を使ったからあの状態でもギリギリ死んでいない。魔法解いた瞬間死にそうだけどな。
「余所見は寂しいよ」
「――ッ!!」
邪神が手を振るだけで魔法球を抑え込んでいる異界に衝撃が加わり軋みを上げる。異界を通して俺にまで影響を及ぼし、腕の骨が砕けた。
「私が視ていた記憶を皆さんに共有します。コア君は教皇さんの保護を。私達はニールちゃんに加勢します!」
俺が制御に苦戦しているのを理解したルルが並列存在達に指示を出していく。
「ほ、本当にラプラスさんが邪神なんだね……」
「邪悪なる意思は内側を食い破って生まれる、か」
「馬鹿な事を言ってないで早く行くよ!あたし達の少ない力を振るえる機会だ!」
「姉貴、本音が漏れてるぞ……」
「皆さん、邪神相手は本気じゃないと勝てませんよ!」
くそ、現世への影響を抑え込めなくなってきた……!ジャックが現世側からも手伝ってくれてるようだけど、そろそろ限界が近い。
「【獄炎】!」
「【膨張】!」
「フッ、【深淵】」
「『妖狐・疾風轟雷』!」
シルビア、ルル、ボロスが魔法を放ち、シェリーは邪神の背後から貫手で胸を貫いた。その間、邪神は一切抵抗しない。効かない、とでも言うように対応しない。
「相変わらず敵には容赦ないね。下半身が消えて全身黒焦げになったうえに、右腕が破裂して胸に風穴を空けるとは。風通しがよくなっちゃったじゃないか」
魔法を受けて、人の原型を留めていない炭の塊となった邪神が体を再生させながら軽口をたたく。圧倒的不利な状況にもかかわらず邪神は嗤っていた。
「あーあ、仮面までボロボロじゃないか。長年使って愛着湧いてたんだよ?君と私が会った頃からのものだったのに」
文句を言いながら単眼の仮面を作り出す。先程まで着用していたものと同一のものを。まるで過去から持ってきたように一切違いがない。
「さて、そろそろ隔離出来たかな?早く君と本気で死合いをしたいよ」
「……いつでも異界化を阻止できるみたいな言い方だな」
「事実そうだからね。地上への被害も目標に達しているし、王都がこれならしばらく魔族にも対応出来ないだろう?」
最初に放った魔法球も今では魔力を散らして威力を失っている。それを悟られないよう完全に消え去る前に異界を現世から隔離した訳だが泳がされていたみたいだ。
「あ、お望みだったら追加しようじゃないか。君はいくつ欲しい?」
邪神が指を鳴らせば異界を崩壊させて地上を数百回平地にしてもお釣りが来るような魔法球が数十球現れる。
「……遠慮する。それに、それを撃てば魔族も無事じゃ済まないぞ」
「私にとって魔族なんてただの駒だよ。魔王さえ生きてればやり直しは可能だしね」
もう一度指を鳴らせば魔法球が全て消える。さっきまでの存在感が嘘だったように何の痕跡も残さずに。
「ニール、真正面~~~対応する必要はないよ。あれはあたし達とは根本から違うんだ。見てみこの手を。妖気で覆った貫手だったのにこの様だ」
見ると、シェリーの右手が何かに潰されたようにグシャグシャだった。恐らく邪神の強度が高すぎるのが原因なのだろう。
「そろそろコア君が戻ってくるね。……ほら、来た」
「教皇をブラッドに預けてきたぞ!俺の出来る範囲でなら治療もしてきたからな!四肢は再生させといたぞ」
邪神の言葉とほぼ同時、コアが隣に転移してくる。俺たちが戦慄していると、コアが不思議そうに俺たちの顔を見る。
「おい、どうしたんだよ。俺、何か間違えたのか?」
「ううん、違うよ。ラプ……じゃない、邪神の探知能力に驚いてたんだ」
「シルビアさんの言い方では少々優しすぎますが、愕然としていたのは本当です。……あれが世界の理を超越した真の神ですか」
「いずれ我らも到る領域だ。怖気付くことは無い」
珍しく普通の喋り方をするボロス。意外に思い、見つめていると邪神もボロスの事を見ていた。
……いや、違うな。そろそろ俺も現実を認めないと。邪神はラプラスなんだ。ラプラスに邪神の意思がなかったとしてもラプラスが邪神だったという事実は変わらない。
「話は終わりかな?まだジャック君が来ていないが構わないだろう?さぁ、愛し合おう」
「――ニールちゃん!」
刹那、ラプラスの姿が消えた。そう認識する頃には俺の体は吹き飛ばされていた。
「おや、速くしすぎたかな?」
「この!」
何とか空中で体勢を整えて、顔を上げるとコアがラプラスに殴りかかろうとしているのが視界に入る。それを陽動にシェリーが死角に移動し、シルビアが魔法を発動させていた。
「作戦は良いけど、力量が違いすぎるかな」
ラプラスが軽く身を捩って触れるだけで二人の拳は素通りしていく。シルビアの魔法に至っては一瞥するだけで霧散していた。
「本命は私です!」
「知ってるよ。本命ボロス君を当てるための囮だって事もね」
直後、ラプラスの右腕を闇が飲み込む。そのまま引きずり込まれる――ように見えたが逆にボロスが引きずり出されていた。
「言っただろう?作戦は良いと。だが力不足だともね」
「いいえ、一つ勘違いをしています。ボロスさんも囮ですよ?」
「君は一体何を――ごは!こ、これは予想外だったよ。まさか魔力の完全隠蔽を習得していたとはね」
何の前触れもなくラプラスの胸から腕が生える。それは心臓を握り潰し、体内の臓器を蹂躙した後、現れた時と同じように消える。
勿論、今の腕は俺だ。邪神の血を『吸血』して強化し、『加速』に『崩壊』と【黒渦】を付与したうえに、『太陽神』『金星の神』の神火と『地獄の監守』『風と死の支配者』『神を殺す者』の即死の権能を込めた現在での最高威力だ。飛ばされてすぐに戻らなかったのはこれを用意するためで、魔力の完全隠蔽を成功させるためでもある。
「まさか私がダメージを負わされるとはね。これは……少し治すのに時間がかかりそうかな」
「それでも治るのかよ。神ってのは本当に化け物ばっかだな!」
ラプラスが穴の空いた胸に手をあてながらこぼした呟きにコアが悪態をつく。他の並列存在達を見る限り同じ心情だろう。俺も似たような気持ちだ。
「とりあえずは応急処置だ。安心していいよ。これは外見だけのものだから」
ラプラスの手が胸から離れる。そこ空いていた大穴は跡形もなく、完全に塞がっていた。だが、『探知』によると中身は空洞だった。文字通り塞いだだけのようだ。
「……終焉の獣が」
「獣呼ばわりは悲しいね。だけど的をえている。君も私も世界神でさえ、元は人や魔物という名の獣だったんだから」
「お喋りしてる暇はないと思うよ!【龍魔拡散撃】!」
シルビアの声と共に数百を超える数の光弾がラプラスを襲う。それらは抵抗する暇を与えることなく次々に着弾していく。
「今のでも傷つけられるとはね。ほら、お返しだ」
ラプラスが手を振ればシルビアの【龍魔拡散撃】よりも強力な魔法球が次々と現れる。それらはバラバラに飛び散り、無差別に襲いかかった。
「きゃっ……!」
「シルビア!ちっ、本当にウザイったらないね!」
魔法球を魔法で相殺したり、他のものと衝突させたりして防いでいると、シルビアの悲鳴が聞こえてきた。助けにいきたいが、防ぐのに手一杯で動けない。シェリーやコアは魔法を使わない分、俺よりも手こずっていた。
「深淵の眷属よ。我が同胞を救済せよ!」
「おや?」
音もなく、闇が生まれる。その隣にまた闇が生まれそこに突っ込んだ魔法球は飲み込まれるようにして消えた。
「――ォォオオオ!」
全てを飲み込みそうな闇から獣の叫び声のような空洞音のような音がしたかと思うと、ボコボコと闇が膨張を開始する。闇は生き物のような動きで膨張し続け、どんどんと魔法球をその闇の中に消していく。
「まさか本物の終焉の獣を呼び出すとはね。それを相手するのは面倒だ。だから――」
視界からラプラスの姿が掻き消える。逃げた訳でも死角に移動した訳でもない。何故言いきれるのか?だって、俺の目の前にいるのだから。
「……ぁ」
「だから遊びは止めて君を殺そう」
時が止まる。世界神と話す時のように周りの動きが停止し、思考することだけしか許されない。
違う、時が止まったんじゃない。現にラプラスの動きはそのままだ。この感覚は死に際の生存本能が引き起こしたものだろう。死の確定したこの状況を打開する策を考え出すための時間だ。
「分かっているとは思うが、私は見逃して上げるほど優しくはないよ。……さよなら、ニール君」
ラプラスの拳が迫る。この場にいる者は誰も動けないし、間に合わない。――否、誰もが絶望を顔に浮かべ諦めかけている中ただ一人だけは動き続けていた。
「ニールちゃん!」
「……ぇ?」
力強い、だが優しい衝撃が俺を押す。スローモーションの世界で顔を向けた先には涙を浮かべた笑顔のシルビアが視界に入る。
――ごめんね。ありがとう。
「待っ!」
手を伸ばして手を掴もうとするが、ラプラスの拳の方が速い。
「あの状況で間に合うとは。私はシルビア君を……君達を侮り過ぎていたみたいだ」
何もなくなっていた。そこにいたはずのシルビアは、片時も切れなかった繋がりは存在そのものが消えてしまったように消滅していた。
「……ぁ、いや、嘘……。俺を……私を置いていかないで」
全身が脱力して動かない。ただ涙と嗚咽だけが溢れてくる。
「よくも、よくもシルビアを!『白虎・爪――」
「うるさい」
背後に立ったラプラスが触れるだけでシェリーが消える。それはシルビアと同じように世界に存在を否定されたように忽然と消え去った。
「あ、姉貴が」
「シェリーさんまでも……」
「眷属よ!我を援護し時間を稼げ!」
コアとルルは呆然と立ち尽くし、ボロスは捨て身の特攻を開始する。
「無駄だよ」
だが、身を破壊しながらの特攻もラプラスが触れれば無かったことになる。全てを飲み込む闇を纏ったボロスも為す術なく消された。
「――ッ!悪魔!ニールを連れて逃げろ」
「ここは私達が時間を稼ぎます」
「了解。……ご武運を」
コアの命令に従い、マクスウェルが俺を抱えて疾走する。異界を抜け、王都を離れ、人間領からも出ようとした時、無慈悲という名の悪意が現れる。
「やぁ、さっきぶりだね」
「馬鹿な……まだ一分も経っていないぞ。あの方達がお前に負ける訳がない」
「だが、私はここにいる。それがなによりの証拠だろう?」
目の前に飛んでいるラプラスからは仮面がなくなっていた。それをいい事に、まるで見せつけるように顔に笑みを浮かべていた。
「マスター、ご命令を達成出来なかったことをお許しください。そして……どうかお逃げください」
「させると思うかい?」
「ぐぅ……!」
頭上で鈍い音がする。顔を上げるとそこには何かを蹴ったような体勢のラプラス一人で、ついさっきまでいたマクスウェルの姿はなかった。
「さて、全てを失った君は何をするのかな?あぁ、心配しなくていい。ジャック君もやっておいから」
「……」
ラプラスが俺の顔を覗き込む。目に映るのは邪悪な程無邪気な笑顔。まったく濁っていない瞳で最悪な悪意を振りまく、邪悪の神だけがいる。
「――あぁ、やっぱりこうなってしまうのか」
ボソッ、と何か呟いていたが俺の耳に届く前に風に攫われてしまった。
「憎悪の感情を期待していたが、君には失望したよ」
景色が変わる。ラプラスの手は俺の首を掴み、足元は硬い地面から底なしの渓谷に変じていた。
「ぁぅ……」
「君には文字通り全てを失ってもらおう。仲間も財も名声も。そして存在全てさえも」
ドロリ、と意識が何かに覆われるように遠のいていく。既に体は言う事を聞かず、何か分からないものが抜けていくような喪失感だけが止めどなく溢れてくる。
「さよならだ。もう二度と君と会うことはないだろうね」
ラプラスの手が離れ、解放される。それなのに思考は絶望と喪失感で埋め尽くされて体は動かず、渓谷へと落ちていく。
「……バイバイ、ニール君」
意識を失う寸前、涙を流す『誰か』が見えた。




