邪神
「もう一度聞くけど私達の方に来る気はないんだね?」
感覚を確かめるように手を開閉させながら邪神は勧誘してくる。手を動かす度に関節が鳴っていてうるさい。
「……俺の意見は変わらない」
俺は左右に限界まで圧縮した土槍を数十本作り出す。
「お前を殺して元の世界に皆で戻る」
答えると同時に土槍を全て撃つ。直後、大砲を撃ったような音で邪神に着弾する。
こんなので殺れたとは思わないけどどれくらいで殺せるのか判断材料にはなってくれよ……。本体じゃないうちに癖くらいは見つけておかないと。
「あははは!まさかただの初級魔法をここまでの威力に高めるとはね。やはり私は君が欲しい!」
声が響くと同時、土煙を吹き飛ばして全ての腕に武器を持った邪神が戦斧、大剣、モーニングスターでなぐりかかってくる。
圧倒的重量というのはそれだけで凶器となる。防げば骨を砕き、躱せば地を裂き衝撃を放つ。最善をとるならば堅実に距離を取るのが正解なのだろう。だが――俺は逆に間合いを詰めた。
「フッ!」
すれ違う一瞬。高速で動くただ一点を狙い、【虚無空間】から取り出した槍で神速の突きを放った。
「あえ……?あの一瞬で私の顎を砕くとはね。今のを見るにスカアハの技かな?技量的にはカルナもあるね。うん、この2人が候補に出てくる君は本当に素晴らしい」
本当に感激したような声で褒めて拍手する邪神。槍で貫いた傷はたった一度撫でる程度で再生していた。
「……この槍不治の呪いを付与してる筈なんだが?」
「おや、それは教えられてなかったのか。私は治したのではなく新しく作ったんだよ。生憎、この身体ではこの姿にしか出来ないけどね。ほら、さっきと形が異なるだろう?」
当然のように邪神は不治を治した原理を語る。俺が何を知ろうとも負ける心配はないとでも言うように。
「さあ、続きをしようじゃないか。これは防げるかな?」
今度は反対の手にレイピア、薙刀、槍を持って突進してくる。俺はと言うと槍をしまって弓を取り出していた。
「フェイルノートだね。確か必中の弓だったかな?」
ニタァ、と目を薄めて邪神は嗤い、武器を繰り出す。俺が顎を粉砕した時と同じ突きだ。
先程の重量武器とは違う、線ではなく点による攻撃。突きというのは見た目に反して殺しやすい。切るよりも重要器官――心臓や肺を狙いやすく時間をかけずに殺しやすいのだ。
「しっ」
邪神の手がぶれる。瞬刻、目の数ミリ先に穂先が迫っていた。
「――ッ!!」
呼吸も忘れて必死に回避に専念する。何度も何度も何度も何度も何度も何度も。距離を取ることすら考える余裕がなく、躱す度に傷が増えていくが気にせず躱す。
「ふむ、接近された際の対処は教えられてるみたいだね。これはもういいや」
「はぁ、はぁ」
数十合すると邪神の方から離れていく。あれほどの速さで武器を振り続けていたにも関わらず邪神は息一つ乱れていなかった。対して俺は血流加速を使った反動で心拍数が上がり血涙まで流れる。
「……随分と余裕だな」
「それはそうだよ。だって私は神なんだから゛――!」
背後から無数の矢が邪神に突き刺さる。躱している最中、邪神の目を盗んで明後日の方向に撃っていたものだ。フェイルノートの特性によって邪神を狙って戻ってきたのだ。
俺は弓をしまってもう一度槍を取り出す。前衛のいない状態での弓がどれ程通用するのかという実験が済んだからな。
「世界に縛られてる君が私の目を欺くとはね。正直君を舐めていたよ。私もこれにも慣れてきたし少し速くするかな。これがこの身体の本気だよ!」
邪神の姿が消える。……違う。思考加速してなお視認出来ない速さで動いてるんだ。トカゲ達の流してくれる情報ですら、いた場所までしか分からない。
「急に動きが鈍くなったけどどうしたんだい?君だったらこの速度にも着いてこれるだろう!」
どこか確信めいた口調で邪神は挑発する。時々襲ってくる打撃も龍鱗鎧に罅すら入らない。
クソ、不味いな。まだ侮ってくれてるから生きてるけど、もし相手を本気にさせたら死しかないぞ。
「……こんなのフルフル以来だな」
フルフル……?そうだよフルフルだ!アイツから闇魔法の究極技というのを教えてもらってたじゃん。夜、それも新月じゃないと使えないけど異空間なら多少条件を弄れば使える筈だ。
『我、影の女王と契約を結びし者なり』
隠している物を悟らせないように、これが切り札だと認識させるように、俺は槍を構えて詠唱を開始した。
「それは情報になかったね。この身体を失っても痛手にならないし受けるだけ受けようか」
邪神は手を広げて無防備な体勢をとる。躱すきは毛頭ないようだ。
『万物を貫く水獣の刺よ』
詠唱が進む毎に槍を中心として魔法陣が展開される。
『敵を穿つ稲妻よ』
それらは雷を帯び、魔素を際限なく吸収して深紅に染まる。
『女王の怒りを毒として』
深紅の魔法陣はやがて一つに重なり槍を血色に創り変えていく。
『今こそ集い来たれ!』
俺の詠唱に呼応するように、力の解放を歓喜するように魔素が荒れ狂い物理的影響を撒き散らす。
『我が名はニール!【ゲイボルグ】!』
俺は詠唱の完了と同時に深紅の魔槍を解き放つ。一条の光と化したそれは音速を超え、なお加速する。
――こんなものでは私は殺せないよ――
槍が貫通する刹那、確かに邪神はそう言った。音でも念話でもなかったがハッキリと聴こえた。
「だからこそ槍を放ったんだよ」
「どういうこ――」
邪神の声が不自然に途切れる。槍に貫かれた穴を中心に壊死しているのだ。少しずつ、確実に。別に神の再生に勝る程ではなく動きを止めるだけの効果しかない。……それは死に等しいけどな。
「これで終わりだ……【黒渦】」
闇魔法の中に【疑心暗鬼】という魔法がある。それは自分以外の全てを疑いやすくなるだけの魔法だ。
抵抗も簡単で子供にかけても気力で防御出来てしまうほどだ。だが、この魔法には一つだけ特別な事があった。使用者の力量によって無限に進化するという特性だ。
だが、闇魔法の使い手が少ない上に知識も失われているため人間で究極に至ったものは誰一人としていない。
それが例えば細胞レベルまで究められていたとしたら?その結果が目の前の邪神の姿だ。
「……これはお前の細胞が他の細胞を攻撃しているだけの自壊だ。傷を治すための細胞も自壊するからな」
「なる……ほど。わたしは……君の槍を受けてガハッ!いた、時点で……負けていたわけか」
もう【ゲイボルグ】の毒を解毒した邪神が口を笑みの形に歪めて後悔にも喜悦にも聞こえる呟きをこぼす。その間にも【黒渦】は邪神の体を蝕んでいき、既に足は消滅していた。
俺は邪神の上に立って頭を片足で押さえつける。……慈悲?そんなものはない。
「一つ聞いてもいいか?」
「……なんだい」
「お前らが支援してるのは人間か?そいつは誰だ」
邪神になる前――ダークエルフだった時に言っていた事だ。命令していたのは邪神だと言ってたから駄目元で聞いてみた。
「ごぷ……っ。もちろん魔族だよ。くく喰った奴に変身するるから名前は知らないけどね」
……言動が怪しくなってきたな。もう半身消滅しているし遠隔操作しているのが邪神だとしても難しいか。
「……そうか。分かった。そろそろ消えろ」
「そんなさびっ寂しい事は言わないでくれよよよお゛お゛ぉぉぉ」
「黙れ。【深紅の電雷】」
紅い稲妻が邪神を焼き、【黒渦】が消滅させる。それを確認した俺は『空間支配』を解いた。
「……マクスウェル」
「ここに」
音もなく影の上にマクスウェルは跪いていた。まるでそれがこの世の至上の喜びであるかのように喜びのオーラを放っている。
「教皇選挙の候補者の悪事、弱みを探れ。お前の眷属を全て使ってもいい。それで脅すかこの国の上層部に流して舞台から下ろせ」
「イエス、マスター」
俺の命令を受けてマクスウェルは影に溶け込むようにして消える。――訂正、影に潜り込んだ。
「……さて、これはどうするか。……間違えた。コイツをどうするか」
俺の目の前にはさりげなく異空間に連れてこられて邪神との戦闘に巻き込まれた教皇という名の肉塊が転がっている。
この状態でも【不死】のおかげでご存命だ。え?せいで、だって?何のことかな。……茶番は止めて治してやるか。痛覚はそのままだから死んだ方がマシな苦痛が続いているだろうし。
「あの、大丈夫ですかニールさん?」
教皇を挟んで正面に黒い穴が開き、そこから不安そうな顔をしたルルが顔を覗かせる。
「……問題ない。完全に手加減されていたからな。世界神の言った通り神化した者が娯楽を優先しやすくて助かった」
「そう、ですね。私は視ていただけなのでニールさん程詳しくはないのですが身体能力の面では負けていました」
俺は教皇の傷を治して抱える。ルルの言う通り、邪神が慣れたと言ってからは目で追うことすら出来なかった。
「……まずは皆と合流しよう。邪神への対策はその後だ」
「それが妥当だと思います。私達は能力が同じだと言ってもそれぞれに突出している部分がありますからね」
「……そうなんだよな」
本来『並列存在』と言うのは全て同じ個体となる。だが、何故か『並列思考』を受肉させると違いが出来るのだ。
例えば、シルビアだったら魔法の威力に。コアだったら機動力に差が出る。ボロスはもっと特別で、その時のノリというか気分によって限界を超えたり、逆に人間程度まで力が落ちたりするからなぁ。
「【転移門】」
俺がボロスの特性について思案していると、ルルがジャックのアジトに繋いでくれた。コアとブラッドは既に移動しているらしく、待っているそうだ。
「あ、ニールちゃんだ。よく邪神に勝てたね。記憶を共有したけど勝てるビジョンが見えないから心配したんだよ?」
門をくぐると、真っ先にシルビアが話しかけてくる。とても心配しているようには見えず、寧ろうれしそうだ。
「……心配って何だっけ」
「突然記憶が共有された時はシルビアも心配してたけどね。ニールが勝ったのを理解してからはアタシも嬉しかったよ」
「俺は邪神と闘ってみたかったけどな!」
言葉の意味が分からなくなって哲学的な事を呟くと、シェリーが教えてくれた。シルビアの方を見ると、平静を装っているが頬を朱く染めてソワソワしてた。
「マスター、報告したいことが」
いつの間にかマクスウェルが影の上で跪いていた。ついさっきよりも服が乱れているのは気のせいか?
「あれ、半分悪魔さんだ。今日はどうしたの?」
とてて〜、という効果音が似合いそうな走り方でジャックがマクスウェルの傍まで寄る。
「はっ、本日はジャック様ではなくマスターへ報告に来ました」
「そっか、頑張ってね!あっ、約束は守るよ?」
「御心に感謝を」
なんかやけに2人が仲良いな。今日は、ていうことは何度も来てたって言うことだろ?マクスウェルって俺の眷属じゃないのかよ。……ん?また『大罪』が反応したな。なんなんだよ。
「……もう終わったのか?」
「はい、大罪の悪魔も加わらせたので問題はありませんでした。しかし、一匹だけ魔族が紛れ込んでおり、その処分を伺いに来た次第です。現在はアスモデウスが魅了しております」
早いな。まだ数十分なんじゃないか?確かに悪魔は欲望が絡むと普段では有り得ない力を発揮したりするけど、ここまでか……。あれかな、マモンとかが欲望に干渉して自白させたか?
「……出来るだけ情報を絞り出して放置しろ。無意識で密告するよう細工しておけよ?」
「イエスマスター」
そう言ってマクスウェルが消える。今度は単純に転移したみたいだ。
「フッ、欲望に囚われし愚者は煉獄に焼かれる運命にある」
ボロスの言う通りだ。自分の欲に正直になることは時に力となるけど、その快楽に溺れていくのは賢いとはいけないな。……俺達も今回のことを反面教師としていかないと、足元をすくわれるそうだ。
「それで君は邪神についてどういう見解だい?そこの人間を教皇にした後の事や私の魔神化など片付けるべき問題は沢山あるだろう?」
「……分かってる。ジャックが一緒にいられる時間も少ないんだ。情報は共有してあるから邪神への対策を練るぞ」
「「「「「「了解」」」」」」
その後、俺達は半日かけて邪神に効きそうな魔法の開発や作戦会議をした。