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誰かへ送る創作日誌  作者: こさじ
❂ 目ん玉ライフ ❂
5/65

◇5『見澄ます』



 挿絵(By みてみん)

 


「良い色で描けたわ〜!」


 と自信いっぱいに胸を張って投稿したとしても、必ず頭につくのが『自分から見れば』……

 誰かに何かを伝えたいな、と思ったとき。

 誰かに自分の絵を伝えたいな、と思ったときに【タイトル+色+登場物=伝えたい】に出来ているだろうか? と完成作品を見て考えると、自分でもどうしてそういう風にしたんだろうかと謎なときがある。「なんで四つ葉のクローバー描いたんだろ」って。ただ思い浮かんだってのが理由なんですが、


「些細なこともよおく見れば嬉しい発見があるものだ、それを伝えたかったんです。」


 と後付すればそれっぽく感じる。……今回は、理由を上手く付け足せという話をしたかったわけじゃないのです。伝えたいことがあって伝えたいことを伝えられるように伝えたか――それについて吐き出したかったのであります。文章だと、「丁寧に書いたか」でしょうか? 絵も丁寧に描いてますが、人の顔って「∵」コレでもなんとかなるもので、如何に人間または動物または生物にしていくか……描きたい目にするか。


 丁寧って、自分以外の人に伝わりやすくすることだと思っているのですが、描きたい目を描いたとして最低限の目になっているかどうか――

 

「二羽の鳥の頭に見える」


 となったら、目ですらなくなってしまうんですよね。そうすると、自分は何を描きたかったのか、何を伝えたかったのか、仕舞にはやっぱり自分は下手くそなんだなのネガティブな気持ちに囚われてそれ以上考えられなくなってしまうのであります。

 もしかしたら、自分の丁寧さが欠けていただけの話なのに、見る側のせいにして「読者の理解力が低いから」とか「ちゃんと読めよな毒者」となる自分勝手な作者になってしまうかもしれないのです。


 だから、よく見よう。よく観察しよう。

 そして描いているときの自分の気持ちを振り返ろう。


 たまに創作することが怖くなってしまうのであります。私は傲慢な作者になっていないだろうか、と。


 

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