卒業
お父さん! お母さん! 助けて!
少女は泣き叫び、その小さな手を伸ばすが、彼女の両親はその声に一切耳を傾けない。ただ笑いながら、少女の弟と楽しそうに笑いあっている。
少女は『救世の巫女』としての運命を見出されたのだ。
少女は見知らぬ大人たちに腕を掴まれ、家から連れ出される。それは平穏な日常から、過酷な非日常に連れ出されることを意味していた――
――夢か……
少女は目を覚ます。懐かしい夢だった。自分が連れてこられるときの夢だ。
少女が非日常の中に放り込まれてから、10年が経った。
少女は――アヤカは16歳になった。もう両親や弟のことは思い出せない。自分の苗字すらも。
――さあ、早く学園に行こう……
彼女にとっての非日常が日常に置き換わってから10年、大変なのは変わらないけど、もう慣れた。
アヤカはとにかく何も考えないようにしている。
「おはよう、アヤカちゃん。今日は早起きだね」
「おはよう、エミちゃん。今から着替えるから」
親友のエミが、アヤカを起こしにやってきた。アヤカは急いで学園の制服に着替える。
「お待たせ」
アヤカとエミは寮を出て、学園の食堂に向かった。
アヤカとエミの通う『学園』は伊山市の地下に作られた広大な教育施設だ。彼女たちが住まう寮も、これから向かう食堂も、毎日厳しい授業が行われる校舎も、あらゆる施設がこの学園内にある。天井は無数のライトによって照らされ、地上と同じように生活ができる。
学園では、『邪神』の脅威から世界を守る『救世の巫女』を育成している。
「おはよう、アヤカさん、エミさん」
「おはよう、イオナさん」
食堂に先に来ていた、同じ5組のクラスメイトで学級委員長のイオナに挨拶をして、アヤカとエミは朝食の日替わり定食を注文する。食事は『学園』での生活の中では数少ない楽しみだ。
「いただきます」
「いただきます」
いつも通り、静かに朝食を食べる。食堂で騒げば、先生たちから厳しい『指導』が入る。それだけは何としても避けたい。指導が入るのは授業の時だけで十分だ。
「そういえば、購買部にパフェが入ったらしいわよ」
「そうなんだ」
「うん。放課後一緒に食べに行こうね」
楽しそうに話すエミとは対象的に、アヤカは静かに朝食をとる。
エミはいつも楽しそうだ。こんな過酷な環境下にあっても。アヤカはそんな笑みが少し羨ましかった。
――なんでエミちゃんは楽しそうなんだろう? 私たちは消える運命にあるのに……
――まあ、考えてもしょうがないか
アヤカは考えるのをやめた。
「アヤカ、エミ、おはよう……」
食べていると、同じクラスのオリコが話しかけてきた。
いつもと違ってテンションが低い。
「おはよう。どうしたの、オリコちゃん?」
「ああ……噂なんだけど、審判の日が来週になりそうなんだ……」
オリコは沈んだ声で話す。予言班のオリコには、情報が入りやすい。この情報も確かだろう。邪神が一斉に侵攻してくるといわれる、審判の日が近づいているのだ。
「そうなんだ……それじゃあもう卒業ね……」
「残念だなあ……もう終わりなんだ……」
アヤカは安堵の声を漏らす。これで、過酷な日常が終わる。
エミは残念がっているが、アヤカはこれで良かったと思っている。
「くそ! 何が卒業だ! 死んでしまうのと同じじゃないか!」
「オリコちゃん……あんまり騒ぐと……」
「知るか! 嫌だ……まだ死にたくない……ぐわあああああ!」
オリコが大きな声で叫ぶと、彼女は気を失った。
『導きの腕輪』による懲罰だ。強烈な痛みを全身に与えるものだ。
「まったく……オリコさんも懲りないわね……」
導きの腕輪を起動させてオリコを気絶させたのは、学級委員長のイオナだった。
朝食を食べ終えたイオナは気絶したオリコを抱えると、食堂を後にした。
「……私たちも行こうか?」
「そうだね。ごちそうさま」
学園の『朝の会』では、教師からその日の授業についての説明が行われる。だが今日は、それ以外に重大な発表があった。
「審判の日が来週になる可能性が高くなった……お前たちもいよいよ卒業だ。だが怠けることなく、より一層真面目に授業に取り組むように」
5組担任の佳奈先生が厳しい口調で言う。
オリコの持ってきた情報は本当だった。
――卒業かあ……
救世の巫女としての力をつけるための『授業』の準備を進めながら、アヤカは考える。
つまり消滅だ。
誰が最初に言ったのか、審判の日で消滅することを『卒業』と呼んでいる。
浄化班のアヤカは最前線に向かうことになるだろう。
――たぶん壁班の次くらいに消えるのかな……
授業の内容は毎回厳しい。
浄化班であるアヤカは、ノルマの『霊力』を出せなければ容赦なく導きの腕輪によって制裁が下る。毎回プレッシャーとの戦いだ。だがそれも、来週で終わる。
最初はアヤカも、ノルマの霊力を出せずに何度も気絶した。だが学園に連れてこられて10年が経ち、アヤカも安定して高い霊力を出せるようになった。
それでも導きの腕輪による制裁は怖いが。
でも、もう制裁に怯えることもない。
卒業してしまえば、全て終わりだ。
その後のことは……考えない。
考えちゃいけない。
――審判の日までは、エミちゃんと楽しく過ごそう
そう決意して、アヤカは授業に意識を向けた。