57 動き始める世界
王都テストラから北に数百キロ
外縁を雪化粧を施された山々に囲まれ
緑豊かな平原に聳える白く輝く石造りの城壁に覆われた
山々の間から流れ落ちる巨大な滝により都を跨ぐ様に虹がかかる
皇都ノヴァス
その中央に聳える荘厳なる装飾を施された大教会
ノヴァ教会総本山、ノヴァ大聖堂
神々しい壁画、天井画、ステンドグラスが張り巡らされ
中央広間には数多くの巡礼者、旅人観光客で賑わっている
上層の輝かしい賑わいとは打って変り
その遥か地下深く無機質な光源に照らされた部屋の中
大型の装置を前に、教会のローブを纏い
フードを目深に被る小柄な少女が一人
「はい、テストラより教会の司教以上の役者は全て
コードΩ発動前に退去が完了しております」
少女は抑揚のない声で、淡々と装置に語り掛ける
『それは何よりです、貴女も無事の帰還を喜ばしく思います
生存者達の反応はどうですか?』
装置からは落ち着きある女性の声が発せられる
「都市封鎖前に逃れたと見られる市民を主とする
王都関係者が、四方の都市や村に
難民として逃れている様ですが
現状、事の全容を理解している者は現れて居りません」
『分かりました、彼等には各国の教会を通じて
手厚い保護・支援を行うよう、伝えて下さい』
「はい、既に各教会へ通達を発しております」
『流石ですね』
「次に関して、判断を仰ぎたい報告があります」
少女が僅かな間を空けて続ける
『貴女がその様な物言いをするとは、珍しいですね
どうしましたか?』
「アルド公国に流れ着いた避難民の者達が
道中立ち寄ったアール村という小さな村にて
神の慈悲を受けた、と次々に口にしているそうです」
『それは長時間の心身衰弱による
一時的な錯乱ではないのですか?』
「いえ、それが証言内容が随分と詳細かつ具体的に
多くの者の証言が一致しております
天を貫き山を砕く程の神の雷の威光を示し
そして無から食糧を産み出す奇跡の慈悲を見せた、と
抽象的な表現とも取れますが、
避難民が持ち込んだ残留食糧を公国の教会で鑑定した所
高度に効率化された保存食の類である事が分かりました」
『...他にもそれに関して情報はありますか?』
「証言内容を掘り下げた所、その神は自身を
かの従属神が一柱、プロメテウスと名乗ったと
これも複数の証言により完全に一致しております」
『...』
装置からの返事は無い
「加えてもう一点、先の件との因果関係はまだ不明ですが
王都から隔離を逃れた、かの終末の魔物と思われる魔物群が
王都西方のバルザックへ侵攻していた所
冒険者と見られる3人組により殲滅されたとの報が御座います」
『それは確かですか?』
「はい、以前終末の魔物に関して共有して頂いた情報から
報告にあった魔物の特徴は完全に一致しております
恐らくインファント級と思われます」
『分かりました、その件については引き続き調査を進めて下さい』
「はい、了解しました」
その抑揚のない言葉から、感情を読み取る事は出来ないが
装置越しに少女がかしずく動作をもって
相手に対し畏敬の示す
『終末の扉が再び人の手により開かれてしまいました...
残された時間はもう残り僅かです
終末を告げる悪魔達が再び、地獄の門より溢れ出して来るでしょう』
「神々の時代に終焉を齎したと言われる
悪魔はそれ程という事ですね
警戒レベルを最大まで引き上げます。
各国首脳陣への影響力を厳に強化致します
技術供与の制限についても段階を引き上げ
各国の兵器開発の促進を促します
よろしいでしょうか?」
『よしなに
あわせて変異種の粛清も抜かりなく、早急に頼みますよ
これより我々は次の100年の間に可能な限り備えなければならぬ時
万が一にもそれを脅かす存在を放置してはなりません』
「既に1体、都市国家デンゼルにて変異種を確認しております
しかし、かの国は教会の影響力を強く懸念しており
大規模な聖騎士隊を送り込む事が不能です
その為、早急に私自ら赴き
早急に目標を排除してまいります」
『頼みましたよ、聖少女アリスよ』
「了解しました、神よ」
少女が再びその場に跪くと、装置は停止する
それを見届けると少女は振り返り
上層へと続く大理石で築かれた階段を登り始める
程なくして階段の先に綺麗な装飾を施された扉が現れ
その扉をくぐると、煌びやかな中央広間へと繋がっていた
ドアのすぐ横に控える神官より更に上位の司教の服を纏った男が
出てきた少女に傅くと少女が静かに告げる
「神託は下りました...
わたくしはデンゼルへ巡教へと参ります
馬車を1台用意して下さい」
「はいっ!直ちに用意させます、聖少女様」
司教が目を配らせると、瞬時にそれに反応し
少女の四方を4人の神官が囲み、ゆっくりと歩み始める
その様子に気づいた巡礼者等が跪き列を作り
観光者等が思い思いの声を上げる
「おぉ...聖少女様が神託の祭壇より出てこられたっ!」
「なんと清いお姿じゃ...」
「あれが神の声を聞くと言う聖少女様か...」
少女がそっとフードを外すと
中からは艶のある淡紫色の前髪は緩いVの字を描くように整えられ
後ろ髪も綺麗に首元で揃えられた所謂おかっぱ頭の少女が顔を現す
その目は紅玉の様に赤く、その顔はまるで
理想を求め造形された人形の如く完璧な少女であった
余りの清純とした顔立ちに一同皆一瞬言葉を失う
「皆に神の加護あらん事を」
少女が口元にまるで慈母の様な僅かな微笑を浮かべ一言告げ
群集の合間をゆっくりと抜け、大聖堂を後にする
巡礼者の中には涙を流し拝み少女を見送り拝み続け
教徒ではない観光の者まで余りの事に言葉を失い立ち続けた
そして大聖堂からやや距離を空け、再び少女がフードを被ると
そこから覗かせる瞳は先程とはまるで異なり
冷淡なものへと変わっていた
「神の存在無くして、その存在すらし得なかったと言うのに
愚かなる生命体...再び神の意思を無視し
また自ら世界を巻き込み滅ぼそうとは
救えない...」
少女が一人、周囲の神官にも聞こえぬ程の声で呟く