1.戌堂倫太郎 -3
「どうしよう……」
私は悩んでいた。
「うーん……」
目の前には土管。これはいつもの風景だ。
目の前には土鍋。これはおかしい。
「そもそもこれって一人前なの? 蟹とか入ってるけど柚月お小遣いの範囲内でやってるの!? 大丈夫!? 私そろそろ給食費的なもの支払った方がいいんじゃないの!?」
帰宅時に追加で持たされた長い棒を振りかざしながら、私は月に向かって叫んだ。
長い棒には『手延べうどん』と記載されている。〆のうどんだ。
「柚月絶対いい嫁になるわ!」
もう難しい事考えないでカニ鍋食べよ! でもガスコンロこの前の台風で壊しちゃったんだよね! まぁいいや! 私は土鍋の下に新聞紙を丸めて、マッチを擦ろうとした。
こんこん。
ん、何だこのノック音
こんこん。
土管叩かれてる。
こんこん。
まさか、私がこの土管の中で焚き火しようとしたのがバレたの?
お巡りさん!? 近所の人に通報された!?
そう言えば最近周辺住民の視線が痛い! 特に奥様方の!
あぁあ……父さん、母さん。
二人の仇を討つ前に塀の中に入っちゃいそうなんですけど。
「カシハラさんのお宅はこちらですか?」
「ん?」
子供のような声だった。
「おとどけものです」
「は……?」
お届けモノ? 土管に?
そもそもココに私の住所あるの?
不審過ぎる訪問に、私は思わず土管から顔を覗かせた。
「カシハラヤス?」
外に居たのは、小学生。それも低学年くらいの男の子だった。
こんな夜に何でまた。迷子? っていうかヤスって、ひょっとして私の事か?
「名前途中で切らないでくれる? 私の名前は柏原ヤスリなんですけど」
「ヤス……?」
「やす・り!」
「り!」
「そう!」
「ヤス!」
「なんでそうなる!!? っていうか誰? 何でここ来たの?」
夜に子供が一人で歩くな! 矢継ぎ早に質問すると、一瞬きょとんとした少年は私の目をまっすぐ見ながら答えた。
「オレの名前はクロ。で、ここに来た理由は……」
喋っている最中に少年の腹が鳴った。
「……ヤスの所に来ればお腹いっぱいご飯が食べれると聞いて」
成程、腹が減っているのか、少年。
だが、あえて言わせてもらおう
「それは悪質なデマだよ」
「デマ!!?」
「そんな戯言に惑わされて、遠路はるばるご苦労様。さぁお家に帰ろっか」
「…………」
「家はどこ?」
「知らない……」
「じゃあ警察行くか。迷子君」
「それは! ……ちょっと、困る」
「困るって……私も困るよ。アンタと全然関係ないし」
「関係あるよ。だってヤスはオレのザネリだから」
「お前がクロウのザネリだと?」
別の声が聞こえた。低い男の声だ。
「誰?」
振り向くと、男は突然に現れていた。
隣に綺麗な女の子を従えて。
「柏原八里」
男が私の名前を呼ぶ。正確な発音を唇に乗せて。
「は? 何で私の名前知ってるの?」
何、コイツ。不快感が喉にせり上がる。
「誰よアンタ。そんな小さな女の子連れて。ロリコン?
それに、一方的にこっちの名前だけ知られてるとか気持ち悪いんだけど」
「俺は、戌堂倫太郎。知らなくとも、良い名だとは思うけどな」
風が舞った。ふわりと私の前髪を攫い、かまいたちのように先端数ミリが切断される。
「なに……」
「ヤス!」
クロが私を庇うように前に出た。
「倫太郎、下がって」
男の後ろに居た少女も、いつの間にかクロの前に立っている。
「さぁ、戦おうか。柏原八里」
風圧が再び私の髪を躍らせた。
「っ!」
「ヤスにさわるな」
その軌道をクロの小さな手が握り込む。
パリッと静電気のように空気が弾かれ、薄笑いを浮かべる男の前で散る。
「クク……」
青白い光の中で戌堂倫太郎が宣言した。
「さぁ、バトルの時間だ」
*
「アゲハ、風を撒け」
周囲の気圧が下がった気配がする。それから、クロの周りの空気が一気に弾けた。
「あだだっ」
小石のつぶてが私の方まで飛んで身体を叩く。
「いただ! 何してんのよアンタ達!」
「ヤスは離れてて!」
クロが女の子の方に向かって走る。
彼女の襟首を掴もうとした瞬間、厚い空気の壁に指先を弾かれた。
「クッ」
パリッと青白い電気が壁を伝う。
「……避ける」
呟いた少女が風を受けながら一歩下がる。
「避けろ、アゲハ!」
戌堂の声と共に、先程まで彼女が居た場所から火花が散った。その火花の先にはクロが居る。煌々と照らされた瞳が、赤く輝く。
「……」
「ほう、能力は炎か。だが!」
分析が完了したと言わんばかりに戌堂が叫んだ。
「こちらの方が上だ!」
少女が頷き、クロとの間合いを詰める。
「やれ、アゲハ」
圧縮された空気が、クロの身体に叩きつけられた。
「クロ!」
小さな体が飛ぶ。鈍い音を立てて、遠くの地面に落ちた。
「ぐ…………っ」
「クロっ! クロッ!!」
……何なんだ、この光景は。
私の目の前で年端もいかない子供達が戦っている。
「ヤス、指示を出して……」
「指示……?」
どうしてこんな事になってるんだろう。
「オレ、戦うから、ヤス、指示を……」
「はははははは!」
か細くなったクロの声をかき消すような笑い声が響いた。
「ははは! 大した事ないな! クロ! まぁ、所詮は出来損ないのガラクタ人形って事か! なぁ!」
そうか、コイツのせいか。
この、何もしない癖に口だけ達者な男のせいか。
「……ヤス?」
「ぁ……」
クロと少女の声が同時にあがる。だがもう遅い。
私は柚月からもらった晩ご飯セット、ちゃんこ鍋がたっぷり入った土鍋を目の前の男に向かってフルスィングした。
「ゴバァッ!!!?」
「バトルだかサドルだか知らないけど、子供を戦わせるなんて最っっ低!!」
蟹汁が飛ぶのもお構いなしに、もう一度戌堂を殴る。
「戦いたいなら正々堂々と!」
もう一度。
「お前が!」
更にもう一度。
「戦え!!!」
最後にもう一度おもいっきり土鍋で殴り付けた。
「グゥッ……なんだこれは……しょっぱい……だが、出汁がきいて……カニ……ミソ……?」
「倫太郎、それ、カニのミソじゃない。病院行った方がいい」
「そう…か……意識が……」
アゲハちゃんから告げられた『病院』の一言に安らかな笑みを浮かべ、戌堂倫太郎はその場に倒れた。
「はぁ…はぁ……悪は潰えた!!」
「ヤス、すごい……」
「りんたろう、いきてる?」
「……死んでる」
「回収していいですか、かしはらさん」
「いいよ」
「おのれ、柏原八里……次に会った時こそ貴様の命日だ……と……」
「二度と会いたくないわ! ちゃんこ鍋弁償しろ!!」
「すみません」
戌堂を地べたに放ったアゲハちゃんは、私達に大きくお辞儀をした。
そして、完璧に意識が落ちた戌堂のジャケットをごそごそと漁ると、財布から万札を1枚抜き取って私の方へ差し出した。
「本日のお詫びです」
「え!?いいの!!?」
「貴女に借りは作りたくないの」
もう一度私に向かって頭を下げ、戌堂に肩を貸す。それから私と、クロの方を見て言った。
「次は負けないから」
「二人ともやっと行ったね……ヤス、話しておきたい事があるんだ。実はオレ、屍人形っていう」
「ふくざわ!ふくざわ!!」
私は目の前の大金に夢中だった。
「……あの、話、聞いてくれない?」
「クロぉ、ふくざわさんだ! ふくざわさんだよ! ふくざわさんがあれば何でもできるんだよ!!おおぉ……」
涙で目の前がにじんだ。
あぁ、この御方の顔を拝見するのは何年ぶりだろうか。きっと私が幼い頃、大きなおうちに住んでいた頃だったら風呂に浮かべていたのかもしれない。そう、バスソルト的なものだ。バスマネー。かっこいい。
私は染みも皺も汚れも無いピンとしたお札の匂いを嗅いだ。あぁ……癒しの香り、ふくざわなんきち。
「ヤス、多分その名前違う」
「クロも嗅ぐぅ?」
「ふぎゃっ! いらない! ちょっと、あの、今の事とか、これからの事について説明したいんだけど」
「晩ご飯何たべよう! お寿司かな! ステーキかな! あ、でもその前に土鍋割っちゃったから新しいの買って柚月に返さなきゃ。ねぇ、クロ」
「…………」
「土鍋っていくらかな」
私はパッカリと割れた土鍋をクロに見せた。見事に二つだ。
「土鍋、割れる勢いで殴ったんだ……」
「うん! 叩いたら福沢さん出た」
「死ななくて良かったね。」
「うん?」
「死んだら前科一犯になるんじゃない、死ななくても暴行罪だけど」
「!!?」
ぜんか、いっぱん……その言葉の重みは割れた土鍋よりも重かった。
また父さんと母さんの仇を討つ前に塀の中に入る可能性が生まれていた。
この世は危険に満ちてるな。素行に気をつけよう。
「だからね、バトルはオレ達『屍人形』に任せて」
「う、うん!」
私は福沢氏を胸に抱いておもいっきり頷いた。
……ん?さっきから聞き慣れない言葉があるような。
「クロ。ところで、その『屍人形』って、なに?」