1.戌堂倫太郎 -1
闇の向こうから携帯アラームの音がする。
「んが……」
目蓋が開かない。まるでボンドで張りついているみたい。
目を開こうとすると上下の皮膚が突っ張るのだ。
だから頭の脇、右耳の真横にあるであろう携帯に手を伸ばす。
ゴツン、とコンクリートにぶつかった。あいたた。
やっぱ土管は狭いわ。
小さな四角に手が届く頃には薄目が開いていて、
私は眠り足りない左目を瞑りながら、液晶を眺めた。
「7時00分……すぬーず、しますよぉ」
浮かぶ質問に『はい』と答えて私は再び両蓋を閉じた。
それにしても土管は快適だ。
触るとひんやりして、頑丈。風通しも良い。
強いて難を上げるとすれば、それは冬季に死を覚悟しなければならないという事であろう。
何せ、この町の平均積雪量は1m50だ。確実に死ぬ。
……と、するならば冬はどこに住めば良いだろうか。
家賃が安くて快適に住める所。希望の金額は0円。
タダより高いものは無いと言うが、かと言って安いものも無い。
ならば私は安さに挑戦させて頂く。
あれだ、かまくらだ。かまくらに住もう。
などとうつらうつら考えていると、再び携帯が鳴った。
「す……すぬーずぅ……」
「スヌーズきゃっか!」
土管の穴の向こうから声がした。
顎を反らして見上げると、柚月がひょっこりと顔を覗かせていた。
「やすりちゃん、そろそろ起きないと遅刻だよ」
まぁるく切り取られた明るい外では、柚木のポニーテールが揺れていた。
いや、ポニーとというには凝縮され過ぎている。コーギーテールとも名付けるべきか。そんな尻尾がふよふよと揺れていた。
「誰だ……この私の眠りを妨げる者は……」
「ラスボス風に言ってもダメ! 早く顔洗ってきな。あ、洗濯物ここに置いとくからね」
「ぬあぁぁぁぁ……」
「朝ごはんのサンドイッチだよぉ」
「あああサンキュゆゆ、柚月ちゃん」
フンヌゥゥと叫びながら土管からスポーンと抜け出る。
「ふぎゃっ!!」
驚いた柚月がぺたんと尻餅をついた。
短いスカートの奥の白いパンツと、朝の輝かしい太陽が眩しい。
私の視線に気付いた柚月がスカートを引いて下着を隠す。
責めるように見上げているけど、顔が真っ赤だから余計可愛い。
「人のパンツなんか見てないで、さっさと支度する! ボクまで遅刻しちゃう」
「はいはい。もー、柚月は可愛いんだからぁー」
柚月が持ってきてくれた着替え入りの紙袋を掴んで再び土管にスポーンする。いやー朝からイイモン見たわ。
やっぱ柚月は可愛いわー。
女装男子だけど。
しかし、パンツはよくチラリするけどチンはチラリとしないんだよね。めっちゃ布少ないのに。
あれどういう構造なんだろう。
いつかチラリするのが見れるんじゃないかと、パンチラする度に股間を凝視するのだが中々決定的瞬間には立ち会う事ができなかった。
「早く支度しなよー。もう8時過ぎてるんだから」
私は柚月のチンチラに思いを馳せながら制服のリボンを結んだ。
「はいはーい。ぽろぽろポロリィ、チンポロリィ」
「え。何か今歌っただろ!!!?」
「ウタッテナイヨォ」
「まったく……」
柚木の溜息は土管に遮られて聞こえなかった。……ら良かったのになぁと思った。
めっちゃ聞こえた。
柏原八里の人間性全てを否定するような盛大な溜息が。
「ふんふふー、やすりのやーはやるときゃやる子おー」
聞こえないフリをして即興の歌を歌い続けた。
「ねぇ、やすりちゃん」
土管をくぐった私の横で、細く整えた柚木の眉が困ったみたいに下がっていた。
「いつまで『ココ』に居るの?」
「…………」
「もし、もしやすりちゃんが良かったら、またボクの家に……」
「ダメ」
有難い言葉だけど、遮る。
「私、やる事があるの。それが終わるまで他人に頼らないって決めたんだ……だから、毎食持ってきてくれたり、世話なんか焼いてくれなくていいんだよ」
「いいのいいの、ボクが好きでやってるんだから」
スープポットを渡される。
「やすりちゃんが美味しいって言ってくれるのが幸せなんだ」
蓋を開けるとやわらかい湯気がほっこりとあがった。