向日葵の病室②
「私は今でもどうして手話であなたと接してると思う?」
いや、分からない、正直、僕は疑問にもしなかった。向日葵とは手話という動作を覚えることで、付き合えるきっかけにしただけで、僕と手話で会話してることに違和感こそあれ、疑問には思わなかった。
「ごめん、分からない。」
「私はそんな会社にはいる必要ないんじゃないかな?って思うよ。」
「じゃあどうしろと?」
僕は自分の意思表明を曲げられた感覚で少し腹が立った。
向日葵の手話はそれ自体出来る人が限られている現在において、恐らく世界一の意思表現の美しさ、動作的な意味での繊細な動きだろうと思う。
この動きはその想いを乗せながら、相手に伝えるという点で今でもAIやロボットにはできない聴覚障害の人間の賜物ではないだろうか。
向日葵の手の綺麗さも含めて、お世辞ではなく、そうだと思う。
「それを考えるのが、脱ゆとり失敗世代のリベンジなんじゃないの?」
「脱ゆとり失敗は気に触るな。」
向日葵は同い年なくせに、僕を脱ゆとり失敗世代とよく言う。彼女曰く人工知能と並存して生きる若者のことを言っているんだろう。
僕はまた来るよと伝えて、病室を後にした。
次の日は会社が休みだったため、部屋に篭り、自分の今後を考えていた。
もちろん、今、何が起きているのか?それを含めて、自分の進退を。