甘そうな名前ですね
バイトが休みの日は、自分の部屋の中にいることが多い。多いけれど、平日の昼間は専門に通う私。そんな私には天敵がいた。私の顔を見るとすぐにダッシュをしてくる奴がいる。見向きのしない私に構って欲しいのか、もしくは何をもって近付いて来るのかは分からないけれど、あいつがいるせいで静かで優しい日常はファミレスか、家の中だけということになってしまった。
あいつがいるせいで私は普通を満喫できない。だからきっと、この時すでに決めていたんだと思う。
そしてこの日もそいつは私に堂々と近付いて来ている。普通だったら女子の友達と話でもしていればいいのだけれど、私は友達がいなかった。一人でいることが寂しいと思われるのは決して、気分のいいものではないと断言できる。
「桃華ちゃん~今日もかわゆす!」
「……そうだね。だけど、そうやって悪気も無く肩に触れて来るのはどういうつもり?」
「スキンシップ! 冷たい事言うね。同期だよ? 俺」
「拒んでるのを触れて来てるから、あなたはいずれ捕まるけどね」
専門の同期が何だというのだろうか。たかが、一緒の時期に入学しただけのこと。それでも、憂鬱なコイツとの関係ももうすぐ終えることが出来る。だから今日は少しだけ機嫌よく対応出来た。
「同期のあなた、ずっといるんでしょ?」
「もち! 道を究めるために入ったわけだから。桃華ちゃんが近くにいるってだけで頑張れます!」
「……それはそれは、良かったね? それじゃ、さよなら」
「おう! 明日もよろしく~~」
うん、明日は誰にでも訪れるよね。だけど、私とあなたが再び会う明日は訪れないけれど。ファミレスでバイトをする方がマシと思う私にとって、忙しすぎる専門は体にも心にも合わなくて、今日で退学してしまった。もちろん同期の男が原因ではなくて、フリーターを頑張りたいってずっと思っていたから。
専門をあっさりやめた日の夜、私にとって平穏なバイト先へ来ていたはずだったのに、平穏は常にそのままでいられるとは限らない。そんな時間が待っていた。
「深瀬、オーダーって言ってくれ」
「……は? お客さん、いませんけど」
「頼む、言うだけでいいから!」
客がいない静かなホールと厨房付近。未だに名前を思い出すことが出来ない彼から、マニアックなことを言われてしまう。変な事を言われたなと思いつつも、彼にとってはオーダーと言われるのが快感なのかもしれない。そう思って呼んであげた。
「……オーダー」
「よし来た! 注文受けたから、言うぞ!」
「何を?」
「俺、圭希だから。覚えてくれないかな? 浦圭希! 深瀬からのオーダーは、確かに承った! よろしく、深瀬」
「ケーキ? 甘そうな名前ですね。好きだから覚えます」
「えっ? す、好き!?」
「はい、甘い物好きなんです。それじゃあ私この時間を利用して、お手洗いを掃除して来ます」
「はぁ~~~っんだよ。勘違いさせんなよ、マジで」
ケーキさんが何かを言いながら項垂れていたようだけれど、そんな可愛い名前ならもっと早くに覚えていたのに、実は教えてくれていなかったのだろうか。それでも覚えたからチャラってことで許して欲しい。
「ケーキさん、オーダーです。ショートなケーキ2つ!」
「お前、わざとだろ?」
「いえ、本当です」
「……分かった。少し、待ってて」
冷蔵庫からショートなケーキを出し、お皿に乗せてほんの少しの可愛げなおまけを添えて、私に持って行ってと手渡すケーキさん。その表情は何となく嬉しそうだった。美味しくて甘い物が好きな人に悪い人はいない。そう思っていたら、自然と笑顔になっていて私の顔を見ていた彼も笑顔を返していた。
「……何か?」
「い、いや、何でもない」
今日の収穫は、ようやく厨房の彼の名前を覚えられたこと。予想よりも甘そうな名前だったのが良かったのかもしれない。
今日のこの日以降は、頻繁に彼の名前を呼ぶようになっていくような、そんな気さえしていた。