⑤ プライド
翌日、模試の三教科が午前中で終わり、昼休みになった。
担任の横暴な、「いいか、必ず、男女混合で食べろ。男女比はどうでも構わない。とにかく一人でも混ぜろ。」という命令で、弁当は机をつけて、グループで食べなくてはならない。いったいなぜそんなことを、と問うものもいたが「伝統だ」の一言で片づけられ、とにかく従わなければならないようだった。
もとより、田舎の進学校に入学してきた『もやし』ぞろいの人間の中に、教師に楯突くほど元気の余ったものないようはずもない。
女子5人に男子一人が混ざっていたり、男子6人女子6人の大所帯になってしまったり。こんなことならいっその事、教室全体で円を作ったほうが早いのでは、と思うところだが、皆、ぐずぐずと文句を言いながら、さりとて、少し楽しそうな、照れたような様子で、いそいそとグループを作っていた。
彩羽たちは、「まあ、これも、何かの縁でしょう」とおばさんのいうような言葉とともに麻友が仕切り、正人と三人で机をつけることになった。
「ねえ、ヨシザワッチ」麻友が正人に呼びかけた。麻友は正人のことをそう呼ぶと決めたようだった。
麻友は、
「この前の、あの美少女、北上さん、あの時、ボランティアって言ってたよね。何の活動してるんだろう」と尋ねた。そして続けて、
「ちょっと、興味があってね、ボランティア活動」といった。
彩羽は麻友が「プライドの持てるものを探したい」と言っていた言葉を思い出した。麻友は休まず前へ進むタイプなんだ、と彩羽は思った。
「ゴミ屋敷だよ」正人は答えた。
「ゴミ屋敷って?」思わず彩羽も声を上げ、麻友とハモってしまい顔を見合わせて笑った。彩羽はソプラノ、麻友はアルト。
「うん」正人は美少女の話になると、もごもごせずに、しゃべる。
「以前はお父さんの選挙活動の一環として、お母さんに連れられて一緒に回るだけだったらしいんだけど、彼女、数年前にお母さんが亡くなってから、自分の力でグループ立ち上げてやってるんだ。ゴミ屋敷を回って、そこの人と話をするんだって」
「話をするの?片づけるんじゃなくて?」
正人はうなずくと、箸で卵焼きをつまみながら、
「まず、話をしなくちゃいけないって。ほかの人にはゴミに見えてもその人にとっては違うからって。捨てられない理由があるからって。まず信用してもらうために話をしに、何回も、何か月もかけて時には何年も会いにいかないといけないんだって」
へえ、とまた彩羽と麻友はハモってしまった。
「解消されたゴミ屋敷もあるし、全然進まないものもあるけど、少しでも、そこの住人の気持ちが落ち着けばそれでいいんだって」
またへえ、と麻友と声をそろえながら彩羽は思った。凄すぎる、同い年で、そこまで深く考えることができるなんて、と。
三人はしばらく黙って黙々と食事をしたが、ふと、麻友が
「好きなんでしょ?」
といった。
「ヨシザワッチ、彼女のことが」
ちょっと、麻友ちゃん、と彩羽は麻友をたしなめた。
それは彩羽も感じていたことだが、麻友の遠慮のないもの言いに正人が不快を感じるのではないかと彩羽はやきもきした。
「だって、あたしが男なら、好きになる。あんなにきれいで聡明で」
と麻友は続けた。
しばらく沈黙が続いた。
「うん」正人は、はっきりといった。
そして、
「俺、医者になりたいんだ」と続けた。脈絡のない進路希望の話に、女子二人は戸惑いながら、正人の次の言葉を待った。
「俺の家、父親が小学6年の時亡くなって母子家庭なんだ。医者になりたいのはもちろん父親の病気のこともある、同じ病気の人を助けたいって気持ちもある。でもそれだけじゃない」
正人は手にしていた箸をおき、いったん食べるのを止め、言葉を選んだ。
「同じ高さに行きたいんだ。今は違いすぎるから」
そしてまた箸をとって食べ始めた。
「同じ………高さって?」
彩羽がその時思ったのはまず身長のことで、確かに今の段階では美少女のほうが正人より少し高いかもね、という間抜けな発想だった。
正人は最後に一口を食べ終えたところで、箸をおいて、いつものぼそぼそした声とは違うしっかりした声で言った。
「緑ヶ丘にいたころから、俺が北上さんに憧れてるのは周囲にバレバレだった。そんな中で俺は言われたことがある『お前と北上じゃ違いすぎる』って。誰にだと思う。教師だよ。俺の父親が亡くなってすぐのことだった。…………正直、そうだろう、と思う。片やいずれ総理大臣を輩出しようかという家柄の一族の一員と、授業料免除の申請をするような母子家庭の子供じゃあね」
正人は一息ついた。
「でも、もし、医者になれたら、どうだろう。俺個人としては同じ高さに行けるんじゃないかと思ってる。もちろん、それで………いつか、結婚できるとか、そんなんじゃない、相手の気持ちのこともあるし………ただ、人間として、人間の価値として、あの人と同じ高さに行きたい。俺は」
そこまで言うと、ふっと、いつもの正人に戻ったように、顔を伏せ、もそもそと空になった弁当を不器用な手つきで包み、しまい始めた。
「ヨシザワッチ!」麻友が大きな声でそう言って、そのガタイのいい体の腕を振り上げ、正人の肩をたたいたので、教室中が振り返った。麻友は続けた。
「あたし、あんたを尊敬する!応援するよ!」
弁当を食べ終えた、残りの昼休み、ゆっくり休む間もなく、午後の英語の小テストのための単語を覚えながら、麻友は
「ねえ、ヨシザワッチ、彼女に連絡取れない?」と言った。
「え?」どうして?と正人が目で問いかけながら、麻友を見た。
「ボランティア。あたしも手伝わせてもらいたいなって思って」
「えっ、でも、麻友ちゃん………」彩羽は驚いて言った。麻友には部活もあった。毎日何かしらのテストの繰り返されるプレッシャーの中、まだ、『何か』を探そうとしているのだろうか、いぶかった。
「とれると思うよ、まだ連絡網の一覧は持ってるから」
正人は少し嬉しそうに言った。美少女に連絡を取る口実ができたことが彼の心を高揚させたのだった。
そして、そんな話をしているうちに午後の授業に時間となってしまい、彩羽は単語テストは散々な結果となった。