㉔恋の始まりの記憶
「あたしは北上代議士にさらに聞いたの、香織が言っていたことを。香織のお母さんを階段から突き落したのかって。そしたら、代議士は言ったのよ。『まさか。それは逆です』って」
「北上代議士は、あの日自分は書斎にいて、大きな音に部屋を出て見に行ったら、階段の下に夫人が倒れていて、階段の上に、香織がいた」
「『何があった』って香織に聞いたら、『ママが私の首を絞めて殺そうとした。振り払ったら、やめてくれたけど、そのあと、自分でよろけて落ちてしまった』と言ったのだと」
「以前から、香織のお母さんは、ストレスを自分のまわりにぶつける人だったって。そして、思うように劇団で活躍できなかったことを引きずっていて、香織は幼いころから、『将来、トップスターになるために』ってありとあらゆる習い事をさせられて、そのすべてで、優秀であることを要求されるという教育虐待を受けていたんだって言ったわ。そして、その香織のお母さんの死については、香織は首を絞められて振り払ったけど、お母さんはその衝撃で落ちたわけではなく、一度床に倒れて起き上がり、そのあと、後ろを見ずに後ずさったために足を踏み外して落ちたのだ、香織が落としたわけではない、というので、北上代議士は、香織がその時家にいなかったことにし、警察には事故で処理してもらったんだ、と言ったの。そして、
『ただ、今、考えてみると、あの子にとって、あれが最初に『やった』ことかもしれない』って。北上代議士は、警察が疑っていた通り香織が複数の殺人を犯していると思っているようだった。…………あたしはもうわけがわからなくなった。今まで、あたしの信じていたことが嘘ならあの日の香織の言ったことはすべて嘘だということなのかって」
「あの日に………言ったこと?」
「香織はそのお母さんが亡くなった日の出来事をあたしに告げた日に、あなただけを信じている、あなただけがいてくれればいいって言って………キスをしてくれたの。
………もちろんわたしにとって初めてのキスだった。それから二人で香織のベットに入った………。服を着たままよ。何をするでもなく、ただ香織が私の髪を撫でて、髪にキスをして。1時間ぐらいそうしていた。」
「………そして『これからゆっくり時間をかけて』って言って起き上がったの。その顔は………頬はピンク色に上気して、大きな瞳は湖みたいに潤んでいた………この世のものとは思えない美しさだった。………あたしはその顔を見て彼女を信じることができた。……………そして、香織はあたしに言ってくれたの、『私の大切な人だから』って。」
彩羽はあることに思い至った。麻友が少し大人びた様子で、『もしかしたら幸せなことかもしれない』と言ったあの日のことを。