⑳その闇
「家を出たあの日、自殺を試みたの。部屋で首をつってね」
彩羽は、を麻友のその言葉を聞いて驚きはしたが、すぐにあることに思い至った。昔訊いた、ある人からの言葉に、合点がいったのだった。
麻友は話し始めた。
「あの日、私も警察に連れて行かれて事情を聴かれたの。呼び出された母に付き添われてね。母はあたしが犯罪を犯したかもしれない人たちにかかわりを持ったことが、警察に呼ばれたことが、とんでもなく恥だと感じた。許せなかった。
…………警察での事情聴取が終わっって帰る時、母に言われたの。『あんたなんか生むんじゃなかった』って」
「それ以前にも母のそういう気持ちは感じていた。母は本当は子供はひとりだけにして、自分の仕事のキャリアを積みたかった。姉を産んだとき、ひどいつわりと難産で産後も体調が戻らなくて、周りの勧めもあって、産休に育休までとって、長く仕事を離れてしまった。やっと仕事に復帰っていうときに間違って私を妊娠したんだって。
……………小さいころ法事の席で酔っ払った親戚の人にいわれたことがある。あたしの妊娠が分かったとき『中絶したい』って言ってたって。『もうこれ以上休んだら、仕事にもどれなくなる』って。」
「あたしその時は意味が分らなくて、母に聞いたの。そしたら、『里佳子のために産んだのよ。里佳子が一人っ子じゃ、かわいそうだし。それに将来、私たちに介護が必要になるときも来るかもしれないでしょ』って。あたしは姉のために、そして介護の労働力として生かされたの。中絶されることを、殺されることを免れたのよ。」
「………あたしを産んだことで、母のキャリアは完全に断たれたの。うちは両親とも医者だったけど、あたしのときのつわりとお産は姉の時以上にひどくて、母は本当に死にかけたらしい。そして、産後の回復が悪くて、母はもう医師の仕事に復帰することはできなかった。」
「 ………あたしは、事情聴取の終わった後に母にその言葉を言われた時、何か外国語……聞きなれない言葉を耳にしたように感じて意味が取れなかった。何を言っているんだろうって一瞬考えて……でもそのすぐ後に、本当に頭を殴られたような感覚がして、その場にうずくまったの。………警察署を出るところだったから、母に『何やっているの、立ちなさい!』って怒鳴られて……。あたしはその時、その言葉で………昔、母に、本当に殺されかけたことを思い出したの。あたし自身忘れていたの………記憶に封をしていたといった方がいいのかもしれない。
…………小学校3年生の時だと思う。家に帰るなり、母に「麻友ちゃん、こっちにおいで」って言われたの。そんな優しい母を見たことがなかった。その頃の母はいつも暗い顔をしてうつむいてばかりだったから。………だからあたしは嬉しくて母のそばに行った。そしていきなり、首を素手でしめられてた。『あんたなんか生むんじゃなかった』って言われながら。
………気が付いたら、周りは水浸しで、だらだら汗を流した母があたしを見つめていた。今考えると、あたしは本当に死にかけて、自分のしたことが恐ろしくなっって、我にかえった母が、息を吹き返させようと、水をぶっかけるなりなんなりしたのかしらね………。そして、母はあたしを見つめて行ったの。『いいこと。このことはあなたが悪い子だからなの。忘れなさい』」