⑰温度差
「彩羽だ、彩羽がいるって思って、思わず声かけちゃった」
麻友はゴスロリ風の衣装を着けて彩羽の目の前に座り、涙をぬぐって言った。
「ホント、よくあたしだってわかったね、今まで知り合い見つけて隣や向かいに座ってもだーれも気が付かなかったのに」
麻友は昔のままのまろやかな声で話した。その声は低く、優しく、穏やかで、聡明さを表していた。
「彩羽ねえ、書いてる?小説!あれから!」
彩羽は一瞬あっけにとられた。
彩羽自身、忘れてしまった夢だった。小説を書くこと。あの高校一年の夏の初め。
麻友に、励まされ、「もっと書いて、読ませて」とせがまれ、次作に挑戦中に麻友がいなくなってしまった。彩羽の筆はそこで止まり、その続きを書くことは無かった。
彩羽にとってもう、昔見た夢でしかなかったことが、麻友の中では現在進行形であることに、居心地の悪さをも感じた。
「ううん」彩羽の答えに麻友はがっかりしたような顔を見せた。
不意に、彩羽は、自分勝手だと思いながらも腹が立ってきた。―――――いったい誰のせいだと思っているのか。
そしてさらに麻友は彩羽はとんちんかんに思える言葉を言った。
「神崎君とあれから、どうなった?」
それこそ、すっかり忘れていたことだった。
「今頃、なにいってるの?高1の時のことだよ!」
思わず強い口調になってしまった。
あれから…………麻友に年下の神崎への淡い恋心を打ち明けたあの日からほどなく、あの街はそして学校はあの事件に巻き込まれ、荒れに荒れ、彩羽の小さな恋心など消し飛んでしまった。一つ下の学年の神崎が今どこで何をしているかも、彩羽に知りようはなく、また考えたことも無かった。
いや、なにより、麻友を失った彩羽が,一人で前に進む勇気など持てなかった。
だが、何より、彩羽が強い口調で食って掛かるように麻友に向かったのは一種の衝動で、それは極限の寂しさと麻友を思い続けた心配の種が、一気に解消されたという衝撃に因するものだった。
彩羽は必死にその衝動を抑え込もうと、冷静に振舞おうと努力した。
そして、その姿は、麻友の目には、よそよそしいそっけなさとして映り、彩羽に会えたことで高揚していた麻友の気持ちに冷水をかけるように、その熱を冷めさせていった。
麻友に、彩羽と自分の温度差を、――――間違ったイメージを与えてしまった。
一息ついて、冷静さを取り戻した彩羽は、麻友に尋ねた。
「麻友ちゃん………整形したの?」
彩羽は、目の前の人が麻友であるとは確信していても、やはりそのあまりに違いすぎる容姿に現実として受け入れがたい心持がしていた。
何より、麻友はその瞳の中の光彩の模様以外には彩羽の目になじみのある部分がなかった。その指先は、ネイルで彩られ隠され、懐かしい、きれいな長い爪もかすかにその爪の付け根にしか痕跡を見出すことしかできなかった。
「うん、したよ。全部やるのに2年かかった。韓国でね」
彩羽は韓国という言葉に少し胸が痛んだ。
「麻友ちゃん、探したんだよ、吉沢君も麻友ちゃんのこと探して」
彩羽は、あの頃の寂しく、切ない毎日を思い出し、戸惑いとかすかな怒りをもこめて麻友に詰め寄った。
麻友は、その彩羽の顔を見て、なぜか、安心したように笑った後で、
「本当にヨシザワッチには悪いことしたと思ってる。あたしのせいで巻き込んでしまって」と顔を伏せながら言った。
彩羽は、そんな麻友の様子を見ながら、見た目の大きな変化にもかかわらず、その、中身が、以前の麻友と同じであると確信し、
「麻友ちゃん、なにがあったの?私、何もかもわからないままで………。」とずっと、心の中に黒い塊のように残っていた疑問を口にした。
麻友は彩羽を見つめた。
かなり、長い時がかかったように思う。
それは、心を決めるのに必要な時間だったのだろう。
彩羽から見ると、その顔は、美しい仮面のようで、麻友の苦悩や決心の表情が見て取れず、不安な時間であった。
だが、麻友は、ふっとため息をつき、ついに、
「そうだよね。ここまで来て、逃げちゃいけないよね」という言葉を口にした。
彩羽は『逃げちゃいけない』という言葉に、かつて、正人が事件のことを、語った日のことを思い出した。
麻友は、美しい仮面の下に、時折、本来の彼女の、表情筋の動きを見せながら、語り始めた。