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正也は大きな欠伸を噛み殺した。現在彼はバイトの真っ最中ではあるが客足も良くなくどうにも暇であった。
ピークであろうランチタイムも彼が来る時間帯よりも早く終わっているので致し方ない気もするが、喫茶店なのだからもう少し人気があってもいいものだ。
「いつか潰れるんじゃないかこの店」
カウンターに寄りかかりながら正也は一人ごちた。正也が勤める時間は、大体いつもこんな様子であり毎度のことながら心配になってしまう。
店長もこの時間帯は上の事務所で他の仕事をしており、正也の仕事は殆ど店番に近い。無論時々やってくる客の対応も行うが基本的に客はそうそう現れず、物好きなリピーター二、三人が来て数時間居座る程度のものだ。そして現在その物好きも来店しておらず、正也は暇を持て余していた。
もう一度店内の机を一通り拭こうかと思っているときに来店を知らせるベルの音が鳴り響いた。
「いらっしゃいませ」
そう言いながら入り口まで向かう正也だったが、客の顔をみて一瞬固まった。
「あっ月岡君こんにちわ~」
桜波南であった。
「ど、どうも」
「どうして」という問いを飲み込み正也はひとまず挨拶を交わす。
しかしどうしても不信感が付きまとう。
「偶々通りがかって入ってみたんだけど、月岡君が働いているなんて奇遇ね~」
そんな彼の気持ちを知ってか知らずか、両の手を合わせて驚きと喜びが入り交じった声で南は言った。正也は白々しいと心の中で思ったが同時に本当に偶然なのかも知れない。とも隅では考えていた。
昨日偶々寄った店が偶然友栄のバイト先だったのだから、確かにそこまでおかしな話とも言えないのではないか……と。
こんな思考を友栄に聞かせたらいい加減叩かれそうだ。と思わず口から笑みがこぼれた。
「どうしたの?」
「いえ、なんでも。お一人様ですか?」
後ろを見れば一人だと解るが一応のマニュアルに沿い人数を訪ね、南を席へと案内した。
「それにしてもビックリ。月岡君バイトするようなタイプじゃないと思ってたもの」
真意はどうであれ、言葉だけ聞くとあまり良い意味には聞こえないな。と思いながら正也「はぁ」とだけ返した。
「オススメとかってあるの?」
お冷をテーブルに置いたのを見計らい、やたら項目の少ないメニュー表を見て南は尋ねた。
「チーズケーキかショートケーキですかね?」
何故か疑問形で正也は答えた。働いている身ではあるが、あまりこの店のケーキを進めるような気にはなれないからである。彼としては正直他の店を薦めたいのだがそんなことは口が裂けても言えない。
しかしスーパーなどで買える様なケーキキットで作ったものであることを考えれば正也の気持ちも至極当然のことであった。その癖手作りケーキを謳ってそこらの店と変わらぬ値段なのだから、料金を徴収する彼としてはどうしても申し訳ない心持ちになってしまう。
「じゃあショートケーキとブレンドコーヒーお願いね」
注文を受け、ケーキとコーヒーを用意して南の元へ戻る。
機械的に商品名を唱えてテーブルに並べると南はクスクスと笑った。
「えっと、なにかおかしかったですか?」
何か変だったのか。と少し恥ずかしい気持ちになりながら訪ねると南は「ごめんなさい」と一言謝った。
「なんか店員さんみたいに対応する月岡君が可愛くて」
みたいな。ではなく店員なのだが正也は特に反論せずに「はぁ」とだけ答える。
その後ケーキを食べながら南は世間話を振ってきた。他の客も来店せずやることもないので断ることもできずに正也はしぶしぶ南の世間話に付き合うことになる。
「セッちゃん」
後ろを見るとこの店の責任者である火野光が立っていた。
「あっ光さん……」
仕事中に客と談笑していた所を目撃され、正也はバツが悪そうに頭を下げた。
「そろそろ閉店だから軽く片づけしておいてね」
光は特に咎める様なそぶりも見せずにそれだけを伝えて二階へと上がっていった。逆に嬉しそうに笑っていたのが正也としては気になった。
「いつのまにそんな時間になってたのか」
正也は素直に驚いた。いつの間にか南との会話に集中してしまっていたからだ。とは言っても南の話や質問に適当な相槌をうっているだけであったが。それでも客の来ない店で暇を持て余すよりは遥かに時間の進みが早く感じられた。
「じゃあ片づけの邪魔になっちゃうし、私も帰ろうかな」
伝票を持って南は立ち上がる。
「ありがとうございました」
内容とはまるで釣り合わない料金を受け取りマニュアル通りの謝辞を正也は述べた。
「それにしてもセッちゃんて呼ばれているの?」
退店間際に光から正也への呼称を思いだし南は笑った。正直客の目の前でするやり取りではないなと思い少々バツが悪くなる。
「ははは、似合いませんよね」
流石にちゃんづけされる柄ではないなと思い。照れたように頬を掻いて正也は笑った。
「そんなことないよ。セッちゃんはちゃんと働いて偉いね」
そういって南は正也の頭を撫でた。
突然のことで反応できず、彼女に撫でられながら正也は顔を真っ赤にして固まった。
「フフ、可愛い。じゃあね」
目の前で赤くなる顔をみて満足したのか、南は手振って店を出ていく。それを確認した後も熱に侵されたように正也は暫く呆然とし動くことができなかった。
何とも安い自分に呆れながらも、テーブルに残った食器の片付けに取りかかるのであった。