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鰻女  作者: 山田 六十
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「遠慮せずに好きなものを頼んでくださいね」


 女はニコニコしながら言った。言葉の割にはメニュー表の向きが女側になっているあたり、少し間の抜けた性格なのだというのが感じられた。


「じゃあ鰻御膳で……」


 今開かれているページにはないが(おもて)の看板に書いてあったのを思い出してそういった。特に意味はなく考えるのが面倒くさいだけという理由だ。


「わたしはどうしよう……」


 女は甘味が乗っているページを見ながらそう呟いた。


「鰻を食べに来たんじゃないんですか?」


「食べますよ。でも白玉あんみつ美味しそうじゃないですか」


 女は楽しそうにメニューの文字を指さすが、現代っ子たる正也にはまだ生クリームやチョコレートの方が魅力的に感じる年代であり、愛想笑いして肯定するのが精一杯だった。


「すいませーん。注文お願いします」


 女は右手を挙げて、別のテーブルを片づけている店員を呼びかける。

 程なくしてやってきた店員に、女はメニュー表を指さして鰻御膳ときなこ餡蜜を注文する。正也もそれに続いて鰻御膳を口頭で頼んだ。


「良かったの? 梅で。竹でも松でも全然大丈夫だよ~?」


 女は何故か不満げな顔で正也の顔を覗きこんだ。鰻御膳で梅を頼んだのがなにやら気に食わないみたいである。一番安い梅と高い松では三千円ほど値段に開きがあり、流石にそこまで無遠慮に注文することは正也にはできなかった。ましてや、支払う側が梅を頼んでいるのだからなおのことだ。


「そちらこそ梅で良かったんですか?」


 わざわざ同行者を探してまで食べようとしたのだ、さぞや鰻が好きなのだろうと思っていたのだがどちらかと言えば甘味の方に意識が集中しているようで些か拍子抜けだった。


「わたしあんまり鰻好きじゃないですから」


 いきなりとんでもないことを言いだしたもので正也は思わず「ハァア!?」と驚愕の声を挙げてしまった。


「鰻、食べたかったんじゃないんですか?」

「食べたいじゃなくて、食べようと思ったんですよう」


 可愛らしく頬を膨らまして女は訂正したが、正也は顔面に向けて拳をお見舞いしてやりたくて仕方がなかった。


「なんで食べようと思ったんですか……」


 白菜のお浸しを持って来た店員に愛想笑いする事も忘れて、正也は頭を抱えながら訪ねた。


「えっと……実はわたし、先月振られちゃって……」


 急に落ち込んだトーンになって女は語りだしたが、正也としては死ぬほど興味のない話題であった。なにが楽しくて先ほど知り合ったばかりの女の失恋話を食事前に聞かなければいけないのか。


「それでね……その人に聞いたの、わたしの何がいけなかったのかってね」


 正也は隣の客の柚大根の煮付けが美味しそうでセットで頼めば良かったなぁと思いながら適当に促した。


「そしたらね、それが解らないからおまえは駄目なんだって言われたの」


 女は涙を隠すように手のひらで顔を覆った。正也は白菜よりほうれん草の方が好きだなぁと思いながら白菜を齧りつつ「気の毒ですね」と適当に返す。


「だからわたし考えたんですよ」


 顔をあげて女は言った。


「わたしって鰻が苦手なんですけど、もしかしたら振られた理由ってそれなんじゃないかなぁ……て」


「多分その頭が軽いのが原因だと思いますよ」と正也は思ったが口には出さない。


「だから鰻を食べれば何か解るんじゃないかって思って」


 予想以上の女の思考回路に正也は再度頭を抱えた。もしかして予想以上に、そして別の意味で危険な女なのではなかろうか。十数分前の自分を全力で止めてやりたいと後悔の念がわき出てきた。


「お待たせしました」


 目の前へ鰻重に肝のお吸い物、茶碗蒸し、柴漬けと奈良漬けが乗ったお盆が置かれる。鰻に塗られたタレの甘香ばしい匂いが漂ってくる。「まぁ食えるモノは食べておこう」と正也は気を取り直して箸入れから箸を取り出した。


「美味い……なにこれ美味い」


 一口鰻を頬張って思わず正也は唸った。スーパーで買う鰻とはまるで違う。柔らかくもとても肉厚のある身に、甘辛いタレの香ばしい匂いが口内から鼻孔へと広がる。鰻を食べるのにネックとなっている小骨もまるで気にならない。一緒に出されてお好みで掛けてくださいと言われた山椒も、自宅に瓶詰めで置いてあるモノとは明らかに違う。山椒とはこんなにも上品な香りがするものなのかと正也は一口ごとに感動を覚えた。


「ふふふ……」


 ふと鰻から視線を前方に移すと女が嬉しそうに微笑んでいた。


「ごめんなさい。あまりにも美味しそうに食べるから」


 尚も口元を左手で隠して女は笑った。正也はなんだか自分ががっついているみたいで少し恥ずかしくなった。顔が妙に熱いのは羞恥心によるものなのか、女の笑顔を見た為なのかは自分でも解らなかった。


「あ~、もうおなかいっぱいだなぁ……」


 女はそういってほうじ茶を一口含んだ。女の鰻重はまだ半分程残っていた。


「良かったら残り食べる?」


 そういって意地の悪い顔で正也の顔を覗きこんだ。


「……頂きます」


 まんまと餌付けされている様に少しばかりの悔しさは残るが、鰻の魔力にはとてもかなわなかった。

 残りの鰻もすべて食べ終わり器が片付けられて数分。デザートのきなこ餡蜜が女の前に置かれた。


「わーおいしそうー!」


 先ほど満腹のようなことを言っていた癖に、と正也は思ったが指摘したところで「別腹」と言う返事が返ってくることも分かっていたので黙っていた。

 そもそも鰻を食べて何か分かったのかだろうか? とも思ったが、女の笑顔を見ているとそれもどうでも良くなった。


「食べる? おいしいよ」


 スプーンで軽く弄びながら女は訪ねてきたが正也は断った。残りの鰻重を平らげただけあって流石に胃袋が重たい。


「おいしいのになぁ」


 そういってゆっくりときなこと黒蜜がかかった白玉を口に運んでいった。白玉を口に含む度に「おいしい~」と左手を頬に当てて芝居掛かった反応をするのを見て正也は思わず笑みをこぼした。


「最後の一口だけど本当にいらないの?」


 なぜか懇願するような声で再度女は訪ねてきた。


「どうぞご遠慮なく」


 そういって最後の一口を進めたが女は何か納得いかないようであった。


「実は……ちょっと飽きて来ちゃったかなーなんて」


 まるでイタズラを告白する子どものように上目遣いで女はそういった。

 それでも最後の一口ならチャッチャと食べればいいのだが恐らく自分に食べさせる方便なんだろうなと正也は思い、渋々最後の一口を貰うことにした。


「それじゃハイ、あーん」


 そういって女は白玉をスプーンをすくいとると正也に向かって突き出した。


「いやえっと自分で」


「ホラホラあーんして、あーん」


 正也の制止も聞かず、尚も続けて口を開けるように要求する女。長引くと逆に注目浴びかねないと思い、観念して一気にスプーンを口に含んだ。顔から耳まで一気に熱を持っていくのが自分でも良く分かり、柔らかいという事以外白玉を味わうことができなかった。


「ふふふ顔真っ赤だね。かわいい」


「――ちょっとトイレいってきます」


 指摘された事で羞恥心が限界に達した正也は逃げるように席を立ってトイレへと入っていった。

 個室の便座に腰をかけて頭を抱えた。完全に不意をつかれた。ましてやあんなにフワフワした彼女に弄ばれたのも地味にショックな事であった。


 暫くして顔の赤みも引き落ち着いてきたのでトイレから出ると女はニコニコしながら正也を待っていた。何故かその笑顔をみて正也は言いようのない不安を覚えた。


「それじゃあ出ようか」


 女は伝票を手に立ち上がりレジの方へと歩いていった。正也も後に続いた。


「ごちそうさまでした」


 正也は頭を下げて礼を述べた。ずいぶんと怪しんだものであったが、終わってみれば本当にただ食事をしただけだ。人を見かけで判断するなとはいうが、そもそも簡単に人を訝しむべきではないのかもしれないなと彼は思った。


 同時に彼女に対しても少々申し訳ない気持ちにもなったが、謝ろうにも不審人物と思っていたなどとはどうにも言いづらく、言葉が詰まってしまう。


「ううん。こちらこそゴメンね。つきあって貰っちゃって」


 そんな正也の心持ちを知ってか知らずか満足そうに女はそういった。


「じゃあわたしこっちだから」


 意外にも女自ら解散を促す発言をした。正也の家とは逆方向を指で示すと「それじゃあね」と小さく手を振って歩いて行ってしまう。


「変なヒトだったな」


 女を見送り、頬を掻いて一言そう漏らした。

 まだ怪しさは抜けないが、これといって問題も起こらずようやく一息ついた気分になる。

 そういえば最後までお互いに名乗らなかったとも思ったが、そういう一時の付き合いも悪くはないかと正也は女の笑顔を思い出しながら帰路へ向かったのだった。

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