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鰻女  作者: 山田 六十
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 土曜の半日授業を終え食後に大輔達と幾何か戯れた後、正也はアルバイト先である火野家の前に立っていた。彼が現在立っているのは普段出入りしている喫茶店側の出入り口ではなく、光達が使用している住宅側の出入口だ。先ほど灯から裏口から入る様にとのメッセージが携帯に送られてきた為であった。

 彼女達からすればこちらが表口になるのでは? と正也は一瞬頭を捻らせたものの、それならわざわざ伝える必要もないなと一人得心し玄関のチャイムを鳴らした。暫くすると携帯が震え、灯から「入って」とだけ打たれたメッセージが送られてきた。呆れた様に溜息をついて正也は扉を開けた。


 玄関の扉を開けると三和土たたきの正面にある階段に灯が気怠そうに座って携帯を眺めている姿が目に映った。彼女は正也に視線を向け「いらっしゃい」と一言交わすとすぐさま携帯の画面に視線を戻す。


「幾らなんでも横着が過ぎるだろ。二秒もないぞこの距離」


 挨拶を返した後正也は靴を脱ぎながら溜息交じりにそう告げる。当の本人は気にした風もなく携帯をしまうと三段ほど飛ばして階段から飛び降りた。


「それで? なんで今日はこっちから入るんだ?」


 体操選手を称えた様に着地した彼女を無視して正也は切り出す。彼が働いてから今日までこちらから入る様に言われたのは初めてである。本来はこちらから入るのがルールだとしたらどうしよう。と正也は少し不安に感じていた。


「月岡誠也君。二軍降格のお知らせ~」

「ん? 二軍? なんの?」


 まるで覇気のない物言いに正也は理解が及ばず首を傾げて尋ねる。そんな彼の反応がつまらないのか、灯は途端に拗ねた様に発言を訂正した。


「正也は今日裏方で良いってお母さんが言ってた」

「普段の業務的に表も裏も無かった気がするんだけど」


 元々正也が勤務する時間帯は基本的に一人で回している為、裏方と言われてもまるでピンとこない。灯は階段横にある扉を開けるとそのまま中へと入っていく。イマイチ釈然としない心持ちであったが、大人しく灯の後に続いていった。


「こっからお店側に移動できる。まぁ二階からでも行けるけどね」

「あぁ、遠回りにならないようになっているのか」


 灯は「そゆこと」と短く肯定した。普段入らない場所な為、正也は興味深く周囲を眺める。といっても唯の細い通路である為見るべきものは何もない。

「忍者屋敷見たいでしょ」と灯は得意げに話すが、イマイチ理解できず正也は適当に肯定の返事をした。


「今日接客はお母さんがやるから、正也はキッチン担当だって」


 通路の途中にある扉を開けて灯はそういった。中を覗くとキッチンに繋がっているようであった。


「そもそもこの時間帯キッチン使わないんだけど」

「いい機会だから掃除しといてだって」

「どういうこと?」


 正也が働く時間帯は基本的に作り置きの軽食やケーキ、後はホールでコーヒーを作る程度でキッチンは余程のことが無ければ利用しない。なのでその時間に清掃すること自体はおかしくはないであろうが、何故それを自分がやるのかが彼には納得し難い。そもそもこういった場所は専門の業者に頼むものではないのだろうかとも思うが、日常的な清掃と定期的なそれとはまた別なのかと勝手に納得してしまう。


「つっても俺、キッチン使ってないからイマイチ勝手が分からんぞ」

「だから私も借りだされた。理不尽」


 成程と正也は納得する。確かに彼女は珍しく店の制服を着込んでいた。同年代の女子と比べると頭一つ分は小さい灯が制服を着ていると、ままごとに興じる女児の様で何とも可愛らしい。しかしながら素直に発言すると恐らく彼女は拗ねるだろうな。と思い正也は心にだけ留めておいた。


「業務命令だし仕方がない。とりあえず着替えて火野さんに挨拶してくる」

「今日はホールに顔を見せなくて良いってさ」

「いや、でも挨拶位――」

「絶対に顔を見せるなって言ってた」

「俺、光さんになんかしたぁ!?」


 あんまりな物言いに思わず不安が押し寄せてきた。どうにも不明瞭な点が多く、正也は妙な疑心が湧いてしまう。


「別に怒ってる感じはなかったけど」

「そ、そうか? それならいいんだけどさ」


 無感動な助言ながらも一応の安堵を覚える。そんな正也を不審な目で灯は見つめていた。


「……なんだよ」

「今ママの事、名前で呼んでた」

「……呼び方がママに戻ってるぞ」

「うわっ。誤魔化した」

「さーって、着替えてくるかね」 



 逃げる様に着替えた後灯の指示の元に器具などを外しながら、キッチン周りを掃除していく。馴れない作業というのもある為か、時間はあっという間に過ぎていった。

 閉店時間が近づいてきた頃でも三分の一程度の範囲も終わらすことが出来なかった。


「正也は几帳面すぎる。もっと適当に見た目だけはやったようにすればいいのに」

「仮にも自分ちの店なのに、その発言はどうかと思う」

「あー疲れた。あとでお小遣い貰わないと割に合わない」

「灯は殆どそこでゲームやっていただけだろ」


 廊下とキッチンに通じる通路に座りながら、尚も灯は携帯を弄っていた。自身の小言などまるで耳に傾けない彼女に呆れていると、ホールから光の物とは違う聞き慣れた声が聞こえてきた。

 正也はある種の核心を持って、そっとホールを覗く。果たして声の主は桜波南であった。


 もはや彼女を見ても正也の心が恐慌することはなかった。前回の件で南が自身の元に訪れる事は、彼にとっては既に当然な光景だと思えるようになったからである。だからといって今のような状態はあまり望ましい状況とは言えない。故に早々に彼女とは話を付けたいと正也は思っていたが、どうやら本日はその機会を逃したらしい。

 少し気がかりであったのは、退店する南の後ろ姿が少し寂しげに見えた事であった。


「何々、あれが前言ってた正也のお気にの女性?」


 いつの間にか灯も覗き込むようにして退店する南を眺めていた。南の姿が見えなくなると灯は「ふーん」と考え込むようにして壁に寄りかかった。


「なんか想像と違ったなー。正也の好みって言うから、もっと体のちっさい幼い感じかと思ってた」

「だからそれはどこ情報なんだよ!」


 いい加減何を基準に言っているのかわからず、正也は遂に反論するも当の灯も彼が何に対して怒りを露わにしているかは分からない。


「だからって何? もしかして正也、クラスでもロリコンの噂が立ってるの?」

「立ってない! 立ってたまるか!」


 せめて灯の情報の根拠だけでも聞き出そうとするも、光がキッチンにやってきた為それも未遂に終わる。釈然としない気持ちに正也は力なく肩を落とした。

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