17
「あら。月岡君」
正也は駅前の通りで思わぬ人物と遭遇した。否、思わぬようにしていた。というべきであろう。
桜波南であった。
「どうも」と正也は彼女とあいさつを交わす。警戒していた割に彼女と遭遇した事による動揺は少なかった。今日もどこかで会わざるを得ないだろう。というのは覚悟していたからだ。だがそれでも少しばかりの緊張は禁じ得ない。
「本当によく会うね私達」
嬉しそうに笑う南とは対照的に正也は無感動であった。「そうですね」と無機質に返答し彼女を見やる。白いワンピースに麦わら帽子、キャメル色のハンドバックを肩にかけており白い日傘を差している。いつもの彼女だ。
別段彼女に不審な点は見当たらないが、既に正也にとっては彼女の存在自体が不審である。
「何か僕に言いたいことがあるんですか?」
「えっ?」
小さく息を吐いて正也は南に問う。もういい加減にハッキリさせたかった。何か目的があるのならここで終わらして、いい加減この不安感と決別したいと。しかし当の南は、突然の質問に首を傾げる。そんな彼女の様子に苛立ちながら正也は問い詰める。
「何か用があるんでしょ? こんなことをして」
「んー」と考え込むようにして南は左の人差し指を顎に添えた。暫くそうしていたが、正也が痺れを切らす直前で彼女が遂に言葉を発する。
「バッタマンはどうだったの?」
まるで予想していなかった彼女の言葉に今度は正也が首を傾げた。
「あれ? 知らないバッタマン?」
「いや、外国のコミックヒーローですよね」
バッタを模した衣装で街の悪人を懲らしめるヒーローである。正也自身はそこまで詳しくないが、実写映画として現在公開中というのをCMで見た事があったのを覚えていた。
「知ってます」という正也の答えに南は「良かった」と安堵した。
「それで面白かったの? バッタマン」
「? いえ、知らないです。見ていないので」
イマイチ話が見えない正也は不審に感じながらもそう答える。しかし彼の答えを聞いて南は心底不思議がった。どちらかといえば正也の方が不思議で仕方がなかったが、そんなことは気にも留めず南は再度尋ねた。
「だって昨日観たんだよね? 映画」
「えっと……あぁ」
彼女の言葉でようやく合点がいく。確かに正也は昨日知恵と映画に行くという理由で彼女と別れた筈だ。実際は映画などを観に行ってないのですっかり忘れ去っていた。しかも何故そのタイトルと決めつけていたのかが良く分からない
「いや、昨日はバッタマンは観てないんですよ」
「あっ、じゃあドキュメンタリーの方だったのかな? キツネの」
正也が答えるよりも速く南は次の候補を決めて掛かっていた。その確信めいた発言に正也はまた首を傾げる。しかしそんな彼の様子に気づかずに南は尚も続けた。
「上映時間がもうすぐだって言ってたし、多分一番近いAONショッピングモールにある映画館だと思うんだけど、そこで一番早かったのは一六時五五分のバッタマンだからそれだと思ったの。でも違うって事はそれよりもちょっと遅い一七時〇五分上映のキツネのドキュメンタリーの方を観たのよね? だってそれ以外だと結構時間も離れているからそんなに急ぐ必要もないものね」
普段の様子とは変わってまくし立てるような彼女の発言に思わず正也はたじろいだ。勢いもそうであるが、その言葉の異様さに圧倒された。
つまり彼女は自分達と別れた後、二人が恐らく観るであろう映画を調べていた。という事だ。
今の時代そんなものはネットで調べればすぐ分かる事だし、知り合いが何を観るのか気になって調べたとしてもおかしくは無いかもしれない。ただ――
「あー良かった。今日私も観てきたんだけどね、心配だったから念のため両方観てきたの。確かに女の子とのデートではああいう可愛いのが良いかもね。でも自然のドキュメンタリーって得てして残酷な面もあるものだからちょっと考えものよね。私も観ていて、なかなか餌が獲れなくて痩せていく姿なんか可哀そうで――」
たかだか、会って数日でしかない人間に対してここまでの行動力は明らかに異常であった。
一人で嬉々として映画の感想を語る彼女に正也は口を挟むことが出来ないでいた。そもそも観ていないのだから挟みようもないのだが、例え観ていたとしても口を挟めたかといえば微妙な所であろう。そんな正也の様子に南は笑いながら首を傾げる。
「あれ? どうしたの? もしかしてこっちも観ていないの?」
「いや、それは」
「そうなると電車でバルーンプラザにでも行ったのかな? そうなると観たのは――」
「何を言ってるんだコイツ」正也の脳内を支配しているのはその言葉であった。勝手に予測を立てて一人で盛り上がる彼女の姿は完全に異常である。どう見ても関わってはいけない類の人間にしか見えない。
このまま一方的に話を続けさせると碌な流れになりかねないと判断すると、ひとまず会話を打ち切り彼女と冷静に話し合おうと決意する。
「あの――」
そう正也が切り出そうとした瞬間、二人の間に何かが飛来してきた。突然の飛来物に流石の南も言葉が途切れる。
足元を見ると三五〇ミリの飲料缶であった。赤い色をしたそれは、二人の間で横たわり口から黒い液体を吐き出している。液体に含まれていた炭酸が忙しなく弾けていた。
飛んできた方向へ目を向けると、いつの間にか友栄が二人を見下したような眼で立っていた。
「悪い。すっぽ抜けた」
まるで悪びれた様子もなくそう言うと友栄は気怠そうに近づいてくる。足に液体が少量掛かったのにもかかわらず南は「気にしないで」と笑顔で返した。
「手に持って歩いているとよくあるものね。私も結構多いの」
「私は今日が初めてだ。どんくさいだけなんじゃねぇの?」
「あら。そうかもしれないわね」
あからさまな敵意をぶつけながら転がった缶を友栄は拾う。ほぼ初対面の相手にここまで悪辣に接する彼女も凄いが、それを受けても表情一つ崩さない南も大したものだと正也は思う。突如として始まったキャットファイト前哨戦にびくつきながらも、正也は乱入してきた猛獣に決死の思いで話しかける。
「と、友栄。その、何か用か?」
「ああぁん!?」
正也の言葉に友栄は凄むと同時に彼の胸倉を掴んで引き寄せた。
「アンタが約束の場所に来ないから探しに来たんだろうがぁ!!」
「うえぇーー!? ウソォ!」
全く覚えがない約束を持ち出された正也は戸惑いの声を上げる。
「人の約束すっぽかして鼻の下ぁ伸ばしているとはいい度胸だなぁ!」
「ちょっと! 友栄待って! 話聞いて! 誤解だから! きっと誤解だから!」
正也は必死に彼女を宥めすかせようと躍起になるが、噛み殺さんばかりの彼女の気迫に上手く言葉が回すことが出来ないでいた。そんな二人の様子を見て、南は楽しそうにクスクスと笑いだす。
それを受けて友栄は再度彼女に睨みを利かした。
「ごめんなさい。でも月岡君を責めないであげて。足止めしちゃったのはわたしだから」
友栄の睨みつける視線を受けて、南は尚も笑顔を崩さずそう間を取り持つ。そんな彼女を変わらず射殺さんばかりに見つめつつも、舌打ちをしながら正也のシャツから手を離した。
完全に横合いから殴られた気分の正也は心底安堵した。
「それにしても月岡君もやるのね」
「は、はい?」
笑顔を崩さず、南は正也をからかう様に話しかける。安心した直後の為か少々怯えた様な反応になってしまった。
「昨日は雛岸さんとデートしてたのに、今日は別の子だもんね」
「え、いやまぁ……それほどでも?」
我ながら見当違いな回答だと正也は思ったが、いつもとは違う冷たげな口調に少し戸惑いを覚えていた。
「これは雛岸さんには黙っていた方がいいのかな? あぁもしかして、昨日の事もその子に内緒だったりするのかしら? だとしたらごめんなさいね」
先ほどの意趣返しであろうか、まるで挑発するような眼で友栄を見て笑いかける。友栄は苛立ちを隠そうともせずに南を睨むと、突如として正也の首根っこを掴んだ。
「いい加減行くぞ」
静かに一言漏らすと、そのまま正也を引きずる様に歩き出す。遠ざかっていく二人に「またね」と声を掛けて南は小さく手を振った。正也も首だけを必死に動かして一応の挨拶だけを返す。友栄は一度も振り返ることもなく黙々と彼を引いて歩いていくのだった。




