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鰻女  作者: 山田 六十
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 暫くの間、大人しく知恵に連れられるがまま歩いていると、唐突に腕を離された。彼女は後方を覗き込むように見やると小さく息を吐いて肩を落とした。


「あーつかれた。セイヤ、ゼンゼン自分で歩かないんだもん」

「そりゃあ、何処に行くかもわからんのに歩きようがないだろ」


 腰に手を当て覗き込むようなしぐさで抗議する彼女に、視線が下がらぬよう目線を横に逸らしつつそう答える。

 しかし正也の答えに納得がいかないとばかりに、知恵は頬を膨らまして再度抗議の態度を取った。


「それにしてもどうしたんだよ急に。何かあったのか?」


 そんな彼女の態度を後目に疑問を投げかける。この後彼女と映画を見る約束などしていないからである。正也としては南と別れる口実が出来たので良かったが、それでもあまりにも突然の行動に疑問を禁じ得ない。


「だってセイヤ、コマッタ顔してたから……」


 拗ねるような態度で漏らす知恵の言葉を聞いて、正也は驚きの声を小さく上げた。どうやら彼女なりに自分を気遣っての行動であったらしい。


「そんなに顔にでてたか?」

「ウン! スッゴク!」


 頬を掻きながら力なく尋ねる彼とは裏腹に、知恵は力強く答えた。


「その、ワタシとかトモエとかと話してる時とは違う。コマッタって感じだった」


 そういって顔色を窺うように再度顔を覗き込む彼女を見て、どれだけ自分は情けない顔をしていたんだ。と正也は少々恥ずかしい気持ちになる。


「まぁ、確かにその、助かった。ありがとうな」


 心底惰弱な自分に嫌気がさしながらも正也は礼を述べる。知恵はそれを聞くと照れたように「えへへ」と笑う。少し誇らしげに見えるその態度に思わず笑みが零れた。


「それにしても! なんかカンジ悪いね! あの人」


 思い出したかのように知恵は憤慨しだした。彼女のその態度に正也は首を傾げる。見ていた限りではずいぶんと楽しそうに話していたからだ。といっても、彼女は基本的に誰と話しても楽しそうではあるのだが。


「ワタシと話す分はフツーだったけどさ」


 そんな彼の疑問を聞いて、唇を尖らして不満を吐露しだす。


「セイヤがあんな顔してるのにさ、まるで気にしないで、ニコニコしながら話しかけてさ。イジメっ子みたいだった。ワタシあれ見たシュンカン、なんかムカーっと来ちゃってさ! ツイ――」


 捲し立てる様に話していた所で、何かを思い出したかの様に急に口をつぐんだ。まるでバツが悪そうに、正也の顔色を窺いはじめる。


「? どうした?」


 急に静かになった彼女を不審に感じて尋ねると、まるで悪戯がバレた子供のように肩を落とした。


「セイヤの親戚のお姉さんなのにさ、その、目の前でこんなこと言うのってムシンケーかな……ってゴメンナサイ」


 シュンと大きくうな垂れる彼女を見てつい笑いそうになるのを堪えつつ、言いづらそうに正也は答えた。


「いや、本当は親戚でもなんでもないんだよあの人」

「えぇ! 何ソレ!?」


 正也の言に瞬時に気持ちを切り替えて憤慨する。この切り替えの早さは見習いたいと思いつつ、必死に彼女を宥める。


「別に騙したわけじゃないって、なんで今日俺と行動してるか思い出せ」

「何でって、セイヤが奢ってくれるって約束したからじゃん! 話逸らさないでよ!」

「だー! だからなんでそうなったかを思い出せって事」

「? イミ分かんない」


 そう言いつつも知恵は頭を捻って思い出そうとする。自身に都合の良い事しか記憶に止めないの凄いなと正也は一種の感動を覚えてしまう。そうこうしてるうちに、ようやく思い出したのか「あっ!」と小さく声を上げた。


「アレが鰻さんかぁ!」

「いや、間違ってないけど、鰻さんて」


 まるで難問を解いたかのような大げさな回答に思わず笑ってしまう。何に納得したのか知恵はしきりに「ナルホド」と呟いている。


「なーんだ。じゃあセイヤ、ただ鰻食べたかっただけなんだね」


 まるで拍子抜けしたような表情でそう呟いた。正也としては、何故彼女がそういう発想に至ったのかが不思議でならない。自身の好みを差し引いても、一般的に見れば南は美人の部類に入るからだ。


「え、と。なんで相手が桜波さんだと俺が鰻が目当てだって分かるんだ?」


 余計な火種になりかねないとは思ったものの、つい疑問を口にしてしまっていた。しかし知恵は心底不思議そうな顔で彼の顔を眺めると――


「だって桜波さん。スッゴイおっぱい小さいじゃん」


 当然とばかりにそう答えた。

 その言葉に思わず正也は言葉を詰まらせる。自分は女の胸さえ大きければ他はどうでもいい様な人間だと。そう彼女には思われているのかと酷く絶望した気持ちに心が叩きつけられる。


「知恵……それはちょっと」

「? だってセイヤおっぱい大好きでしょ?」

「イヤ、ソレハですね。ソノ」


 思わず彼女の持ち物に目が行きそうになるのを堪えながら、なんとか反論を試みようとする。しかし彼女の疑いようのない純粋な目と声色に、消え入りそうな声で「好きです」と答える事しかできなかった。


 その返答を聞くと知恵は満足そうに笑って歩き出した。妙に上機嫌なその姿を見るに、南への嫌悪感はすでに消え失せてしまっているようであった。


 正也も既に南の事よりも、自身に抱かれている不名誉な評価をどう払拭するべきかの方に頭を悩ませていた。弁明の言葉を掛けようかと試みたが、今にも歌い出しそうな彼女の姿を見ると、どうにも切り出しづらく、仕方なく諦めの溜息をついた。

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