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「簡単なものでごめんなさいね」
食卓に着いた正也に申し訳なさそうに光は告げる。
「いや、そんな、とんでもない」
「月岡が来ると大体おかずがいつもより多い」
恐縮する正也の隣で、灯は詰まらなそうにつぶやきながら味噌汁をすする。
「灯は副菜とか作ってもあんまり食べないから作り甲斐が無いんだもの」
「ちゃんと野菜も食べろよ」
「だからお前は私のお父さんかっての」
ほうれん草のお浸しを進められて、灯は鬱陶しそうにしながらも渋々口にする。
「……味しないんだけど。というか苦い」
「そりゃ何もかけなきゃそうだろうよ」
「あらかじめかけておくべきじゃない? 月岡は気がきかな過ぎる」
「何様だよ……」
光はクスクスと笑いながら二人の様子を眺めていたが
「そういえば、ずいぶんと楽しそうに話してたわね」
思い出したかの様に正也にそう尋ねた。
「別に、月岡がエロビデオ観て興奮してただけ」
対して灯は憮然とした表情で答えながら、生姜焼きを咥えて千切る。
「観てないし興奮してません」
広義の意味では何も間違いではないのだが、自身の名誉の為粛々とした態度で正也は否定する。灯はあることない事で彼を貶めようとするのはいつもの事なので馴れたものであった。
「あっ、ごめんなさいそうじゃなくてね」
話をさえぎられて灯は首をかしげる。
「セっちゃん最後のお客様とずいぶん楽しそうに話してたから、知り合いだったのかなーって」
唐突に南の事を聞かれ正也はつい言葉に詰まった。知り合いというのは確かなのだが、どういった関係かを説明するにはあまりにも難しい。
「遠目からだから良く分からなかったけど、綺麗な人だったわよね。清楚系っていうか? セっちゃんはああいう人が好みなの?」
答えに窮しているのを照れているととったのか、光は顔をニヤつかせてからかう様に追及する。
「うわっ。仕事中もエロイこと考えるとか止めてくれる」
「か、考えてねぇーよ!」
「うわっ必死だよ。図星だね。あーやだやだ」
南が話題に出た所為で、動揺した返しになる正也。それが面白くないのか灯は不機嫌そうに彼を責め立てる。
「いや、あの人は、その、ちょっとした顔見知りなだけでそこまで、その、親しいわけではないんですよ」
「え~、その割には楽しそうに話してたけどな~。二人はどんな出会いだったんですか~?」
正也の反応が面白いのか、光は楽しそうに追及を続けるが、知り合う切っ掛けなどそれこそ説明がし辛く余計に言葉が詰まる。そんな彼の様子が気にくわないのか灯は不機嫌そうに右足を揺らしていた。
「お、おい行儀悪いぞ」
「うるさい黙れ」
「こらこら拗ねないの~。セっちゃんにだって付き合いがあるんだから」
「うるさい拗ねてない」
急速に不機嫌になった娘を窘める光だが、効果は全くといってない。そもそも彼女自身も本気で窘めるつもりがないのか、今度はからかう矛先を我が娘へと変える。
「さっきの人も年上っぽかったし、灯もそういう子供っぽいところ直さないと嫌われちゃうぞ~」
「意味わかんないし、別に月岡とかどうでもいいし」
「別にセっちゃんの事とは言ってないでしょ~」
「話の流れ的にそれしかないだろババァ!」
唐突に怒りのスイッチが入り灯の口が汚くなる。
あんまりな物言いに正也は顔をしかめて彼女を嗜める。
「おい、親に向かってそういうの良くないぞ」
「うるさいんだよ! 説教マシーン! おま! お前が! お前が原! げいいんだろう!」
完全に火が付いたのか、灯は立ち上がって捲し立てる。興奮してる所為か上手く口が回っていない。あまりの勢いに気後れする正也とは裏腹に、光は馴れたように肩をすくめながらお茶を啜っていた。
「お、落ち着けって、な?」
なんとか宥め様とするも、効果は薄く灯は尚もヒステリックに喚く。
「大体お前は何、何様のつもりだよ! いつも偉そうに! 父親か! わた、私を下に見てるのか!」
「いや、そういうわけじゃ……」
「その癖マ、ママにはデレデレして、そ、そんな、そんなに好きか! 行き遅れのつぉしまが!」
「ママは結婚して灯も産んでるから行き遅れじゃありませ~ん」
「ちょっ! 火野さん、ちょっと!」
「まぁセっちゃんも短気な灯よりはママの方が好きかもね。ね~?」
「いやいやいやいや!」
「~~~~~~~~~!! もういい!!」
怒りが許容量を超えたのか灯は顔を真っ赤にして部屋へと戻っていった。勢いよく絞められた扉の音が家中に響き渡り思わず正也は身を縮こませる。
一拍おいて気まずい空気が部屋に漂う。
「え、とその、ごめんなさい」
言葉が見つからず、正也は必要のない謝罪を思わず口にした。
「別にセっちゃんは悪くないわよ。どっちかというと私と灯がごめんなさいだ」
最後まで煽っていた割に光も少々バツが悪そうであった。娘のヒステリーを他人に見られたのだからそれも当然ではあるのだろうが、そんな彼女の態度を見ると正也としては少々居たたまれない。
「灯はセっちゃん来ると口数多くて楽しそうにするから、ついね~」
空気を払拭させようとしているのか、彼女はヘラヘラとなんでもない事の様に語った。あそこまで爆発した灯を正也は見た事がなかったが、彼女の口ぶりからすると火野家ではそこまで珍しい光景ではないらしい。
「はぁ」
しかしながら間近で友人の怒りを目の当たりにした為か、妙な興奮と緊張が頭を支配している正也の返事は気の抜けたものであった。
「ああいうふうに爆発するのは珍しくないんだけどね。セっちゃんいる時はあの子機嫌良いから油断したわ~」
「まぁ、その。ほどほどに」
それしか言えなかった。
その後何とも言えない空気のまま夕食を終え、火野家を後にした。帰り際に灯の部屋に声をかけたが返事は返ってこなかった。




