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「鰻食べませんか?」
下校途中、知らない女性に突然話しかけられて月岡正也は目を丸くした。
呼び込みであろうか? 現在の時刻は午後四時前、飲食店が呼び込む時間帯には早く感じるが、客の入らない時間帯だからこそ呼び込むものだろうか。と女のことよりそんなどうでもよいことの方が気になってしまった。
しかしその思考も女の格好を見て閉め出した。年齢は二十代前半から後半であろうか。女の服装は白いワンピースに麦わら帽子そして白い日傘。正也が想像する夏の女性といった装いであり、どうみても飲食店の呼び込みをするような風体には見えない。
「あのー……」
呆然としていると再度女から声を掛けられた。「聞こえてますよ」と返事をして女に再度意識を向ける。
店の呼び込みでもないともなると、怪しいツボやら絵画などを買わせるのが目的なのであろうか。純粋に男として口説かれているという可能性もあるが、コレも一つの偏見だが彼女がそのようなことをするタイプには見えなかったし、正也自身も女性からそのようなアプローチを受けるほど見てくれに自信があるわけでもないからだ。
「えっと……なんで鰻なんですか」
取りあえずこのまま無言でいても埒があかないので一言そう訪ねた。
「わたしが食べたいんです。というより食べようかなって思っているんです」
成程と妙に納得してしまう。しかしそれでは自分に声をかける理由には繋がらない。
やはり口説かれているのかもしれないと彼は考え直した。自分に魅力があるなどというポジティブな理由などではなく、デートと称して高い飯を奢らせようという腹なのかもしれない。
しかしながら最近の学生は金を持っているとはよく言われるものの、見知らぬ女性にご馳走できるほど金銭に余裕のある者は少数であろう。無論正也も例に漏れず、そこまで懐事情は暖かくはない。
もう少し金銭的に余裕のありそうな男性に話しかけた方が効率はよさそうである。
「駄目ですか? 代金はわたしがお支払いするので、一緒に鰻を食べていただけないでしょうか」
正也の思考を読んだかのように女はそう続けた。ますます彼の頭はこんがらがってきた。金を出してまで自分と何故か鰻を食べたいという彼女がまるで理解できないからだ。彼女にとって自分はそこまで魅力的に映っているのだろうか。実は見かけによらず相当の欲求不満なご令嬢なのだろうか。
口を開く度に怪しさが増していく目の前の女に正也は今さらながら身構えた。
ふと……女の顔を何処かで見たような気がした。しかし名前すらも思い出せず自信を持って知っているとは言えなかった。あくまでも見たことがある様な気がする。という曖昧な既視感だ。またそれを口にしようものなら、たとえ知っていなくともそこをつけ込んできそうなそんな気配がこの女からは漂っていた。
「一人で食べれば良いんじゃないですかね」
そうだ。鰻だけを食べたいのなら一人で食べればいいのだ。ワザワザ自分を誘う理由などはない筈だ。探りを入れるのと同時に遠回しに断りの言を混ぜ正也は女に返した。
「平日に一人で鰻を食べてる女ってどう思います?」
「いや……別に何とも」
「寂しい女だな。とか食い意地の張った奴だ。とか思われそうじゃないですか」
「思われないと思いますよ」
「思われますよ。絶対!」
ここまで言い切られてしまうと尋ねられた正也としてもなにも言えない。つまりこの女はそんな世間体を気にして見知らぬ男子学生を捕まえて食事に誘っているのだろうか。どちらかと言えばそちらの方が世間的な印象は宜しくないと思えて正也はならないのだが、この手のタイプの人間にそれを伝えても無駄だろうと、知り合いの顔を思い出して口を閉じた。ほかの理由を挙げても大抵は別の理由で却下されるものだ。大体は理解できない理由であろうが。
「駄目……ですかね」
縋るような口調と目つきで再度訪ねる。前かがみになっているせいで、あまり豊かではない胸元が白いワンピースからちらつく。意識してやっているのならそうとうなやり手だと正也は視線を必死に逸らしながらそう思った。
内容だけを聞けば別段悪い話ではない。自身の好みで言えば綺麗な年上の女性と食事が出来るのだ。それに加えて値段は相手持ちときている。しかしながらどう考えても怪しい。一種の美人局ではなかろうかと思ったが、訪ねても易々答える筈もないだろう。
「え……と、僕としてはとても嬉しい話なんですけど、えー僕、学生服で、その知らない女性と食事なんてしたら、えーっと学校に知れたら何て言われるかなーなんてですね」
とっさに頭を走らせながら出した言い訳の割にはなかなかの出来ではなかろうか、と彼は心中で自賛した。実際学校に知られたらどうなるのだろうかと彼自身も多少気になるところではあった。通っている学校の校則は厳しい方では無いが、年上の女性に貢がせているなんて噂が立つのもあまりよろしい事態とはいえない。
「それなら遠い親戚のお姉さんとかそんな感じで言えば良いんじゃないでしょうか?」
女は名案とばかりに両手を合わせて破顔した。服装のイメージに合う爽やかなそれに正也は一瞬心を奪われた。
「たまたま、町中でお姉さんと久方ぶりに再会して、お食事したでいいんじゃないかしら? それならホラわたしがお金出したってなんの問題もないし! ホラ!」
女は少し興奮気味に小刻みに飛び跳ねながら同意を求めてきた。大した斬新さも無いが納得可能な範囲だろうか。
「わかりました。食べましょう」
一つ溜息を吐いて正也は観念した。話としては悪くもなく、実際その言い分が通るかは置いておくとしてそれも見つかった場合の話だ。女の怪しさは未だに拭えないが一挙一動を見ていたらそんなこともどうでも良くなってきていた。この可愛らしい女性と食事ができるのなら割を食うのを悪くは無いかと正也は自分を納得させた。
「やったぁ!ありがとう」
女は正也の両手を掴み、またも跳ねる。細く柔らかい手の平に思わず顔が熱くなるのを感じていた。
「早速鰻屋さんに行きましょ! わたしお店知ってるんですよ」
果たして鰻屋という呼称で合っているのだろうか。という疑問はさて置き、当初の疑問を彼女に投げかけた。
「所でなんで僕を誘ったんですか?」
女は今まで見せた中でも一番の笑顔で答えた。
「だって……とっても人が良さそうだったんですもの」