07 涙?
物理法則をすべて無視した存在相手に、俺は何をしようとしているのか?
それは、人類初であろう学園そのものとのコミニュケーションである。
『話せばわかる』
きっと話せばわかるのだ。
ただ一つ問題点があるとするならば、果たして学園とは会話をするものなのだろうか……。
俺は山のようにそびえ立つ学園を見上げてみる。
――俺は何処に向かって話ければいいんだ……。
コミニュケーションを取るときに大事なのが、相手の目をまっすぐに見据えて話すことである。だが、一体こいつの何処が目なのか……。それ以前に顔の位置すらわからん。
もし、俺が顔だと思って話しかけている部分が、学園にとってお尻だったとしたならば、それはもう失礼極まりないに違いない。平和的な交渉をしようとしているやつが、お尻に向かって話しかけたならば、考えるまでもなく交渉決裂である。ケツだけに!!
「よし」
俺は独断と偏見で、校舎の時計の付いている部分を顔だと認識することにした。
決意に燃える俺だけに、ケツと間違えることはないに違いない。
綾小路桜は、いつの間にか俺の傍にやってきていて、シャツの裾を指先でちょこんと掴んでは、心配そうな表情を俺に向けていた。
うむ、可愛い。守ってやりたい。今すぐ抱きしめてやりたい。給料の三ヶ月分で婚約指輪を買い、プロポーズと同時に婚姻届を用意して籍を入れてしまいたい。
そんな俺の心の中を見透かしてか、それとも綾小路桜と俺の距離が接近したせいなのか、学園が俺を睨みつけているような視線を感じた。視線? あるのか? そういうのが? ってか、何処が目なのかすらわかってないわけなんだが……。
校舎に睨まれる、これは人間として生きてきて、そうそう体験することの出来ないレアな状況だ。そこらの不良にガンつけられるのとはレベルが違う。
俺は思わずブルってしまった。すくみあがってしまった。もしこの学園が、何の気なしに倒れただけで、俺は形も残さないほどに潰れてしまう。いやさ、俺どころかここら一体が消滅してしまうことだろう。そう、全ては俺の交渉術一つにかかっているわけなのだ。
「そうかー、いつの間にか、どえらい大事になってしまっていたか―」
美少女をストーカー被害から守る仕事が、まさかこの街の命運を握ることになろうとは、誰が予測し得ただろうか。
そんな俺の言葉を耳にして、綾小路桜は殊更心配そうに、俺を潤んだ瞳で見つめる。うーむ、そんなに見つめないでもらいたい、勘違いして今すぐ告白してしまいたくなるではないか。そして、今ここで告白した日には、この街にとってデッドエンドを意味するのだ。
「任せてください。根拠のない自信には、些か自信があります。これもまた根拠ないですけど」
確実に日本語としておかしい言葉を、自信満々に言ってのけると、俺は今度こそ覚悟を決めた。
綾小路桜を引き離し、ズイッと一歩踏み前に出す。たった一歩前に進んだだけだというのに、学園から溢れ出るプレッシャーは数十倍に膨らみ上がった気がする。うーむ、こいつ重力を操る能力でも持っているんだろうか。まぁここまで非常識だと、持っていても何らおかしくない。むしろ、能力がない方がおかしいレベルだ。
俺は顎を上げ、視線を上げ、テンションを無理やり上げ――そして声を張り上げた。
「どうも! わたしは大宇宙守と申します!」
自己紹介。これは初対面の相手にとっては、会話の起点としてはベーシックなものだ。ただこれは、対人間用のものであり、対学園用のものではない。
さてと、自己紹介をしたものの返事はなく。これからどう言葉を続ければいいものか。いきなりである。いきなり手詰まりである。将棋で言うならば、初手で歩を動かした状態で、すでに長考に陥っているくらいである。
もとより、根拠のない自信を頼りに進んだ一歩だ。今さら悩んでも仕方がない。ならば、もういっそのこと、何も考えないで進めば良い。そう、無心だ! なんか無心とか、言葉的にかっこいいい。
「あの、綾小路桜さんのことでお話があるんですが」
俺の言葉に、学園がピクリと反応した。いや、学園はコンクリートで来ているので、反応して動くことなどありはしないのだが、反応したように思えた。
「単刀直入に申し上げます。あなたは……。えっと、どうお呼びすればいいんでしょうかねぇ……。聖ヱルトリウム女学園さん……だと、なんか長いので、ヱルさんとお呼びしていいでしょうか?」
聖ヱルトリウム女学園は、俺の提案にコクリと頷いた。勿論、これもまた実際に頷いたわけではなく、俺のフィーリング的にそう感じただけなのだが。
「それではヱルさん。単刀直入に申し上げます。あなたは、綾小路桜さんにストーカー行為を働いていますね!!」
俺の言葉はヱルの胸に強烈に突き刺さったようで、頭を抑えては苦しみ悶ている様相が、手に取るように分かった。勿論、実際目に見えたわけではなく、そう感じただけである。
ひとしきり苦悩にもがき苦しんだヱルは、涙を流しながら、切々と語り出すのだった。
これまた、勿論涙を流しているわけではない……と思いきや、学園の中央部に設置されている噴水から怒涛のごとく水が溢れ出す。きっとこれが涙的なものなのだろうと、俺は思うことにしたのだ。