03 とっとこトゲ太郎。
俺が救世主の子供に連れてこられたのは、ごくごく普通の一軒家だった。
いや、そういうふうに形容するのは、些かこの家を建てたご主人に対して敬意が足りていないかもしれない。必死に汗水たらして働いて頭金を作り、残りを何十年ローンという長期ローンを組み、年老いるまで老骨に鞭打って働く人生。そんなご主人の努力の成果の結晶なのだから、ここは素晴らしいお家だ! というのが正しいに決まっている。
ちなみに、ここのご主人とは全く面識がないので、これは俺の完全なる想像であるので、全く違っていても気にしないでもらいたい。
そんな俺の心のモノローグなど知るはずもなく、子供はインターホンを押した。
俺は表札に書かれている文字を読んだ。
――田中さんか……。
俺もこんな平凡な名字だったら、違う人生を歩んでいたのだろうか?
「はぁい、どうしたの綾小路くん」
玄関のドアが開いて出てきたのは、年の頃三十代前半くらいの主婦だった。って、この救世主少年、綾小路って言うのかよ……名前まで高貴じゃねぇか。そりゃ鼻水垂らしてうんこうんこ連呼するやつらとは、違ってて当然だな……。
(注)別に名字が人となりを決めるものではありませんのであしからず。
「あれ、そちらの人は……どなたかしら?」
警戒心のこもった鋭い視線が俺に向けられる。
確かに小学生と、見たこともない二十代後半の男が急に訪れれば不審がるのは当たり前だろう。
ここで俺はとっておきのスマイルを一つ。そしてすかさず懐から名刺を取り出す。
「どうも〜。こういうものなんですけど」
「あらまぁ、ご丁寧に」
主婦は出された名刺を受け取り目を通すと、先程まで向けていた警戒心を少し緩めたかのように、口元をほころばす。
「よろず屋さんですのね。お話は聞いたことありますよ。どんな仕事でも請け負うんですってね」
「はい、ご要望とあれば、ドブ掃除から世界征服まで、なんでもござれです」
俺は英国紳士のように、振り上げた腕を下ろしながら頭を下げる。できれば小粋なマジックでもかまして、花の一つも出してみたいところだったが、そんな技術も仕込みもありはしなかった。
「その『よろず屋』さんが、うちにどんなご用件ですか?」
さてと、ここが問題どころだ。
『すみません、地下帝国の怪獣がこちらに居ると伺ったんですけれども』
と、ストレートに答えるのは如何なものだろうか。
もしかすると、この一見ごく普通の主婦に見える女性が、世界の覇権を狙う悪の秘密結社の女首領である可能性もあるのだ。ともすれば、ここは心して返答せねばなるまい。いきなり、ボンテージ姿に変身し、『オーホッホッホ! 我はこの世界を統べる女帝! ひれ伏すが良いわ!』等と言い出されたら堪ったものではない。
『そんなことあるわけがない』
この世界の人間の大半が、そう言うに違いない。
しかし、人は想像力を失った時、予想もつかないしっぺ返しを食らうものだ。どんな時でも、可能性は頭の隅に残して置かなければならない。
そんな事があった時にはすでに遅いのだから……。
「あのね、このお兄さんは、背中にトゲトゲがいっぱいついてる怪獣を探してるんだよ」
綾小路くんが、ひょいっと俺と主婦の間に入って、簡潔明瞭な返答をしてくれる。
おいおい、どうするんだ。もし、この主婦が悪の大幹部だった場合は、いきなりバトルだぞ? そんな装備で大丈夫か?
だが、俺の悪い予感は的中しなかった。
主婦は主婦のままで、これと言った変化を見せることなく、綾小路くんの言葉に、不思議そうに小首を傾げるだけだった。
小首を傾げること三十秒あまり。主婦はハッと、なにか思い当たったかのような表情を見せると、年齢を感じさせない少女のような笑顔を見せた。
「ああ〜、アレの事ね。あははは、そうね怪獣よね」
「えっと……。居るんですか? その背中にトゲトゲがいっぱいある怪獣が?」
俺はその言葉に思わず飛びつきかけた。が、これが罠である可能性がないわけではない。事は慎重に運ばなければならない、何故ならば俺はプロフェッショナルなのだから。
俺は呼吸を整えつつ、その怪獣を見せてもらえないかと交渉した。
「はい、いいですよ。太郎ー、トゲ太くんを見たいって人が来てるよ―」
主婦は二階に向かって声をかける。
――トゲ太くん……!?
呼ばれた太郎君は、トントントントンとリズムカルなテンポで二階から降りてくる。
太郎君は、何て言えばいいのだろうか、太郎君然とした少年だった。短パンとスポーツ刈りが似合う、どこにモブキャラとして出しても恥じることのない、特徴の無い少年だった。
玄関先までやってき太郎君は、水槽のようなものを手に持っていた。
「えへへへ、これがトゲ太だよ! かわいいでしょ〜?」
太郎君は自慢気にその水槽をこちらに差し出してくれる。
俺は言われるままにその水槽を覗き込む、するとその中で目にしたのだ……。
「ハリモグラ……」
大人のこぶしくらいの大きさのハリモグラが、もさもさとおがくずが敷き詰められた水槽の中を徘徊している姿だった。
「かわいいね〜」
「でしょ、でしょ〜」
綾小路くんと、太郎くんは、キャッキャウフフとハリモグラのトゲ太を見つめながら、幸せそうな笑みを浮かべる。ハリモグラに負けず劣らず、小動物相手に屈託のない笑顔を見せる子供というのは、かわいいものだった。
「いいわぁぁ、我が子ながら、ありだわ! こういうカップリングはありだわァァァァ!」
主婦が鼻血を出しながら、猛烈に興奮していた。どうやら、この主婦そういう類いの趣味を持つらしい。高貴な少年と、我が子のカップリングを想像して、悶えるというのは、人の親としてどうなのだろうか……。一抹の不安が残る。
それはそれとして、このトゲ太……。確かに、四本足で尻尾があり、背中にトゲトゲがいっぱい生えている。依頼人の言った特徴すべてが合致している。
だが! これが怪獣なのかというと……どうなのだろうか?
ここで、『なぁんだ、これはただのハリモグラじゃないか』と話を終わらせてしまう奴は素人だ。毎度言っているように、可能性を忘れてはいけない。
「ちょっとすみません」
俺は少し席を外し電話をかける。
電話の相手は、依頼人である地底人だ。
「すみません、お探しの怪獣と条件が一致するものを見つけたんですが、確認お願いできますか? 場所は……」
電話を終えた俺は、依頼人がやってくるまでここで待たしてもらうことにした。
綾小路くんと太郎くんは、トゲ太を手に乗せたり、頭の上に乗せたり、トゲ太を触ろうとして、お互いの手が触れ合ってしまって、慌てて手を離したりと、そんなイチャイチャプレイを繰り返していた。
「ええわぁぁぁ、これはええもんやわぁぁ」
主婦は嘘くさい関西弁を使いながら、ドバドバと鼻血を流していた。どうやらこのシーンはかなりの眼福らしい。
そして待つこと十五分。
「ど、どうも、遅くなりまして……」
ハァハァと息を切らしながら、依頼人は現れた。
格好は先程と同じで、黒いスーツに黒いシルクハット、黒い革靴に黒いサングラス、あいも変わらず黒を徹底している。
「あらこちらは……」
主婦は黒ずくめの依頼人を目にして、瞬時に鋭い目つきへと変化した。
まさか、この主婦は地下帝国と何らつながりが……と思ったのも束の間。
「息の荒い黒ずくめスーツの男と、どこかうだつのあがらない青年……。これも……ありだわ!!」
こいつもうどんなカップリングでもいいんじゃないか……。とすると、俺が最初に鋭い視線で見られたのは、怪しがられたのではなく、綾小路くんと俺とのカップリングを想像したのでは……。
「うだつのあがらない青年攻めね……」
もう俺はこの腐った主婦を完全に無視することにした。
「あの、これなんですが……」
俺は太郎くんの手の中でおとなしくしているトゲ太を指差した。
「こ、これは……」
依頼人の顔つきが変化する、と同時に何故かシルクハットが振動するように揺れだした。
「これこそは、我が地下帝国が誇る生体兵器『モグタン』に間違いありません!!」
依頼人は勢い良くトゲ太、あらためモグタンを指差して絶叫した。
って、モグタン!? トゲ太もあれだが……生体兵器で、怪獣なのに『モグタン』って……。なんだかまんがはじめて物語に出てくるピンクのモグラを連想させるじゃないか。
クルクルバビンチョ! とか言ってタイムトラベルをやらかしそうだ。
かなり古いネタなので、モグタンを知りたい人はグーグルさんで調べてみると良いだろう。
「ありがとうございます! これを持ち帰れば、わたしは粛清されないで済む……」
依頼人は俺の手を強く握りしめると、余程嬉しかったのだろうか、熱い涙を流し始めた。
勿論、この時主婦の妄想はかなりハードなものへと到達していたようだが、そんなの知ったことではない。
ん? ってか、粛清? 今なんか物騒なことを言わなかったか?
「それではわたしは、これを回収させていただきます」
依頼人はモグタンを捕獲しようと手を伸ばした。が、太郎くんがそれを防いだ。
「ダメだよ! これはボクのトゲ太なんだい!」
「いや、それは我ら地下帝国のものであってですね……」
「違うったら違うんだい!! これはボクのトゲ太だ!」
トゲ太に愛着を持ってしまった太郎くんが、返そうとしない気持ちは十二分にわかる。動物というものは、三日も一緒に暮らしてしまえば家族同様に愛情が湧いてしまうものである。
ここは太郎くんのお母さんに説得をしてもらおう……と思ってみたものの、お母さんは完全に妄想トリップ中であり、そんな事を頼める状況ではなかった。
どうするべきか……。俺は思案にくれた。
そんな時だ。俺は自分のポケットに入っている紙切れの事を思い出したのだ。
「ああ、折角見つけたと言うのに……我が地下帝国のモグタンが……。地上世界征服への礎が……」
玄関先で悲嘆に暮れて、膝を落としてしまっている依頼人の肩をポンと叩くと、俺は自信満々に言葉をかける。
「ここは大船に乗った気持ちで俺に任せてください」
結果として……
なんとかなった。
と、これではあまりも省略しすぎているので軽く説明をしよう。
ペットロスを癒す方法、それは別のペットと暮らすことだ。
俺は藤宮花火に、子犬の里親を探すことを頼まれていることを思い出した。そう、この子犬を、トゲ太の代わりにしようと考えたのだ。
そしてこの思惑は、見事にハマることになる。
「わぁい、このワンちゃん凄い可愛い―! ぺろぺろほっぺを舐めてくるよぉォォ」
「ホントだ! 可愛いねぇ〜。ボクのほっぺも舐められちゃってるよぉ」
太郎くん、綾小路くん、二人はあっという間に恋雨の可愛さに心を持っていかれたたようだ。
そして……
「ぺろぺろ……。ショタっ子二人がペロペロ………もう辛抱たまらんッッッッッ!!」
大丈夫なのかこのお母さん……。ちゃんと母として、主婦としてやってきているのだろうか? いや、これはこの家の問題であり、俺が口をだすことではない。俺が解決しなければならないのは、モグタンの回収だけなのだ。だが……旦那さん心中お察し申し上げます。
こうして、子犬のかわりに、俺達はモグタンを引き渡してもらうことに成功した。
「ありがとうございます! 本当に有難うございます! これは謝礼金です。いくらか色を付けさせていただきました」
依頼人は茶封筒を俺に手渡す。
俺は渡された茶封筒を軽く指先で触って厚みを確認する。この厚み、これが全部一万円札だとするならば、予想以上の収入だ。
俺は喜びのあまりマイムマイムを踊ってしまいそうになるのを、必死で抑えこんだ。
「それでは、わたしはここで失礼させていただきます」
依頼人は深々と頭を下げる。
その時だ、偶然飛来したカラスが、依頼人のシルクハットに体当たりを喰らわせたのだ。どうやら、全身真っ黒という同じアイデンティティを持つものに対しての、ライバル心が攻撃を行わせたらしい。
この突然のカラスアタックに、依頼人はこれと言ったダメージはなかったものの、あのどうやっても頭から取れることのなかったシルクハットが、脱げ落ちてしまっていた。
俺は落ちたシルクハットを拾い、依頼人に手渡そうとして、あるものを目にしてフリーズしてしまう。
それは……
ドリルだ!!
依頼人の頭の上には、鬼の角のようにドリルが生えていたのだ。
ギュルンギュルンと、ドリルは生きているかのようにゆっくりと回転していた。
「す、すみません!」
依頼人は俺の手からシルクハットを奪い取ると、何事もなかった体を装いながら頭にかぶり直した。
そしてそのまま夕焼けの空の中に消えていくのだった。
「なるほど、地底人の頭のはドリルがある。一つ賢くなったな」
※※※※
俺は帰りにスーパーに寄り米を買い込むと、家に帰ってご飯の用意をした。
ほかほかに炊きあがったご飯、そして肉じゃが……。ああ、なんという幸せだろう。
俺は幸せを噛み締めながら、箸を手に取る。そして、大口を開けてご飯を……といった所で、侵入者に手を止められる。
その侵入者が誰なのか、振り向く必要などない。
「里親ちゃんと探してくれたんだ……。ありがと」
可愛い女子高生の侵入者は、俺の背中に向けて感謝の言葉をくれた。きっと、顔を見て言うのが照れくさかったに違いない。
俺はこの照れくさい空気を壊してやるために、取って置きの情報を一つ、この女子高生藤宮花火に振る舞ってやることにした。
俺はお茶碗と箸を手に持ったまま、藤宮花火に向き直って、自慢気に言ってみせる。
「知ってるか? 地底人の頭にはドリルがあるんだぜ?」