113 子供は何人?
「おかしい……。おかしいですね。こんなに追い詰められて、いきりたっているというのに……身体が思うように動きません……。いや、動かぬ身体、これもまた良い……ふふふふふふ」
レックスのえぐり取られた腕からは今もおびただしいま量の出血が続いており、血の気が失せ青白くなった顔からは死相すら窺い知れた。
もはや立っているのすら危うく、まっすぐに歩くことすら出来ない状態だと言うのに、レックスは巨獣に向かって、一歩、また一歩と、歩みを続けることをやめないでいた。
その光景に俺は感動すら覚えた。俺が女子ならば確実に抱かれたいと思ったことだろう。ただ、その原動力の源がドMパワーだということを忘れてはならない。そして、いかにドMパワーが絶大だとしても、それも限度が存在するということも忘れてはいけない。
認識阻害のかけられた幻術も、今は全周囲をベトベトウネウネとした謎の体毛に覆われ、次第に侵食されつつあった。このままでは、この真の神樹のある場所に侵入されるのも時間の問題だろう。
「こうなったら……」
勿論、『こうなったら俺が戦ってやる!』などと続くはずはない。俺が戦ったところで、この瀕死のレックス以下の戦闘力でしか無いのだ。むしろ、足手まといになるからすっこんでろと言われるのが落ちである。
ならばどうする?
――試練なんて放棄して、若様に土下座して助けてもらおう!!
もはや試練がどうとか知ったことではない。俺は命が大事なのだ。命よりも大事なものがある、なんてことを言うやつがいたりするが、そいつが命の大事さに気がつくのは、きっと命を失ってからに違いない。そうなってしまえば後の祭りなのである。
この巨獣を独力で倒すことが、神樹の取引を成立させるための試練だということはわかっている。それでも、今は卓越した戦闘能力を持っているに違いない若様に頼み込んで助けてもらうしか無いのである。それに、もしかしたら泣いて土下座して懇願すれば、少しくらいなら神樹を分けてもらえるかも知れない。そうだ、若様は俺と結婚したいなどと言っていたわけだから、卑怯かもしれないがその気持ちを上手く利用すれば……。最悪、俺のケツの穴を捧げればなんとか……。い、命に比べれば、俺のケツの穴など安いもん……なのか!?
俺が男の純血を捧げるかどうかの思案をしている間にも、幻術は今にも破られようとしている。もはや、考えている時間など無い。
俺は若様の眼前でスライディングからの土下座を決めると、額から煙が出るくらいに地面に頭を擦り付けた。
「うぬぬ? 何だ? どうしたのだ?」
俺の突然の土下座に、若様は困惑の表情を浮かべ首をひねった。
「実は若様にお話が……」
俺は顔を上げる。まるでシンクロするように若様と目が合う。若様の目が、乙女のようにキラキラと輝いていた。
「じ、実は我も貴様に話があるのだ……」
「そうなのか? じゃ、そっちの話を先にしてくれもいいぞ。でも、時間がないのでできるだけ手短にな!」
俺はここで若様の方からこちらの手助けを言い出してくれるのではないかと、淡い期待を抱いていた。
「そ、そうか……。我の先程の行為なのだが……やはり婚姻をきっちり済ませてから出ないと、性交渉に入るのはよろしくないと思うのだが……。それでもやはり、ポジションというのは先に決めておいたほうが良いと思うのだ」
ん? あれ? あれれれ? 俺の期待していた言葉とは全く違うぞ?
「我は……やっぱり入れられるのは少し怖くてな! だから、我が『攻め』貴様が『受け』と言うことで良いだろうか?」
あれ、俺の耳がおかしくなったのかな? 若様は今の状況をわかっているのかな? ほらほら、目の前になんかでっかいのが襲いかかってきてるんだよ?
「あ、安心してくれ! 我はまだ幼いので、あれはそれほど大きくはない。だから、貴様もそれほど痛い思いをしないですむと思うのだ! いや、できるだけ快楽を味あわせやりたいとは思うのだが、如何せん我はまだ経験がなくて……あの、その……なんて恥ずかしいことを言わせるんだ! ばかぁぁぁ!」
若様は唐突に俺の頬を叩いた。強烈なビンタだった。普通ならば痛くてたまらないところだろうが、不思議と今は痛みを全く感じない。それどころかいろんな感覚が麻痺してしまっている。だって、なんなのこの若様、何を言ってくれちゃってんの! おちんちんのサイズとか何をカミングアウトしてくれてんの!?
「すまない! でも、あれかな……叩いたりとかもしたほうが……感じちゃったりとか……するのかな……え、えへへへへ」
えへへと笑う姿は、普通の中学生のものだったが、言っている内容はとてつもなかった。
俺はこの時悟ったのだ。もし、この巨獣を退けられたとしても、若様というリトルモンスターに尻をあれされてしまうということを……。
もはや他人を頼ることなど出来ない。頼れるのは自分だけ。なのに、その自分が一番頼りないときているから大問題なのだ。
「結婚したら、子供は何人が良いかなぁ……。やっぱりいっぱいいるほうが良いよね」
何処をどうすると、俺から子供が生まれるのかよくわからなかった。が、若様はこれからの夫婦生活について延々と語りだしてしまうのだった。
そして、俺はこのときに時間と言うものがどんなときでも流れてしまっているということを知るハメになる。
そう、こんな頭のおかしい会話をされている間に、幻術は突破されてしまっていたのだ。
「……はははははは、もう笑うしかない……」
巨獣が全身の体毛を駆使して地面をえぐり取りながらこちらに向かってくる。
レックスはと言えば……
「あーははははっははははは、歩けないィィ! 動けないィィィ! 倒れたまま無様な醜態を晒してしまっているぅゥゥ。これもまた良いィィィィィ」
いつの間にか、出血多量で動けなくなっており、死んだ魚のように地面に横たわりピクピクしながら悶ていた。
今のこの状況を写真にとってタイトルを付けるならば『混沌』で決まりだろう。
そうこうしているうちに、巨獣の体毛の一本がレックスの身体を吹き飛ばした。哀れレックスは狂気にも似た笑い声を上げ空高く宙を舞った。
続いてそれは俺をめがけて襲いかかってくる、俺に回避する身体能力はなかった。全ての動きが何故かスローモーションで見えた。まるで槍のような体毛が俺の腹に大穴を開けんと向かってくる。ああ、もうダメだ。と思った刹那。別の何かが俺の背中をちょんちょんと叩いていた。そのウザい感触は昔に味わったことがある。
俺の腹を貫くはずの巨獣の体毛はなにか鋭利なものに切断されて地面へと落ち、俺の身体は体毛とは関係なく宙に浮いていた。いや、浮いているのではない。巨大な手のひらの上に俺は乗せられているのだ。
《颯爽登場! 魔王器レヴィアタンですよぉ〜ん》
この能天気かつ苛つかせる声は、紛れもなく魔王器レヴィアタン。俺は完全にこいつのことを忘れていた。そう言えば、花火に腕を破壊されて異空間に引っ込んでいたんだっけか。
《主人様のピンチにかっこよく登場! これはポイント高いですよねぇ〜。何ポイント? ねぇねぇ何ポイントです〜?》
久しぶりだと言うのに、会ってすぐさまウザかった。それでも、この時ばかりはウザさを引き換えにしても心底嬉しかった。ウザくとも生きていることのほうが大事なのである。
《と、ところで……》
レヴィアタンの声はオドオドしたものへと変わり、頭部の様々なセンサーが周囲をスキャンし始める。
「あ、あの化物小娘はいないですよね〜? ここの位置情報があのときとかなり違ってますから、多分いないだろうなぁ〜って思って出てきたんですけどぉぉ」
化物小娘とは間違いなく『藤宮花火』の事を指しているのだろう。どうやら、最近顔を見せなかったのは、花火を恐れてのことらしい。
「あぁ、花火ならいないよ。安心しろ」
《ホントですかぁ? ホントのホントのホントですかぁ〜? なら良かったぁ……。もうあんな目は懲り懲りですよぉぉ。おっとっと?!》
レヴィアタンの身体が大きく揺れた。俺は手のひらから落ちそうになったが、指先に捕まりなんとか凌ぐことが出来た。
巨獣が数百本の体毛をまるでハンマーのように固めて、レヴィアタンの身体を殴りつけたのだ。
《んんんん? 何ですか、この毛むくじゃらの化物は? まさか、主人様は、こんな変なのとも友達なんですか? 趣味悪いですよ》
「友達じゃねぇよ! 敵だ! 敵! 悪いやつだ! あと、俺をどうにかしろ! このままじゃ落ちちまう!!」
俺は必死に指先にぶら下がりながら叫んだ。この高さから落ちたならば、普通の人間である俺は即死だろう。
《ほーい! マイスイートハニールームにおいでくださいましましましまし〜》
レヴィアタンの胸部から謎の光が放たれ、俺の体全身を包み込む。すると、俺の身体は謎の光に牽引され、コクピットの中へと吸い込まれていった。
「まさか、あれだけ抜け出したかった場所に、自ら望んでくることになろうとはな……」
何故かピンク色の壁面。ハートマークを大量に映し出しているディスプレイ。ムーディーな音楽全てが鬱陶しいかった。が、俺の身体にフィットするように調整されたシートだけは快適だった。
《はーい主人様、お帰りなさいませ〜。んでんで、このキモいのどうします?》
一本のマニュピレーターが、ディスプレイに映し出されている巨獣を指さした。
「やっちまえ!」
俺は即座に答えた。