112 若様ビーストモード
当然のことながら、俺は若様の懐に入ってしまった手をすぐさま引っこ抜く。引っこ抜く時になにかに擦れてしまい若様がまた悩ましい声を上げる。
まだ声変わりもして無いからなのだろうか、少年とも少女とも言えぬ甲高く幼い声が、俺の鼓膜を甘く震わせ刺激した。
いやいやいや、何を刺激されてるんだ俺は! おかしい、間違いなくおかしい。この状況、この心境、この環境、全てがおかしい。まともなことなど何一つとして有りはしない。
兎に角、まず何とかしなければならないのは、既に欲情した獣のようになりかけている若様である。
「ぼ、僕よくわからないけど……か、身体と身体を重ね合えば良いんだよね!!」
駄目だこいつ、完全に手遅れ状態に陥っている。拙い性知識を総動員しての発言だろうが、間違いでしか無い。何をどうしたら、魔物が襲いかかってきているこの状況下で、男同士で組んず解れつであれやこれやをしなければならないのか。
そして、こんな事を考えている間にも、何故か俺は既に若様に馬乗りになられている。若様は華奢な身体つきからはとても想像もつかないほどの剛力を発揮しては、俺の両腕を押さえ込み、さらにはガッチリと両足で俺の腰の部分をホールドし、逃げ場を完全に無くしてくれやがった。
プロレスならば、身体の一部の数度タップしてギブアップを宣言するところだろうが、こいつはプロレスでも夜のプロレスへと発展しようとしている。
今とても悲しい事実だが……
俺は今、中学一年生くらいの男子に……犯されようとしているのだ!!
――なんだこれ……なんなんだこれ……。俺の人生今まで色々あったけれど、なんなんなんだよこれぇぇぇぇぇぇっぇ!!
俺は叫び声をあげようとしたが、身体に力が入らず声にならなかった。どうやら若様の妖力だか霊力だかで、身体の自由は完全に封じられているようだ。すなわち……大ピーンチである!
「痛いのは最初だけだって、銀孤が言ってたから、きっと大丈夫だよ! 僕が優しくするから……」
ああ、この間違った知識を教えてくれやがった銀孤のやつを今すぐボッコボコにしてやりたい。
そして、何故俺はズボンを脱がされかけているのか……。ホワイ? わからないー! わかりたくなどないー! これが現実? ねぇ、これは本当に現実なの? 実は夢でしたーちゃんちゃん! じゃないのー!?
受け入れがたい現実が前方から猛スピードで襲いかかってくる。暴走するトラックのように向かい来る現実に轢かれて異世界にでも転生してしまいたい。だが、現実は逃げることの出来ないものである。
「そっか、僕も服を脱がないと……」
若様は俺を押さえつけたまま、おもむろに着物の上をはだけさせる。着物の中にTシャツなど着ているわけもなく、完全に上半身の素肌が露呈する。そこには先程俺は触れたであろう小さなピンクの蕾も姿を表していた。俺の目に映るその身体は間違いなく男性のものだった。
「それから……それからぁ……ハァハァハァハァハァ……」
若様の目が狩をする獣のように血走っている。可愛い頭の上のお耳も興奮を表すかのように、ピコピコと前後に動いていた。
俺を押さえつけている手にも更に強い力が込められる。少しばかり爪が食い込んだ皮膚からは、じんわりと出血をし始めていた。肉食動物に捕食される草食動物のように、俺はこのまま喰われてしまうのか? 性的な意味で!! あぁ、若様でなく、若奥様ならばよかったのに……。等と俺の頭も完全に混乱しかけていた。
俺と若様の関係が急展開を迎えようとしていた頃、レックスと魔物のバトルにも新たなる展開が待ち受けていた。
そう、レックスが無限とも思える魔物の群れを全て撃退しきったのだ。その魔物の躯は小山のようにうず高く積み上げられていた。
レックスの全身はどす黒い血しぶきにまみれていた。その血しぶきを拭うように髪をあきあげ、ゆっくりとこちらに向かってあるていくる。
――いやいやいやいや、そこは全力疾走でこっちに来いよ! 急いできてくれないと、俺の貞操が、お尻の穴が偉いことになってしまう!!
俺の心の叫びなど聞こえるはずもなく、レックスの歩みの速度は変わりはしない。そして若様はレックスのことなど眼に入ることもなく、俺のズボンを不慣れな手付きで脱がそうと必死である。
レックスがこちらに気が付き、この不毛な行為を止めてくれるのが先か、それとも俺の新しい性癖がまたしても目覚めてしまうのが先か……それとも、予想もつかない何かしらが……起こった!
俺はそれを目にしてしまった。
そして、俺は唯一動かすことのできる首から上を浸かって、若様の耳たぶにかぶりつく。
「きゃん!」
若様は子犬のような声を上げて。驚き期のあまり目を閉じ顔をそらす。その瞬間、俺を押さえつけていた力が消え失せた。そこで俺がとった行動は逃げる――ではなく、叫ぶだった。
「レックス! 後ろだ! まだ終わってねぇぞ!」
全て終わったはずだった。だが、動くはずのない躯の山が、意思を持った一つの集合体のように、形を成し始めていたのだ。
レックスが俺の声に反応して後ろを振り向く。だが、少し遅かった。躯だったそれは、全長五十メートルはあろうかという巨大な獣として形を成し、その巨腕をレックスに向け振るったのである。
「くっ」
俺の声のおかげか、レックスは即座に回避行動に入っていた。が、完全にかわすことは出来ず、巨獣の爪先はレックスの右腕をかすめる。ほんの少し触れただけに見えたが、レックスの右腕は無残にもえぐり取られてしまっていた。
隻腕となったレックスは、もがれた腕の傷口を押さえながらも、俊敏な動きで巨獣との距離を取る。
雷鳴のような轟音で巨獣は唸り声を上げる。俺は鼓膜が破れそうになり耳を抑えた。若様の大きなお耳もぺたりと蓋をするかのように塞ぎ込む。
その唸り声を聞いて、ようやく若様は正気を取り戻してくれた。
「はっ!? ぼ、僕は一体何を……!?」
どうやら完全に我を忘れての行動だったらしい。記憶もいくらか飛んでいるようだ。
「って、な、何だあれ? まさか……。そうか、それならば合点がいく」
若様は巨獣を見上げながら、独り言をつぶやき頷いていた。
俺はいまだ乗りかかっている若様を振り落とすと、ようやく身体の自由を完全に取り戻すことに成功した。
「ふぅ、どうやら俺の貞操は間一髪で守られたようだぜ。って、合点がいくって何なんだよ!」
俺はずり落とされたズボンを履き直しながら、一人訳知り顔になっている若様を問い詰める。
「あれは、もともと一つの個体だったのだ! それを結界の小さな隙間を抜けるために、わざわざ細分化していたのだ! くそぅ、我がもっと早く気づいておれば……」
「って、どうすんだよ!」
「兎に角、幻術の中に避難を! 少しの時間ならば稼げるはずだ!」
久々に中二病モードに口調を戻した若様だったが、まだ問題が一つ残っていた。
「まぁそれは良いとして、上は着ろよ?」
「え?」
そう、若様はまだ上半身裸のままだったのだ。
顔から可愛いお耳の先まで真っ赤にして、若様は急いそと着物の裾を合わせる。
「レックスこっちだ!」
俺と隻腕のレックス、そして胸元を隠すような形で着物を抑えて走る若様の三人は、幻術の中へと走り込む。
それを追うように、巨獣が地響きをたて、地面を叩き割らんほどの勢いでこちらに向かってくる。しかし、幻術の神樹を前にしてその動きが止まる。認識阻害の力のおかげか、幻術に騙されてしまっているのか、兎に角、巨獣の動きは止まったのだ。
だが、それもつかの間だった。
巨獣は全身から無数の体毛のような触手をだすと、幻術の表面をまたたく間に覆い尽くしていく。俺たちの視界がうねうねとした毛むくじゃらなものに覆われ、吐き気すらもよおしそうだった。
「分裂していた時はさておき、今のあやつは馬鹿ではないようだな……。幻術の構造を分析し、突破しようとしておるわ。さて、あと何時稼げることやら」
若様はようやく完全に着物を着直すことに成功していた。
「この私としたことが、不意を疲れました。能力は封じられ、さらに片腕一本を失って、あの巨獣と戦うのは……」
連戦の疲労が身体を鉛のように重くさせているのだろうか、レックスは肩で大きく息をし、失った片腕のせいでバランスが保てないかのように前のめりの体勢になっていた。
さすがのレックスもこれでは……と、思った刹那。
「この完全不利な状況で、役立たずなぼんくらクソゴミ虫と共闘など……。考えただけで……達してしまいそうですよぉ」
ドMは健在だった。